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エッセイ:俺が魔法少女になった日

 ※本日の日記(2024年4月14日 晴れ)はあまりにも書くことがないので特別編として代えさせていただきます。

 記憶が正しければ、本日は記念日である。12年前の今日、俺は魔法少女になった。
 多感であった当時の俺は、止せばいいのにTwitterのなりきり界隈に足を突っ込んで、貴重な青春をすり減らしていた。卑しくも「魔法少女まどか☆マギカ」の“暁美ほむら”を名乗り、以後5年近くにも渡って、病める時も健やかなる時もずっと彼女になりすましていた。振り返ればまこと異常者であったとしか言いようがないが、ここで得た酸いも甘いも噛み分けた経験の末に行き着いたのが、今のネットリテラシーとこのnoteである。
 当時、高校に入りたてだった頃の俺は既に深夜アニメに脳を焼かれた“アニメくん”であり、あまつさえ俗に言う冷笑系、やれやれ系主人公から教育上非常に好ましからざる薫陶を受けた、まったき高二病患者であった。俺はお前たちとは違うんだぜ、的な今もなお引き摺る自意識がより強くより剥き出しのまま、まさしく「人と話すと人間強度が下がる」という阿良々木暦の箴言を体現した存在である。そんな他者を完全にシャットアウトした人間に、友人など出来ようはずもない。たちどころに絵に描いたような孤独を極めていった。

 そんな荒んだ時期に「魔法少女まどか☆マギカ」を観て感銘を受け、心を入れ替えた俺はその後、クラスの人間ひとりひとりに握手を求めて打ち解けられるようになった。他者と折り合いをつけること、“折衝”が作品から学び取った事である。しかしそんな美談とは裏腹に、あれだけの苦難を経てもなお妥協せざるを得なかった暁美ほむらの報われなさを想うと、胸が張り裂けんばかりであった。どうにかこうにか、彼女にとって幸せなルートを模索してインターネットをさまよった結果、たどり着いたのが「まどか☆マギカ」のなりきり界隈、通称“まどなりクラスタ”だった訳である。

初期のアイコン

 まどマギクラスタ、今で言う界隈にはいろんな人たちがいた。作品の主要キャラはせいぜい5人くらいなので同名のキャラクターで氾濫しているが、各々が独自のコンセプトに基づいているので、意外と同担拒否みたいな事象は発生しにくい環境だった。例えば必殺技「ティロ・フィナーレ」からの連想で原作よりもいっそう中二病要素を拗らせたマミさんがいたり、文学少女じみて深遠な言動の佐倉杏子、果ては想い人である上条恭介の趣味に付き合っている内に詳しくなったという体で、やたらとサブカルチャーに知悉した美樹さやかがいるなど、最低限度の体裁を繕ってさえいればなんでもありの煮凝りだった。俺自身も始めた当初こそ原作終了後に迷い込んだ時間軸という設定の元、「もし暁美ほむらがTwitterを始めたら」をコンセプトに比較的に個性の薄い正統派のなりきりを志向していたのだが、周囲に揉まれるうちになにやら変な色がついていったように記憶している。ちなみに変な話だが、その中でも特に仲良くなった人たちとはいわゆる「中垢」、即ちなりきりではない本人同士のアカウントを教え合うなどして交友を深め、実際に何人かとはオフ会まで開いた事がある。”中の人”の大半は俺も含めて学生であったが、意外にも高学歴の割合が多かったと記憶している。うちの学校も地域ではそこそこ覚えがある方だと自負しているが、それでも彼らとの比較では偏差値的に最低ランクだったくらいだ。

 さて、しかしどんな界隈にも年功序列、新参と古参が発生するものである。こちらでもなりきりを始めた時期によってなんとなく世代が区別されていた。この区分から言えば、俺は放送終了から1年後の2012年勢に当たり、相対的に放送当時から平行して現役だったのが2010年勢の最古参である。当時からすれば“彼女たち”が持つ「@homura_akemi_」みたいな混じり気のない綺麗なIDこそ正統派の証として羨望の的であったし、当人たちもそれを誇りに思っているらしかった。また、その名を背負うだけの責任感もあったらしく、時に企業公式アカウントとそれらしく戯れてフォロワー数とインプレッションを稼ぎつつ、自分こそ唯一の存在として同担拒否を貫き、下の世代の同キャラをほぼ一切関知しない徹底ぶりであった。
 そういった所への羨望からだろうか、日ごろ戯れていた同期のアカウントの中からも急に正統派への回帰を図り、“なりきり論”を振りかざす自治行為で周囲から隔絶する動きが時折あった。アニクラで喩えるなら客前で行うDJ論とか、界隈に入った当時は創作ダンスを嬉々としてやっていたのに、いまや腕を組んでサンダースネイクしかやらなくなってしまうあの現象と極めて酷似している。閉鎖的なコミュニティとは往々にして人間の精神に影響する作用があるのだろう。ただ、結果としてそういうタイプほど界隈そのものに見切りをつけるのも早く、さっさと解脱してしまうため、俺の思い出の後期にはほとんど見かけなくなっていた。どこも同じものである。

 思い出は尽きないが、ひとまずはこんな所か。まだまだ中の人同士の泥沼恋愛事情とか、鍵垢談合ロル回しみたいな面白い話も枚挙に暇がないが、思いのほか文字数が掛かりそうだ。エッセイとするか、はたまた実体験を元にしたノンフィクション小説とするかは悩みどころであるが、機会があればまた振り返って書き起こしたい。灰色の青春が少しでも報われることを願って……合掌。


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