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善き羊飼いの教会 #1-2 月曜日


〈樫緒科学捜査研究所〉

     * * *

 パーティションで囲まれた無機質なスペースに案内され、指示されるがまま、鈴鹿亮平は壁側の椅子に腰掛けた。
 座るなり、案内した男性が正面の椅子に勢いよく腰を下ろして、「さて」と良く響く声を発し、感じの良い笑みを貼りつける。「筒鳥大学の学生さんでしたっけ。筒鳥大かぁ。筒鳥大に行った知人が五人ほどいたんですけど、みんな学業以外のことに夢中になっちゃって、誰も卒業できなかったんですよねえ……あ、どうぞ、そんなに固くならないで、楽にしてください。スルガです。スルガシロウといいます」天パーと思しき長くボサボサの髪を手櫛で整えて、男性は名刺を差しだしながら自己紹介した。
「鈴鹿さんは、金子警部補の甥っ子ですってね。金子警部補とは少し前に一緒にのむ機会がありまして、それこそ筒鳥大の近くの居酒屋でのんだんですけどね。金子さん、じゃなくて、金子警部補は、いかつい顔の割にアルコールにはめっぽう弱くて……や、それはいらぬ話か。早速ですが、はじめましょうか。携帯端末をだしていただけます?」
「はい? あ、あの」
 矢継ぎ早に話すスルガのペースについていけず、たまらず鈴鹿は口を挟もうとしたが、
「や、違った。写真は端末に送られたんじゃなくて、ツイッターにアップされていたんでしたっけ。だったら所内のパソコンからでもみれますね。すぐパソコンを——」
「す、すみません!」
 立ちあがりかけていたスルガを呼びとめる。スルガは笑みを保った表情で静止し、鈴鹿の瞳の中を覗くようにまっすぐ見つめた。
 鈴鹿はなぜか怖れと気恥ずかしさを同時に覚えて身を退いた。
 鼻どおりは良いのに洟を啜ってみせて、視線を泳がせる。意図せず、周囲を見回すようなかたちとなった。
「……あぁあ。そうか、そうですよね」鈴鹿の視線を追いつつ、椅子の背もたれに右肘を載せたスルガは、理解を示すように首を縦に振る。「先に、研究所の説明を聞いておきたいですよね。見慣れない道具がたくさん積みあがっているし、大仰な機器類もたくさんあるから——ま、設備の大半は中古品やジャンクの品を値切って仕入れたものなんですけど。作業台の奥にある走査型電子顕微鏡なんかは……あぁあ、この場所からは見えないか」
 スルガはパーティションの青い壁に手をついて残念そうな声をもらした。
 口を挟むには好都合な間があく。鈴鹿はこのチャンスを逃すまいと身を乗りだして口を開いた。
「こちらの研究所では、警察のような調査をされているのでしょう? だからトモアツ伯父さんは、こちらを紹介してくれたと思うんですけど、正直……あの、行けばわかるって感じでいわれまして、それに、あの……伯父さんがいうには、お金は……」
「調査料に関してはご心配なく」スルガは椅子を引き、きちんと座り直して鈴鹿を正面から見据えた。「今回は特別に無料で調べますよ。長いこと待ち望んでいた情報を提供していただけたのですから」
「情報?」
「えぇ。えぇっと、どこから話そうかな。端折らずに詳しく、一から説明したほうがよさそうですね。少々話が長くなりますけど、構いませんよね?」
「は、はい。大丈夫です。お願いします」スルガに倣って、鈴鹿も姿勢を正した。
 ギ、ギュッと椅子の背から耳障りな音が鳴る。
「と——その前に、来所に至るまでの流れと、依頼内容を確認させてください。同大学の友人が行方不明になったので、伯父である筒鳥署の金子警部補へ相談に行ったのですよね。金子警部補……あぁあ、いいづらいな。すみません、呼び慣れている〝金子さん〟という呼びかたをさせてもらいますね。金子さんからは、おおよその話しか聞いていないので、詳しく聞かせてください。友人とは、いつまで連絡が取れていましたか?」
「金曜日の午後までです」
「金曜ということは……三日前ですか。警察署まで相談に赴くには早過ぎる気がしますけど、学生にとって五万円は大金ですもんね」
「はい? あ、あの、それは」
「柿本さんでしたっけ、友人の名前。柿本さんに貸しているお金は五万円で間違いありません?」
「は、はい五万円……です」鈴鹿は口角を下げて顎を引き、居心地悪そうに右の太ももを掻いた。「お金の件だけで探そうとしているわけじゃないんですが……いえ、あの、お金の心配もしてますけど、友人として行方を心配しているってのも本当でして、それに、あの、柿本のほかにもふたり、連絡がとれなくなっている者がいるんです。それっておかしいじゃないですか。三人同時に行方不明になるなんて妙ですよね?」
