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Shape Shifter (シェイプシフター):自己紹介


今更ながら、自己紹介をします。

・名前の由来と英語との出会い
・学生時代
・ボールペンを投げつけられる社会人生活
・運命を変えたフロリダの世界大会
・人間不振になった時期
・シェイプシフターとして生きる決意



名前の由来と英語との出会い

今までの人生のありのままを記事にまとめてみました。

名前:スミス エリー 

「いとしのエリー」から名前をもらっています。

日本では「ERI」っていうスペルだけれど

16歳で単身でカナダに渡った時に、クッキングクラスの先生に、「発音しにくいからELLIYはどう?」ってスペルを書いて渡されて、それ以来はエリー。15歳まで宮城県の港町で育ちました。(いつも関西か沖縄、又はどこかのハーフと間違われるけど)


9歳の時、初めてオーストラリアに家族旅行した時にホテルのエレベーターの中で、あるファミリーに話しかけられたんだけど、何言ってるか分からなすぎて、同じ人間なのに言葉が全く理解できないことに衝撃を受けます。

それ以降、母親に頼んで「初めての英会話」を本屋さんで買ってもらって、毎日ひたすらそれを見続けては、CDを聴いて、自分の発音がCDと同じ発音になるまで、100回くらい繰り返し言い続けるのが、ただ楽しかった。


そんな中、今度は兄が洋楽を聴き始めちゃう訳で、テンポが速すぎて英語がまた別の全然違う言語に聞こえることに衝撃が走って、今度は曲から英語を学び始めます。これは、10-11歳。


かと思いきや、話題になっていたハリーポッターの映画が公開されて、ダニエル・ラドクリフに恋をしちゃうのが12歳。


彼が話している英語が全く違う響きであることに、新たな衝撃を受けちゃって、英語にもナマリがあるということを知るんです。そこから、ハリーポッター超観る毎日になります。


学生時代

そこからの私の人生は、これらの連続衝撃事件により、海外の文化と言語に浸りがちな思春期を過ごすことになります。

兄が甲子園の夢を叶えられなかったので、私はチアリーディング部がある高校に入って兄の代わりに甲子園へ行ってあげようと決意します。


英語の発音ができていたから、高校は留学ができる高校か、外国語にがっつり浸る高校生活を送りたいっていう、ただそれだけで理由で、高校を決めました。

当時、ソフトボールでも特待生として推薦をもらえていたけれど、英語でスカラシップをもらった高校へ進学を決めます。


高校入学して、1ヶ月後に経験した交通事故で、全ての環境を変えなくては生活できない状態になり、目標としていた留学へ、単身でカナダへ行くことを決断します。

その経験がなければ、通らなかった道なのかもしれないとさえ今は思えてくる奇跡に沢山出会いました。


そして留学も叶えて、帰国後は甲子園にも出場が決まり、
東京にある大学へ進学し、国際文化交流学部を卒業しました。


ボールペンを投げつけられる社会人生活

旅行が大好きで、大学時代にラオスの国際ボランティアへ一緒に添乗してくださった添乗員さんに憧れて、大手旅行会社へ就職します。何よりも祖父が喜んでくれることが嬉しかったから。旅行の仕事をしていた祖父の喜んでくれる顔が見たかったから。そんな理由で就職。



でも、当時の職場の人たちが私の目にはロボットに見えてしまうんです。
きっと私の目がおかしかったんだと思うんだけれど、オフィス環境というものに抵抗を持ちすぎて多動な私はじっとしていられないわけで。笑


会話をせず、機械的な作業に、これはもはや人間がいる環境なのか、と恐怖心にかられてしまい、完全にコミュ力皆無な状態に陥ります。


理想と現実のギャップに非常に苦しみました。


ある時は「仕事が遅すぎる」と言われながら顔面にペンを投げつけられて、顔から流血した時は、私の頭の中から「石の上にも三年」という言葉が抹消されたのを、鮮明に覚えています。



その環境に居続けたら、自分が石になってしまったのではないかと思えるくらいの怖さを感じました。入社して6ヶ月目で、将来はこの会社にいないことを確信した私は、辞めようにも、周りの目が気になってしまったり、家族から反対されることを恐れてすぐに行動できない自分がいました。


運命を変えたフロリダの世界大会

でも、そんな状況を、まるで神様は見ていてくれたかのように、突如「チアリーディング世界選手権」の話が舞い降りてきます。

「フロリダの世界大会のメンバーとして出場して欲しい。」


そのオファーが、後々の人生に大きな転機となるのです。
「とりあえず練習風景見に行きますね!」そんな感じで、私は練習に参加しつつ、数日を過ごすうちにメンバーに加わっていました長期間の練習を経ていよいよ、世界大会、フロリダへ。

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フロリダのディズニーワールドの会場で、トイレの列で待っている間に、後ろのアメリカ代表の子が話しかけて来て、世間話しをしたことが、大きな人生のきっかけになります。


