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ライフワークとしての音楽、文筆、パン作り

わたしには小説家の知り合いがいる。
冒頭からいきなり自慢げであるが、その方は普段はフリーライターをしながら小説を書いていらして、過去には超有名な文学賞も受賞したほどの実力者だ。年齢が一回り以上離れているにもかかわらず、自然と意気投合し、なぜかわたしが仕事を辞めてからもずっと交流が続いている。ありがたい。

先日、その方から久しぶりにメールがあり、「最近書いた小説を読んでくれない?」と言われ、「もちろん読みたいです。てか、いいんですか!」と即返信した。数日後、メールで原稿が送られてきて、わたしは彼女が自分の原稿をそのままメールで送ってくれたことにまずは感激した。そんな大事な原稿を送ってくれたということは、わたしを信頼してくれているという証だからだ。たまらなく嬉しかった。

作品も一気読みしてしまうほど面白く、ページをめくるスピードがここ最近読んだ本の中では最も速く、ストーリーにも魅了された。当たり前だが、構成や描写が巧い。個人的には、過去に文学賞を受賞した作品よりも面白いと思い、後日その点も踏まえて感じたことをメールで送り、その後何度かやりとりを重ね、「また会いましょうね」ということになった。

ところでわたしは昨年、初めて小説を書いた。間違いなくこの方の影響によるものだ。書き方についてもいろいろとアドバイスをいただいた。といっても、わたしの作品はまだまだ小説と呼べる代物ではないが(実際、文学賞に応募したが、箸にも棒にも引っかからなかった)、それでも書くことを心から楽しいと思えた。以来わたしは、文章を書き続けている。

それにしても、フリーランスの方とお会いすると、みなさんパワフルだなと感じる。まず自分の軸というか、しっかりとした信念を持っていらっしゃる。さまざま苦労も経験されているからか、人に優しいし、何よりハートが熱い。そして人との結びつきを大切にされている。中にはマンションのローンもあっという間に完済したという方もいて、とにかくエネルギーが半端ではないのだ。

上述の彼女についても同様で、ライターとして書くことを生業としている彼女とやり取りをしていると、言葉のひとつひとつにパワーを感じる。わたしがnoteで書くことを練習したいと思ったのも、彼女から刺激を受けたためだ。

話は変わるが、わたしは音楽活動をする中で、2つのタイプがいると思っている。
一つは、とにかく有名になりたい、売れたいタイプ。わかりやすく言えば「メジャーデビューをしたい」タイプだ。
そしてもう一つは、ただ音楽を続けていたいタイプ。こちらはたとえば、とにかく楽器を弾くのが好きであるとか、死ぬまでバンドでライブをやり続けたいといったタイプだ。

わたしは若い頃は完全に前者であった。有名になりたい、売れたい! が先行していた。しかし年を重ねて、音楽を(あるいは文章を書くことやパン作りをすることを)ライフワークとして捉えるようになってきた。もちろん、好きなことをやることでそれが仕事になり、収入を得られればそれに越したことはない。でも、少なくとも仕事や収入のことを第一に考える活動はもうしたくないと思っている。

わたしがせっせとデモテープを作ってレコード会社に送っていた20代の頃、音楽仲間の一人はただひたすらにライブをやっていた。
当時、その彼が言っていた。
「オレは死ぬまでライブがやれたらそれでいい」
その時は「へぇ、そうなんだ」くらいにしか感じなかったこの言葉が、今ならとてもよくわかる。死ぬまでギターをかき鳴らしたいし、死ぬまで好きな歌を歌い続けたい。

でも、わたしは少し欲張りな人間だ。
自分が楽しむだけでは満足できない。誰かと楽しさを共有したいし、感動を共にしたい。あわよくば、自分の曲で、自分の文章で、自分の作ったパンで、人を少しでもハッピーな気持ちにできたらいいな、なんて思ってしまう。もちろん、それにはまず、自分の作品に対して自分が感動することが大事である。自分が感動しないもので誰かを感動させることなどできないのだから。

音楽、文筆、パン作り――。今年のわたしの活動の三本柱。
音楽では、いつかオリジナルソングを配信したい。文章を書いて誰かの心に寄り添いたい。自分の作ったパンで誰かの幸せな時間を彩りたい。

欲張りだけど、それもわたしだ。
「やりたいことは全部やってやる!」と決めているから、今年はとことん欲張ろうと思う。

冒頭に書いたフリーランスのライターの女性は、やりたいことが多すぎて120歳まで生きたい! とおっしゃっている。わたしも彼女の影響をもろに受けて、最近では事あるごとに「120歳まで生きるぞ!」と言っている。

生活のためには、当然稼がねばならない。そんなの常識だ。
でも、稼ぐにしても(稼がないにしても)、そこに少しでもいいから喜びや楽しいと感じる心を持っていたい。作品にはその人の心が宿るし、そういうものは相手にも伝播する。どうせパンを食べるなら、生き生きとしている人間が作ったパンを食べたいだろう。何よりそのほうが美味しそうだ。

エレパンの作った小説が読みたい、エレパンの作った音楽が聴きたい、エレパンが作ったパンが食べたい――そう思われるものを僕は作りたい。
そう思われる僕に、僕はなりたい。

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