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引越しの悲劇と歓喜

サッカー界には「ドーハの悲劇」「ジョホールバルの歓喜」「マイアミの奇跡」なんていう言葉があるが、今日わたしが話したいことは、「引越しの悲劇と歓喜」だ。昨年末に引越しをした際、ふとこのことを思い出したのだ。

だいぶ前の話になるが、わたしは入籍後、都内から地元にUターンするため、三月末に引越しをすることになっていた。有給を取ることもせず、仕事をしながらの荷造りは、昨年末の引越しとは違い、まったくと言っていいほどはかどらず、前日などは徹夜で荷造りをしていたほどだ。

引越し当日、たしか朝9時に業者が来る予定になっていた。ちなみにそのときの引越しでは、妻がインターネットで格安の引越し業者を見つけて予約していた。

8時過ぎになり、なんとか引越しができる目途がたち、わたしたちはようやくホッと一息ついていた。二人で労いの言葉の一つや二つ、掛け合っていたかもしれない。
ところが、9時を過ぎても一向に引越し業者がやってこない。たいがい引越し業者というのは、予定時刻よりも早く到着するものだが……。
10時を過ぎ、さすがにおかしいと思い始めたわたしたちは、業者に連絡をしてみることに。

電話をしている妻の声を聞いているうちに、これは何か問題が発生したな……と直感したわたし。電話を終えた妻は、まるで身内に不幸があったときのような顔をしてこう言った。

「引越し屋さん、従業員のストライキで、トラックが動かないんだって……」
「え? ストライキ?」
「うん。だから何時になるとか、わからないって。最悪来れないかも……」

しばらく放心状態のわたしたち。いったいどういうことだ。果たして引越しは無事できるのか? なにしろ、このマンションは明日までの契約で、つまり明日までに必ず退居しなければならないのだ。そして、わたしは翌々日に、地元の新しい職場での入社式が待っている。

妻はとうとう泣き始め、自分を責めるようになにやらブツブツ言っている。
「わたしが手配したからこうなったんだ。黙ってぽっくんに任せておけばよかった」
おいおい、泣いたって、ぽっくんぱっくんまっくんって言ったって、引越し業者は来ないぞ~と言いたかったが、それこそ言っても無駄な話。
ひとまず再度、引越し業者〝ストライキ〟(そう命名しておこう)に電話してみることに。

「あの、その後、どうなりました?」
「申し訳ありません。誰も出社しないんです」
そう話すのは自称パートの女性。とても困っていて、今にも泣き出しそうな声だった。
「そう言われても、こちらも困るんですよ。賠償問題ですよ」
わたしも相当焦っていたせいか、訴える気もないのについ裁判に持ち込むような話し方をしてしまう。
謝ることしかできないパートの女性の声を聞き続けること10分くらいだったろうか。わたしはようやく「何かしら別の策を考えねば」と我に返った。
引越し業者〝ストライキ〟に対しては、もし何か動きがあったら連絡くださいとは話したものの、おそらく今日中に問題が解決することはなさそうだと半ば諦めていた。

さて、どうしたらいいのだろう。簡単に解決できる問題ではなかった。
ひとまず、手当り次第に引越し業者に電話をしてみるも、どこも今日の今日では無理との回答。
そこでわたしは一度考え方を変えてみることに。不動産会社に連絡して事情を説明し、可能なら一ヶ月退居を延ばしてもらえないかと相談してみたのだ。大家さんに確認をとってくれるということだったが、こちらもあまり期待できない様子だった。

あ~どうしよう、どうしよう。
都内での引越しならともかく、東北の地方都市まで。仕事は二日後からスタートするっていうのに。
最も現実的なのは、仕事を退職した妻に一ヶ月ほど都内に住んでもらい、引越し業者を新たに探して後日あらためて引越しをしてもらう。わたしはしばらく地元のアパートで一人暮らしをする――これがわたしが考えた精一杯だった。

徹夜の疲れからか、ストライキのショックからなのか(どちらもだろう)、テンションがひどく低い二人。東京の最後の日を、わたしの元同僚とゆっくりご飯を食べながら過ごす予定だったのに……。

と、そのときだった。わたしの頭に一休さんばりのアイデアが豆電球のようにポッと明かりを灯した。

「友達ぃいいい!!」

わたしの大きい声に、妻が久しぶりにわたしのほうを見た。
「ほら、高校の同級生のアイツ! たしか引越しもやってる会社にいたはず!」
妻の反応もろくに見ず、わたしはその友達ぃいいいに電話をし、状況を説明した。すると、

「夕方になってもいいか?」
「もちろんだよ、何時になったっていい」
「わかった、待っててくれ」

悲劇が悲劇ではなくなりそうな予感がした。
持つべきものは友達ぃいいいだ――そのときほどこの言葉を強く思ったときはない。
わたしの高校時代の野球部仲間(=友達ぃいいい)は運送会社に勤めていたのだが、その会社は都内近郊でも事業を展開しており、なんとその友達ぃいいいは都内の事務所を取りまとめていたのだった。
結局その後、引越し業者〝ストライキ〟から連絡が来ることはもちろんなく、不動産会社には再度連絡をして、退居は予定通り明日でいい旨伝えた。時刻はすでに正午を過ぎていた。

夕方になり、友達ぃいいいから連絡があり、これから向かうとのこと。少しして、友達ぃいいいの会社から五人ものスタッフが来てくれ、あっという間に搬出が終了。そして夜は予定通り、わたしの元同僚と東京での最後の晩餐。その後は都内のホテルに宿泊し、二人とも東京の最後の夜を爆睡で締めくくったのだった。

慌ただしく新生活がスタートし、わたしの生活はしばらく引越しのトラブルどころではなかったが、少し落ち着き始めたころ、友達ぃいいいにお礼の電話をすることにした。
「ほんとに助かったよ。マジでありがとう! ところで請求書は? すぐ振り込むから」
当初、約20万円(これでもかなり安い)で〝ストライキ〟に依頼していたのだから、きっと最低でもプラス10万、あるいはそれ以上も覚悟していた。
すると友達から出た言葉がこれだった。

「とりあえず、今週中に10万振り込んでくれ」
「は、は? 10万って、そりゃいくらなんでも安すぎるだろ。それじゃあ悪いよ」
「いや、いい。お前の頼みだし」

引越しの悲劇が「歓喜」に変わった瞬間だった。
結局、金か? いや、もちろんそれだけじゃない。友達ぃいいいの存在が一番だ。
あれだけうなだれていた二人はどこへいったんだ? 悲劇はどこへいったんだ? ストライキのおかげで、逆に引越し代が安くなったなんて、これはやはり歓喜としか言えないだろう。

「一寸先は闇」なんてよく言うが、次の瞬間のことなんて本当に誰にもわからない。
でも、一寸先は闇ばかりではない。
だから人生は面白いのかもしれない。
振り返ると、わたしの人生、たしかに闇もあったが、闇はいずれ笑い飛ばせるようになる。そのときに、思いっきり笑い飛ばしちまえばいい。そうしていれば、やがて光が射し込んでくるのだ。きっとそうだ。
もし今後、また闇がやって来たら、「引越しの悲劇と歓喜」を思い出そう!――そんなことを考えた年末年始であった。

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