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【短編】無響

思考が停止した。何ひとつ頭で考えることができない。
視界ははっきりしているのに、眼前の景色に対する感情が一切入ってこない。
ぼんやりと「今、自分はここにいる」ことはわかるのだが、それ以上の思考がまったく働かない。
ズキズキと頭痛がするわけではないし、吐き気がするわけでもない。ただ、頭はぼんやりしていて、輪郭が実線で表せない状態だ。脳みそを血液がめぐっているのはうっすら感じるが、今見ている世界は、まるで写真みたいに静止しており、表面的だ。何も感じない。何も考えられない。パソコンのモニター画面にビジーカーソルがぐるぐる回ってなかなか更新されないときの状態とほぼ同じと言ってよかった。そのような世界に、わたしは放り込まれてしまったようだ。

ミドリの顔は思い出せる。だが、ミドリの顔以外の情報が思うように入ってこない。彼女はどんな話し方をして、どんな表情の変化をさせていたか、記憶を失ってはいないはずなのに、わたしの脳が記憶を呼び起こすことができないでいる。額に入って飾られているだけの顔。そこには確かにミドリの顔があるが、それ以上何も考えつかない。

それでもわたしには、〝困惑する〟脳は残されていたみたいだ。いったいどうしてしまったのだろう。この現状を早く打開しなければならない。誰に助けを求めたらいいのだろう。そんなことなら〝思う〟ことができた。だから、一切の思考が閉ざされたというわけではなかった。

では、わたしはこれからどうしていけばいいのか。
思考がまったく働かない状態で、一体どう行動していけばいいのか。しかし、やはりそのことについて考えても、それ以上はうまく頭を働かせることができなかった。

仕方なく、わたしは目を閉じて横になった。眠るしかないと思ったのだ。きっと疲れているのだ。最近特に多忙だったし、休みも取らずに働いていた。一日の中でも、休憩を挟むことがほとんどなかった。少し眠ったら、またいつものようにうまく思考が働くようになるだろう。
とにかく、今わたしが思考できるのはこのレベルまでで、それ以上は考えられない。ならば回復するまで眠るしかない。軽く食べて充分眠れば、きっと元通りになるだろう。

それが二日前のことだった。
それから丸二日が経ったが(その大半をわたしは睡眠に費やした)、わたしには今なお思考が戻ってきていない。
考えようとしても、思うように頭が働かないのだ。目の前に見えるものを確認することはできる。しかし、それ以上のことを脳内は受け付けてくれないし、脳内から記憶が蘇ることも依然としてない。思考の手助けをまったくしてくれないのだ。わたしはついに、完全に行き詰ってしまった。

もちろん、仕事を進めることもできない。幸いわたしは会社勤めをしておらず、自宅で文章を書く仕事をしているため、今のところ大きな問題は生じていないが、それでもやがて何らかの問題に直面することになるだろう。そのときに思考が戻っていなければ、その問題を解決することすらできないのだ。
結局その後も、何日経っても一向に思考は戻ってこなかった。ごく浅い思考のみで生活することになったわたしは、食べて眠ることだけの生活をただただくり返した。

ある日、無響室にいる夢を見た。
わたしは学生時代、工学部で通信工学を学んでいたが、音の伝わり方についての研究をした際、無響室に何度も入った。無響室とは、簡単に言えば「音が伝わらない」部屋のことだ。何人かで無響室に入って会話をしても音が壁に吸収されてしまい、声がほとんど相手に届かない。そのときあらためて、普段、音というものが何かにはね返って届いているということを知ることになったのだが、声が壁につけられたスポンジのような素材に吸い取られてしまうと、声などまったく無力で大声を出しても思うように相手に届かなくなる。もちろん、耳にも違和感が生じる。無響室から出た後の心地よい瞬間をわたしはよく覚えている。
その無響室にたった一人でいることを夢に見たのだ。
その夢にどんな心理が見えるのか興味はなくもなかったが、今はそれについて考える余裕はなかった。

目が覚めても、やはり思考は戻っていなかった。無響室のようにまったく手応えがない。考えようとしても、どうやらわたしのその回路は壊れているようで、ある一定のところまで思考すると、突然脳の活動が止まってしまう。
ミドリはどうしているだろう。わたしのことを心配しているだろうか。ミドリの顔は思い出せる。しかし、彼女が今頃何をしているのか、仕事をしている様子を想像しようにもうまく思い出すことができない。わたしの脳は、ミドリが美容師をしているということだけで止まってしまっている。

わたしは諦めて、食事を摂ることにした。食事といっても、パンを齧ってミルクを飲む程度だ。パンにバターを塗ることもしない(というか、できない)。バターを塗ったパンが好きなはずなのに、それを自分で行動に移せない。わたしはとても浅い思考で生き続けるしかなかった。深く物事を表現できないのだから。

どのくらいの月日が経過したのかわからないが、おそらく一週間とちょっとは経っていただろう。ミドリからは(おそらく)連絡がなく、直接わたしのマンションを訪れることも(おそらく)なかった。その間わたしは一度も外出せず、部屋にストックしてある食べ物を食べ、食べ終わるとひたすら眠った。ときどき無響室の夢を見ることはあったが、思考が戻ってくることは一向になかった。

そして、わたしは考えることをやめた。思考を捨てたのだ。考えようと何度も試みたがそれは毎回失敗に終わり、それが何日も続いたのだから、もう諦めるしかなかった。だが、意外にも実生活で困ることはそれほど多くなかった。浅い思考でもなんとか生活はできたし、しばらくは生活に困らない分の蓄えもあった。そもそも思考を回復させようと考えることすらできなくなっていたため、やることと言えば食べて寝ることだけだった。

わたしに思考が戻るかはわからない。このまま戻らないかもしれない。それはわたしにとって大きな危機かもしれないが、余計な思考がなくなったことで、居心地の良さが生まれてきたことも事実だった。ここまで来れば、わたしは居直るしかなかった。

考えるのをやめよう――。
それが、わたしが辿り着いた答えだった。

考えるのをやめることにしたわたしは、少しだけ安心して布団に入った。以前のように、充分眠ったら思考が戻ってくるかもしれないと期待することもなくなった。むしろ、いっそのこと思考が戻ってこなければいいとさえ思った。
ただ食べて眠る――。
それをわたしが、わたしの身体が求めているのなら、いつまでもそうするだけだった。

その夜、ミドリの夢を見た。
ミドリは、わたしが寝ている布団の横に膝をつき、涙を流していた。
わたしはどうやら、もうこの世に存在していないらしい。
ミドリが何かわたしに話しかけている。
それが思い出話なのか、何なのか、わたしにはまったく届かない。まったく響かない。
しかし、ミドリがわたしの死に涙を流し、自分を責めているらしいことは僅かに感じ取れた。
亡くなった今になって、どうやらわたしには思考が戻ってきているようだ。
それは浅い思考よりもずっと軽く負荷のない思考で、わたしをまったく困らせないものだった。
ようやくわたしは安寧を手に入れたようだ。
これが夢なのか、夢ではないのか、未だにぼんやりとしているが、その辺についてはほとんどどうでもいいことだ。
わたしは、ようやくわたしを取り戻したのだから。(了)

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