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トロッコを止めてくれるヒーロー

※アベンジャーズ・インフィニティーウォーのネタバレがあります。

少し前、田端信太郎氏の発言が炎上していて、その内容自体の是非はとりあえず置いておくにしても、彼は太った男を突き落とせる人なのだろうなと思った。

マイケル・サンデルが例に出したことでも有名なトロッコ問題は、色々なパターンがあるけれど、たとえば5人を轢こうとしているトロッコを、太った男を突き落とせば止められるとしたら、あなたは突き落としますかという思考問題だ。

単純な算数でいえば、1人を殺せば5人が助かるなら、その方がより望ましい。
5は1の5倍だ。

でも、本当にそれは正しいのだろうか。

人間を数字に置き換えることは可能ではある。
だが、数字に置き換えて計算をしてしまうことは、とても危うい。(何人をいかに効率よく殺せるか……極端な例はホロコーストだ)

1人を見捨ててでも、より多くを救うべきだ。
その考えは、アベンジャーズインフィニティ・ウォーでも何度も繰り返された。
凶悪なトロッコ(サノス)の前に無力なヒーローたちは、彼を止めるため、やむを得ず大事な人を殺そうとする。
過剰なほどに、そのシチュエーションは何度も繰り返される。

太った男を突き落としてトロッコが止められれば、ひとつのハッピーエンドには至れるのかもしれない。
現実にはそういうシビアな場面もある、という人もいるかもしれない。
でも、本当にそれが救いなのか。

未来を見れるドクター・ストレンジは、目の前の一人を犠牲にせず、石を差し出す。
それをしてしまったら世界が終わるのに。
思い返せばシビル・ウォーで、キャプテン・アメリカはただ一人の親友を助けた。多くのものを敵に回して。
もしキャプテン・アメリカにトロッコ問題を突きつけたとしても、彼は男を突き落とすという選択肢を絶対に選ばないだろう。
そのことは、私をひどく安心させる。

シンドラーのリストでも登場する有名なユダヤのタルムードの言葉に、「一人の人間を救う者は世界を救う」というものがある。

1人を見捨てて、多くを救えるのだとしても、それは本当に救ったことになるのだろうか。
数字の上ではそうかもしれない。
でも、より数として多くを救えても、それはあくまで算数の話だ。
死んでしまった子供を、他の子で代替することは不可能だ。リスクヘッジなどできるわけがない。

数字の1なら、取り替えられても、人間は違う。

1人の死は全世界に匹敵する。
なぜならその1人は、他のどんなものとも換えられないから。
タルムードの言葉を裏返すとこうなる。1人を見捨てる者は、世界を救えない。

アベンジャーズ インフィニティー・ウォーは二部作の前半であり、後編まで見ないと映画の評価は難しい。

でも制作者たちはこの時代にヒーローを描くということにとても自覚的だ。たぶん、その先を見せてくれるのではないかと思う。

もともとヒーロー映画には、大きな建築物や自動車、船舶などの動きを止めようとヒーローが奮闘するシーンが多い。

理不尽でどうしようもなく巨大なものを、止めようとすること。

現実にはトロッコを止める手段なんてなくて、5人を見殺しにするよりはましな選択をすべきだと現実主義的な人は言うのかもしれない。
そうかもしれない。
太った男を突き落とせば、5人は救える。
現実にはヒーローなんて来ないのだから、突き落とせと。

でも私たちは信じている。

ヒーローはいる。だから祈る。どれほど無駄だと笑われようと、そうせずにはいられない。

巨大なトロッコを、いつか止められると信じている。

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