どこにも居場所がなくても生きている

夏休みは地獄だった。
夏休み明けはもっと地獄だった。
どこにも居場所がなかったわたしは20歳で死ぬ予定だった。
気付いたら6年も予定より長く生きている。
そんなわたしのおはなし。

中学生の頃からわたしには居場所がなかった。
学校では全校単位でのいじめのターゲット。
家では両親、妹との全面戦争。
帰ったら心が緩む、学校に行けば話せる人がいるそんなどちらかに救いがある状況ではなかった。
夏休みは部活もない為一日中家で過ごす事になる。
中学生なんて遊ぶか部活がメインになるなか、友達のいないわたしは図書館に通うだけの日々を送り、家から距離を取るようにした。
そうでもしないと心が壊れてしまいそうだと、わからないながらに感じていた。
まだ、いじめられていても朝8時から夕方4時までの制限がついている学校に行っている方がマシだった。

だからといって夏休みが明けて学校に行くのも憂鬱だった。
学校についたらその瞬間から浴びせられる言葉の弾丸。

でも、今このテーマに合わせて書き始めてなかなか思い出せないのだ。
何をされたのか強烈な数個のエピソードを除いて。
あれだけ居場所がなかった学校、家。
あれだけいろんな人に暴言を吐かれた学校での日々がぼやけてしまい、どうやって過ごしていたかなんてまるでなかったかのように思い出せないのだ。

26歳になった今でさえわたしは居場所だと感じられる場所を見つけていない。どこかに違和感を覚えたり、なにか違うなと思っている。
それでも、何となく綱渡りのようだけれど生きている。

死にたくて、消えたくてたまらない。
そんな事を14年感じながら、実際に消えそうになりながらでもわたしは今生きている。
わたしは逃げる事ができなかった。
その場で空気になり、人にののしられる方を選んだ。
それでも生きている。
強くなんかない。
弱いんだ。
逃げる勇気がなかった。
何となくでいいんだと思う。
そうすると気がついたら20歳を超えているから。
逃げる勇気があるのなら好きな場所に逃げたらいい。
図書館でも、頼れる人の家でも、街中でも。
どこかに、どこかにひとりもしくは1匹、1羽、人間以外の何かかもしれないけれど、そっと見守ってくれたり、手を差し伸べてくれるなにかがあるかと思う。


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