アメリカ人(以下ア):「韓国人?」

私:「ううん、日本人。」

ア:「へー随分、英語綺麗だね。日本では何やってる人?」

私:「旅行代理店で働きながら、この大会まで準備して来たよ」

ア:「日本って過酷ね、私は仕事はしないで、選手になるためだけにやって来た」

私:「それで生活できるの?」

ア:「しようと思ったら、どんな手を使ってでもできるわよ。本当にチアがやりたかったし、集中したかったから」

私「そうなんだね。すごい覚悟。私にはそんな覚悟なかったな。」

ア「もちろん、親とか周りの友達は反対してるけど、でも今回の大会でメダルを獲るって決めているから、獲ったら、これで私のチア人生は終わりにしようって決めてるし、そう伝えてる」

私「......(圧倒される。) 笑」

それを察したかのように、彼女が続ける。

ア「お互いに欲しいメダルの色が獲れるようにベストを尽くしましょうね!またアリーナでね!」

私は、正直、チア人生の中で本場アメリカの大会に出場させてもらえて、

いろんな環境を与えてもらっただけでも
結構脳内破壊だったのに、

まさか同世代の子に、こんなに衝撃を受けることになるとは1ミクロンも思っていなかったのだ。


どんな手を使ってでも….できる。

その覚悟は、本当に決断している人しか、
言えない言葉に感じた。

今でもしっかりとその言葉の一つ一つを思い出すことができる。

そして私達日本のチームは功を奏して、
銀メダルを手にして日本に帰国することができました。

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私は、そのフロリダの世界大会期間だけで、大きな何かを得て、帰りのフライトの中で、ある決心します。

日本へ帰国後、メダルを見た会社の人たちの態度は一変しました。

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更に、数万人といる会社の社内新聞に掲載したいとのオファーまで来たのです。そして、帰国して3日後には、退職届を提出しました。

それが私がフライトの中で決断した、私の中での大きな決断でした。次の職場や、やりたいことは何も決まっていませんでした。

やりたいことを模索していたし、もっと自分自身が自立できて、何かを探してみたくて、周りの目から縛られないって決めていました。

そして、退職後に、家族に事後報告。

もちろん大激怒。



世の中の動きや、Exectiveクラスの人に会うためにはどんな仕事があるか必死に探していました。

だったら、社長秘書になってみよう!!と、なぜか突然脳裏にその言葉がよぎり、それからは、運良く面接にも合格し、私は社長の秘書として働き始めます。

見える景色も今までと180度違って見えれば、接する相手も一気に変わり、接する態度や習慣も変わりました。

本社は海外の企業だったので、24時間発生する全ての出来事に臨機応変に対応しなければいけない。一言でまとめると、すごく、しんどくて、いい経験でした。

当時、全然使えていなかった英語も必死になって学び直しました。

でも同時に垣間見えたのは、女性社長が男性と同じ業務量で、結婚をせずに仕事の時間に追われストレスを抱える姿も見て来ました。そして私も同じ体力で、その彼女を支えなければいけなかったのです。どこか気が狂いそうな時期もありました。


実際に気が狂ったのか、
嘘のような本当にあった昼ドラ的なドラマが
ここから繰り広げられます。


人間不振になった時期

ある日のこと、半年以上かけて進行させて来た数千万円の大型プロジェクトの終盤に差し掛かった時、取引先の取締役からプロポーズされるんです!

唐突に!!

このなんでもない小娘にプロポースですよ。ちょっと、というかかなり怖いんだけれど、目の前で指輪を出されて、私は仰天するわけですよ。


プロジェクト以外で関わったこともなければ、
興味も全くなかったわけなので、丁重にプロポーズをお断りさせていただきました。


この出来事は、この時点では、誰一人として一切公言することなく私と当人しか知らないはずの事実でした。


翌朝、私がいつも通り社内へ「おはようございまーす!」と元気よく入ると


シーーーーーーーーーーーーーーーーーーン

(え?なに?!、、、、、え?!、、、、、怖ッッ!、、、へぇ?!!!)


そして、もう一度、

「お、、、はよう、、ご、、ざいまぁ、、すぅ。あのぉ〜、、、何かあったんですか?」


と勇気を出して、私は極細な小声で隣にいる社内の一人に声をかける。

「いいから、黙ってメール見てみろよ」


(え、、、?なんなの?、、、、本当に、、、え?!、、なんで怒ってるわけ?、、、?態度悪!)


そして渋々、自分のデスクトップを立ち上げると、

「お前のせいでプロジェクトが破棄になったんだ」

「お前のせいで全てが水の泡だ」

「お前なんて、消えろ」

「お前、どんなことしたかわかってるのか。この俺たちの数ヶ月かけてきた動きを隣で見てきたにも関わらず、、、」

ざっと100件くらいのメールがズラーリ。。


もぅ、、、活字でうまく伝わらないけど、

細胞から震えました。

毛細血管とかでさえ、

鳥肌になってたと思うくらい、

息してたかも覚えてないくらいの感情でした。



時間が経った後から聞いた話だと、女性社長が取引先の取締役を好きで、
そして私がプロポーズを断ったせいで、その取引先の取締役がプロジェクトを破棄にすると言い放ったそうで・・・よくよく考えたら、私、数千万で、、、売られるところだったのかな?

