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トイレで遭遇した子どもを通してわたしは自分の未来を見た

ショッピングセンター内のトイレで用を足していた。
男性用小便器は6基ほど。トイレの中にはわたし一人だけだった(個室は確認していないので、もしかしたら他に誰かいたかもしれない。でも少なくとも、いきんでいる人はいなかった)。

何万回と行ってきた排尿という行為を、今日もここショッピングセンター内のトイレで行っていると、駆け足で男の子がやってきた。
周りをキョロキョロ見ながら、わたしの右隣の便器で何千回目か(?)の行為を始めた。
時々わたしの様子もチラチラみる彼(股間の辺りもしっかり凝視された)。
わたしにもこんな幼少期があったなぁ……。そう懐かしむオッサンである。

わたしはいつものように行為をスタートしたわけだが、まだお小水は放出されていない状態が続いていた。
いつからだろう? 
いつの間にか、わたしの行為は「のぞみ」ではなく「こだま」のように時間がかかるようになってしまった。まあ、歳を重ねているのだから仕方がないか……。

そんな、わたしの行為がまだ終わっていない(いや、そもそも「まだ始まっていない」と言ったほうがいいだろう)段階で、男の子はすでにちゃっちゃと用を済ませ、手も洗わずに、走ってトイレを出て行った。

「はやっ」

てか、ワシが遅いのか!?
まあいい。

わたしはまだ相変わらず行為の最中である(え、まだ?)。
すると、またまた男子がやってきた。
先程の男の子と同じくらいの年齢(もしくは少し上? 小学3~4年生くらい?)だろうか。

やはり一度トイレ内を観察し、その後わたしを一瞥し、何千回目か(?)の行為を始めた。
先程の男の子より、気のせいか幾分緊張しているように見える。
それにしても、どうしてみんなわたしの右隣で行為をするのだろう?
まあいい。

この間、わたしはまだ何万回目かの行為の最中である(え、まだなの?)。
そしてやはり、わたしの行為が終わる前にその男子は行為を終え、やはり手を洗わずに、逃げるようにトイレを去っていた。

用を足す時間の早さは、「小田急の各駅停車」と「ロマンスカー」ほどの差があったように思う。

とり残されて――。
わたしの行為のなんと時間のかかることか!
歳を重ねているのだから仕方がないのだが、生理的なことだから仕方がないのだが、男子二人が終わってもなお、まだ行為を続けている状況に少々心配になった。

そして、ここから思考の旅が始まった(思考の旅は、マイナス感情から始まることが多い)。

わたしにも彼らと同じ時代があった。
「なんで大人は用を足すときに、あんなに時間がかかるんだろう」
「なんで大人は〝くしゃみ〟をするときに、あんなに大きな音を立てるのだろう」

そんなことを考えていた時期があった。
それが今じゃわたしは、その〝大人側〟になっている。
くしゃみだって、デカい音なんて出したくないのに、ごく普通にしているだけなのに、

「はあぁあっぶっふょん!!!!」

と、自宅の上空を飛行機が飛んでいるのではないか? と疑うほどのデカい声が出てしまう。
※世の女性の皆様、これはほんまに生理現象なんよ(急にインチキ関西弁)

そして、わたしの思考の旅は、過去から未来へと続いた。

一歩外に出れば、高齢者の方が杖をついてゆっくりと歩いておられる。どこかお店に入れば、隣にいる高齢者が、「こちらに話しかけたの?」と一瞬思うような独り言をつぶやいていたり、銭湯では完全に寝そべった状態で身体を洗っている高齢者を見かけたこともある(最後のはレアかもしれない)。

わたしの未来も、そんな風なのかもしれない。
さっきの男の子たちの時代に、わたしが大人に抱いていたイメージがあったように、今わたしが想像するのは、やがてやってくる長期高齢者の自分だ。
高齢者の方々にだって、男の子の時代、中年の時代があったのだ。そりゃ当然わたしにだって、高齢者時代という未来がやってくるのだ(それまでは絶対に死なないぜ!)。

どんな高齢者になりたいか?
そんなことまで妄想してみた。

そこには、今と同じように、パンを焼いて、ギターを弾いているエレパン爺さんがいた。

未来はやってくる。
でも、その未来は「今」の積み重ね。
そう、「その未来は今!」なのだ。

目指せ、キュートな爺さん!
80歳で弾き語りをしている男性の動画が、なぜかわたしのYouTubeアプリのおすすめに上がっていた。
とてもクールだった。キュートだった。
今のところ、わたしにはたくさんの目標があるが、この弾き語り男性のように、高齢者になっても、いつまでも弾き語り動画を投稿できたらいいなって思う。
もしもあなたが、将来そんな動画を見ることがあったら、それはエレパンかもしれません。

ここまで書いて思い出した言葉がある。
義母が言っていた言葉だ。

「若者 笑うな 来た道だもの 年寄り 笑うな 行く道だもの」

トイレで遭遇した子どもを通してわたしは自分の未来を見た

※この終わり方は、エンディングにタイトルをドーンと画面にもってくる映画からヒントを得たものである。

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