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【麒麟がくる】脚本家 池端俊策氏 講演会 内容まとめ④

池端俊策氏(脚本家)講演会
脚本家の仕事~NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を振り返って
(2023年1月23日埼玉県蕨市開催)
講演内容まとめの続き

池端先生の講演会 内容まとめ
①はこちら
②はこちら
③はこちら
⑤はこちら


悪く言われていた人だからこそ面白い

何を書きたいか、何を書けばいいのかを
瞬間的に決めた時、
光秀という人は裏通りを歩く人だと思った


足利尊氏

足利尊氏も光秀と同じように悪く言われていた人で
明治時代では国賊のように言われていた
南朝の後醍醐天皇を追い出して北朝を立てた張本人、
尊氏によって南北朝ができたから
不届きものだと歴史的に抹殺される
だから、足利尊氏をよく書いたものはない

でも、足利尊氏が約200年の室町時代の基礎を築いた
ついていく人がいたということは
言うほど悪い人ではなく、
どこかいいところがあるはずだ

悪く言われている人はけっこう面白かったりする


誰も知らない光秀の人物像をつくる

昔は40、50歳で亡くなるから
50歳まで生きられればバンザイ 信長も50年
という時代に、明智光秀は40歳まで
《何者で、何をしていたのか》誰も知らなかった

そういう光秀を
直感的に面白い!と選んでしまった自分がいる

40歳まで誰も知らない見たこともない人だから、
光秀とはどういう人なんだろう?から始まった 

************
特に光秀は、
信長を殺した薄暗い悪い人というパターンで
片付けられてしまう

でも自分は悪い人ではない光秀書こうとしている
なぜそう思うのか》を自分に問いかけながら
資料を見て人物像をつくった
*************

資料を読んで分かってきたことは
光秀は   信長将軍足利義昭   二人に仕えていた
ということははっきりしている



 

源氏か平家 人物像に外せない要素

信長は自分で平家と言っていて、
光秀は源氏の流れをくむ

源頼朝源氏
徳川家康源氏 
 
(新田義貞の流れをくむ源氏だと言っている)
足利源氏  
 (だから、足利と新田は一緒に鎌倉を滅ぼす)

源氏であるか、平家であるのか
というのが日本人の中にある

平安朝以降、
平家源氏が政権を代わる代わる取っていて、
関東はだいたい源氏であり、
どちらかというと仲間が多い源氏が優勢だった

鎌倉殿の13人の北条平家だと言っていて、
平清盛は平家だから大丈夫だろうと北条に頼朝を預けた

裏の流れというのが武士の世界にはあり、
俺は源氏だ」というと立場が良かった 

先生の口から「鎌倉殿」思わず興奮


光秀が源氏の流れであることの重要性

信長は越前か越後の神官の流れであるが
平家だと言っている

足利義昭は源氏だから、
光秀がどこからきたのかというときに
源氏です」と言えば光秀をあてにする

そういったことがだんだん頭に入ってくることで、
光秀が信長と足利両方に仕えていて、
どちらかを選択する時、
光秀同じ源氏だからということで
最終的に足利を取ったのだ
と想像する

歴史学者のチーフ
池端さん 源平というのは抜きにして考えられない」と


最終的には、

何流であるか・もともとどこの流れをくむのか
桓武天皇の平家か・〇〇天皇の源氏か
 

そこに行きつく
それは馬鹿にできないと常に頭にある




光秀が世に出てきた過程 考え始めるまで1年

光秀は信長の方に先に仕えている
光秀は足利と信長両方に仕えていて、
信長は道三のところからお嫁さんをもらい、
その道三の弟子筋が光秀。信長の方に先に仕えている

光秀は信長によって世に出してもらった
信長と一緒に40歳で都に出て、
信長によって世に出してもらったという形がどうもある
(光秀は元々、都でいろんな形で活躍していた)
 という説もあるが、その説ははっきりしない

光秀は信長と一緒に京都に入り足利を支える

こういったことを考え始めるのに1年くらいかかった


楽しくてしょうがない人物像創り

・それぞれの人物がどういう立ち位置にいて
・この事件が起きた時に彼はどこにいたのか
・そこでなぜ動いたか、動かなかったのか

節目節目のそれぞれの人物を
全部で20名から30名の香盤表みたいなものを作る

何年の何月この人はここにいたのか
調べられる範囲全部調べ上げる

そうすると、信長と光秀が戦っている時に
・この男はどこで何をしていたのか
・武田信玄はどこで何をしていたのか
というのを全部想像できる

・なぜこの仲間に加わらなかったのか
・家康はなぜここで加わったのか
・越前を攻めに家康は参加しているがそれはどうしてか

そういったことを逆算しながら、
それぞれの人物を創り上げること1年間でやって、
その結果が紹介した下書き(生原稿)に入っていく

いろんなことが分かってきて、
やっていて楽しくてしょうがない。


歴史学者に見せて確認すると、
人間の本当のところの行動は分からない
ということもあり、
ドラマ上だから》という前提で「これでいい」と
自身の仮説が全部認められていく


先生の「楽しくてしょうがない」という言葉
相当に楽しいのだろうなと伝わるテンションだった
こんなに楽しんで 麒麟がくる が生み出されていた喜び



ストーリーは歴史が作り 過程は脚本家が作る

自分の父親ですら何年に何を考え何をしていたか
わからない。親のことですら分からない

当時の人物たちが歴史書手紙にも残っていない時間で
何を考えていたかは誰にも分からない

そこを埋めていくのが脚本家の仕事。人間を描く

ストーリーというのは歴史がもう作っている
本能寺までのストーリーはもうできている

プロセスは我々脚本家が創る
その人物がなぜ本能寺まで行くのかという
過程を丁寧に描いていく

先生はこのあたりで
「時間大丈夫かな~」と気にされる (2回目)
ここでも先生のカワイイが発動

つづき⑤はこちら

※念のためですが、記事については
 あくまで個人作成のものであり公式ではありません
※うろ覚えのところもあり
 一部正確でない部分もあるかもしれません

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以下は参考まで

①日本人の中にある源平という概念
まさにこの話をしていた番組があったので紹介。
とても分かりやすかった。現在配信が無いようなので、再放送や配信があれば興味のある方にとてもおススメ


②お話の中にあった歴史学者のチーフ
時代考証の小和田先生のことかと思ってお話を聞いていた。どうする家康の記事に小和田先生の「麒麟がくる」についての言及があったので紹介

該当部分抜粋

麒麟がくるの面白さは
小和田先生のこういった柔軟なスタンスという
要素からも生み出されたものなのだなと

池端先生と小和田先生
話し方がゆっくりしていて優しい口調 癒し〜
お二人の波長に同じものを感じる


戦国・小和田チャンネル
麒麟がくるの放送中欠かさずチェックしていた 
池端先生の解釈と時代考証のことについて言及されている場面もあり



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