プロポーズ断ってなかったらプロジェクト成り立ってたってことかな?、、、


そんなこんなで、相当な人間不振になるわけです。立ち上がるのには、相当な時間が要しました。

私が唯一、強く立ち続けられたのは、「私は、自分に嘘をつかなかった」その想いだけが、私を支え、その日まで激怒していた私の両親でさえも、この泥沼事件を知ってから、とてもサポートしてくれるようになりました。



でも、人間不信な過去が結構、
ずーっと重たくて自然と引きずってしまったのとIT業界の中で残業も深夜まで続いていたので、ストレスと、過労で救急車で運ばれてしまいました。笑


当時、仕事が忙しいという理由で、デートができないとは言いたくなくていつも何時間も待ってくれていた彼と時間を過ごすために、ちゃんとデートの時間を作ってあげたい...そう思っていたら、倒れてしまいました。笑


シェイプシフターとして生きる決意

しかし、結婚してから、
彼が私に言い続けてくれた言葉があります。


「もぅ倒れるまで働いちゃいけないし、
30分でも1時間でもちゃんとゆっくりした時間を取ろう」

そして、いよいよ彼が私に言ったことは

「エリーの心が平安じゃないなら、一緒に働き方を考えていこうよ。」

そして、新たな道を考えるきっかけが、ここでまた生まれます。

この時期に本気で、時間、空間、収入に縛られない働き方をしていく

ということに本気で向き合っていくことになります。


アシスタント5人のトレーニングをしていた時、物事をわかりやすく砕いて教えることが得意だし、好きかもしれない、ということに気づきました。


そして、ファッションコーディネートは、
その人の体系や表情によって、自然とカラーやコーディネートが頭に浮かんでくることは頑張らずにできていたことだと気づいたんです!


よし!そうと分かったら、早速、どっちもやってみようー!!!!ということで、


現在は世界中にある外資シェアオフィスの受付嬢を育てるトレーナー兼マネージメント業務をしながら、


ファッションコーディネートをし続けたことが繋がって、

今はプロデュースをさせていただきながら、時期後任者をトレーニング中。そして、女性のライフステージが切り替わった瞬間に生まれるギャップや、収入格差、時間の拘束について、同世代の女性だけではなく、多くの人が抱えている悩みは同じなのではないかと思い女性がありのままでいれる
オープンスペース、いわゆる居場所を創りたいと思っています。

それぞれの在り方や、将来の選択肢が増えるようなコミュニティープロジェクトを発動中です!



とにかく今まで通り、その環境に身を置いてみて自分自身が環境に適応できるか、はたまた環境が適応してくれるかはわかりませんが、今まで通り、全て楽しみながら進めていこうと思っています!


女性はライフイベントごとに大切なものが変わっていきます。


子供が1人と2人では、大幅にライフスタイルも、時間の使い方も変わるでしょう。自分の今あるスタイルをもっといい形で磨ける場所が必要で、もしくは発掘してくれる誰かに出会うことが、人生の大きな変化につながる。


これからは時代や環境に合わせて、シフトしていく力が求められているのだと強く感じているんです。


テクノロジーが進んでいるこの時代に、将来を先読みするのは意味のないことだと思っていて、ただ、私たち人間にできることをとにかくただ、やってみる。

できないこと、辞めてみる。やらなくていいこと、やらないでみる。


それより毎日を明日後悔しないように生きてみる。


って15歳のあの事故を経験してから決めたんです。先読みは、できる人にお願いして、私は毎日できるベストを尽くすって決めたんです。今、この瞬間でも、私は明日死んでも後悔がないように、いつも伝えたい時に伝えたい人に自分の想いを届けられるように。


私の幸せの基準は、
帰るところがあって、、
美味しい料理が食べれて、
暖かくて心地いベットで寝ること、
それだけで、十分。笑

それ以外、今あるすべてのものはギフトだと思えるんです。
帰るところがわからない子も、暖かいベットで寝ることもできない国の人々も沢山いる中で、私は生かされた意味をちゃんと伝えていくべきだと思うんです。



私が見たいのは、
自分達の生活の良さじゃなくて、誰かの夢をたっっくさん応援できる影響力と収入の先に、必要なところへ旅をしながら仕事をして、関わった地域と人を幸せにしたいし、東京以外の盛り上がりももっと作って行きたいと強く思っています。


この多様性社会の中で、沢山のライフスタイルの選択があることを示して行きたいんです。そして、それが結婚して子供がいる女性でも、実現できるって信じています。


バランスが取れる未来にできる、と信じています。これからの世の中はもっと面白くなっていくし、女性こそもっと声をあげて行っていいと思っています。


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どの時代でも適応できるシェイプシフター(Shape Shifter:変幻自在)の姿を見せていけるように、バンバン発信していきたいと思います。


皆さんの応援、よろしくお願いします!
長いプロフィールを読んでいただき、ありがとうございました。


「おもしろかった!」「感動した」「ながいよ、こら!」などの感想ございましたら、ぜひコメントをお願いします。


Elliy
XXXX

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