「ちなみに、鈴鹿さんが三人の身を案じたのは、いつ、どのタイミングだったんです?」
「タイミング、ですか。三人全員と仲がいいというわけではないですが……」再び太ももを掻く。「柿本が不自然なかたちでツイートを中断していることに気づいて……あ、あの、それまでは実況さながら頻繁にツイートしていたんです、柿本は。佐棟町にある幽霊屋敷へ三人で向かっている様子を、こと細かく。だけど幽霊屋敷前で撮った写真を載せたのを最後に、ツイートがパッタリと途絶えていて。柿本だけじゃなくて、一緒に行動していた東条ってやつのツイートも——」
 ここで研究所の出入り口の扉が開き、二十歳前後と思しきショートヘアの女性が研究所へ入ってきた。鈴鹿は女性の姿を目にするなり、「あ」と声をもらして腰を浮かせたが、続けて発しようとしていた言葉を飲みこみ、気まずそうに視線をそらした。
「おはようございます」女性が挨拶し、鈴鹿へ目を向けて頭を下げる。
「おはよう、柊(ひいらぎ)さん。きてすぐのところ申しわけないけど、コーヒーをいれてくれる? お客さんとぼくのぶん、ふたつね」
「はい」
「や、待った。三つ。柊さんのぶんも含めて三つね。よろしく」
 指示された女性が微笑みながら研究所の奥へ姿を消すなり、鈴鹿は静かに安堵の息をもらした。
 危うく知りあいのていで女性に声をかけるところだった——女性の姿を目にした瞬間、鈴鹿はなぜか親しい知人だと思ってしまったのだが、よく見ればまったく覚えのない顔で、柊という苗字も記憶になかった。
「あぁあ、そうだ! 柊さん、コーヒーと一緒でいいから、ぼくのノートパソコンをもってきてくれないかな?」
 スルガが大声で頼み、はあい、とパーティションの向こうから声が返ってくる。不思議とその声にも聞き覚えがあったので、鈴鹿は再考し、記憶の収納にアクセスを試みたけれども該当する解答は得られなかった。頭を切り替えて上着のポケットに手を入れ、スマートフォンを取りだす。スルガがノートパソコンを必要としているのは、柿本のツイートを確認するためだろう——そう考えた鈴鹿は画面を操作して、ツイッターのアプリを立ちあげた。
「うちの研究所のことを、すぐに紹介しました?」
「え。あ、伯父さんがですか? いえ、すぐではなく、かなり話をしたあと……というよりも、はじめは全然乗り気じゃなくて、伯父さんはちゃんと話を聞いてくれなかったんです。大学生が二、三日家に帰らないのはよくあることだから、心配して相談にくるまでもないって。たしかにそうかもしれませんが、柿本は土日のバイトを無断欠勤したらしくて、それってやっぱりなにかあったのではないかって思うじゃありませんか」
「貸していた五万円の件もありますからね」
「え、えぇ、まあ、お金のこともありますけど……そ、そうだ、伯父さんは柿本のツイートをスマホで確認した直後に、急に乗り気になったんです。あの、これです。これなんですけど」
 ツイッターの画面が表示されたスマートフォンを差しだす。
 スルガは浅く頷き、受け取る前に両手のひらを擦りあわせた。
「では、噂のエンブレムを確認させていただきましょうか」
「エンブレム?」
「ツイートに添付された写真の中に、玄関先で撮った写真があるといいましたよね? そこに写っているらしいんですよ、エンブレムが。金子さんが急に乗り気になったのは、そのエンブレムを目にしたからで……これかな? この写真かな。話によると、扉の真ん中ってことでしたが……」
 スルガはスマートフォンの画面を操作し、顔を近づけた。
 鈴鹿は訝しげな目を向け、小声で問う。
「あのう、すみません。伯父さんも似たようなことをいってたんですけど、エンブレムってなんですか」
「んふふ」
「え」
「ふふふふふ」
「え、あ、あの」
「間違いない。兎足氏のエンブレムだ」スルガは緩んでいた頬をさらに緩め、再度、んふふと鼻を鳴らした。「これですよ、これ。これを探していたんです! 兎足氏のエンブレムを」
 スマートフォンの画面を鈴鹿へと向ける。しかし、すぐさま自分のほうへ戻して画面に見入り、スルガは少々うわずった声で話を続けた。「やはは。うちの研究所に、イチイという名前の所員がいるんですけどねぇ、日本中どこを探しても、いや、世界中といっても過言ではないかな。イチイさんは、ふふ、ある種の謎解きに関して最速なんですよ。最速で解き、最速で到達するんです。ミス・マープルや榎木津礼二郎みたいに、いきなり、真相に」
「す、すみません、いったいなんの話を」
