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「乗り越える」をやめる

乗り越える、という言葉。
素晴らしい言葉だと思う。

何かを乗り越えれば、そこには新しい景色が待っていそうだし、その景色はきっと輝かしいものだろう。

でも、もしそれが、そう簡単に乗り越えられることではないとしたら?
それでも「乗り越える」べきだろうか?

それでも乗り越えようとする姿は、やはり、とてつもなく、素晴らしいことなんだろう。
なんたって、乗り越えるんだから。努力が実るんだから。

でも、どうしても乗り越えられないとしたら?

「乗り越える」という言葉は、苦しいだけかもしれない。

たぶん、きっと、「乗り越える」ことは大事。
でも、「乗り越えられないけど、その状況とうまく付き合っていく」ことはもっと大事。

完璧な状態にしなくてもいい。
不完全でもいいのだ。
不完全な自分といかに付き合っていくか。
それも大切なことだと思う。

乗り越えられたら、そりゃいいだろう。
乗り越えられるに越したことはない。

けど、今のところは「無理に乗り越えなくてもいい!」ってことにして、そんな状況とうまく付き合っていけたらいいなって思う。

自分自身とどう付き合っていくか――。
つまり、それが、生きることだ。

わたしは、「乗り越える」を時々やめながら生きていこうと思う。
そんで、「結果的に乗り越えていた」なら、それはわたしにとってこのうえない喜びだ。

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