「いるんですよ。世界最速の名探偵と呼ぶに相応しい人物が、うちの研究所にいるんです。んふ。んふふふふ。イチイさんが事件の謎解きに加われば、加わった瞬間に謎は解かれてしまいます。にわかには信じ難い話でしょうが、筒鳥署の刑事課は何度もイチイさんのお世話になっているようですし、他県でも、噂によると海外でも数々の難題を解いてきたそうです。あれほどまでにすごい人と出会えて、しかも一緒に仕事ができるなんてホント夢みたいで、嬉しくって、ぼくはもう誇らしくて仕様がなくてですねえ」
「あ、あのぅ、もしかして、その、イチイさんって人が調査してくれるんですか? 柿本たちがどこに行ったのかを調べてくれるんですか」
「それは無理ですね」
「……は?」鈴鹿は前のめりになっていた身体を不安定な位置でとめ、上半身をゆらゆらと揺らした。
「イチイさんは出張中でして、戻りは早くても水曜日かな。ですが、ご安心を。柿本さんが最後にツイートした幽霊屋敷の場所だけは、ぼくが責任をもって探しだします」
「場所、だけは?」口をぽかんと開け、鈴鹿はわずかに首を傾げた。
「えぇ。おそらく金子さんもそのつもりで話を——あ、そうか、金子さんはちゃんと説明してくれなかったんでしたね。別に話せない状況でもなかったろうに……話しづらい場所だったのかな。金子さんとは、筒鳥署のどこで話をしたんです? 応接室ですか」
「二階の、階段をのぼってすぐ左手の部屋です」
「金子さんひとりだけでした?」
「はじめはそうだったんですが、話の途中でいきなり席を立ったというか、スマホをもったまま興奮気味に部屋をでて行って、戻ってきたときには三人の刑事さんを連れていて、それからは、あの、もうなにがなんだか……」
「意図的に詳細の説明を避けたというより、興奮していたので説明し忘れたのかな。金子さんは添付写真にエンブレムが写っていることに気がついて歓喜し、ほかの刑事さんたちにも教えてあげようと考えて、部屋から慌てて飛びだして行ったんでしょう。兎足というのは建築デザイナーの名前です。兎足氏の作品にはショートメッセージの添えられたエンブレムが必ずつけられているそうでして、作品を巡ってメッセージを収集していくのが兎足ファンの正しい〝ありかた〟だそうですよ」
「ファン、だったんですか? 伯父さんが? だからあんなに興奮して?」
「金子さんではなく、イチイさんです。イチイさんが兎足氏の作品のファン——というかマニアの域に達していますね」
「イチイさんって、さっき話していた探偵の——」
「名探偵です」
「名探……あ、はい。はあ」
「しかも世界最速で、唯一無二の名探偵です。ちなみに、兎足氏が活躍していたのは百年ほど前でしてね。多くの建物はすでに解体されているのですが、各パーツが別の建物に再利用されているらしく……ほら、こんな風に」スルガはスマートフォンの液晶画面をゆっくりした動作で鈴鹿へと向け、表示されている画像の一部を指差した。
「玄関の扉に描かれている、この模様が?」
「そう」スルガは誇らしげに頷いて口調を強めた。「兎足氏のエンブレムです。エンブレムが彫られた扉は、巡り巡って幽霊屋敷と呼ばれているこの家に使用されたようですね。イチイさんをもってしてもエンブレムの彫られたパーツの行方を突きとめるのは困難だったらしく、様々な方面に助力を求めていたんですよ——筒鳥署の刑事さんたちにも。そこへ今日、鈴鹿さんがエンブレムの写真をもって筒鳥署を訪れたというわけです。筒鳥署の刑事課は、イチイさんに〝借り〟がある人ばかりですから、これで〝借り〟を返せると考えて、歓喜するのも当然です。あぁ、ありがとう、柊さん」いつの間にか、パーティションで区切られた空間内へ、柊という女性がノートパソコンをもって入ってきていた。スルガが受け取り、テーブルに載せてブラウザを起動させる。「どのみち警察がすぐに動くことはなかったでしょうから、こちらに話が振られたことを幸運に思ってください。ぼくらは即行動に移せますので」
 コーヒーの香ばしい湯気が眼前で拡散した。ふたつのカップがテーブルに置かれたところで、スルガが柊へと呼びかける。「柊さんも座りなよ。あぁあ、鈴鹿さん、紹介します。調査員の、柊です」スルガは素早く立ちあがって、別の椅子へ座り直した。「ほら、座って、柊さん。調査依頼だよ。柊さんも一緒に話を聞いて、調査を手伝って」
「どうぞよろしくお願いします」やや緊張した面持ちで柊が頭を下げ、
「どうも」鈴鹿も頭を下げて挨拶した。同時にやはりこの女性を知っているとの思いが再燃してきて、気持ちが落ち着かなくなってくる。
「柊シュリです」柊は声を張って名乗り、再び頭を深々と下げた。

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