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いじわるな子は嫌いなままでいいのかも ――「となりのせきのますだくん」を読む


もし、自分の子供が小学校に入って、「となりのせきのますだくんがいじわるしてくるの」と言ったら。私はなんて答えるんだろうか。

そのくらい放っておけばいいのよ? 先生に相談してみたら? 無視すればいいじゃない? 仕返ししちゃえ? 


数十年ぶりに「となりのせきのますだくん」の表紙を見た。強烈な懐かしさを覚えるとともに、どういうストーリーだっけ、と頭をひねった。

とにかく、ますだくんがいじわるだということは覚えている。机の真ん中に線を引いて、消しゴムのカスがますだくん側にはみだしただけで、ぶってくる。とにかくますだくんはいじわるでいやなやつ。それは覚えている。でも、それ以外は覚えていない。


だから、久しぶりにその表紙を開くとき、妙にドキドキした。正直、途中からは少し怖かった。もしかしたら、学校の先生が登場して、「ますだくんの気持ちも考えてあげて」とか言い出すんじゃないか。主人公の女の子が「ますだくんは淋しかっただけなんだね」とか言わされるんじゃないか。そんな、道徳の教科書っぽい結末を勝手に予想して、勝手にうんざりしていたのだ。


しかし、そんな私の安易なうんざりを、作者はちゃんと裏切ってくれた。ますだくんは、ちょっぴりかわいげもやさしさも持っているけれど、でもやっぱりいじわるで、主人公はちゃんと、ますだくんのことが最後まで嫌なままだ。


子供が「意地悪された」と悩んでいたら、大人はなんて言えばいいんだろうか。ついついアドバイスしてしまう気がする。得意げな顔で、こうしたらいいじゃん、と言ってしまう自信がある。

でも、この絵本は、何も言わない。意地悪な子がいる、いやだ、ぶたれたら痛い、学校に行くのが嫌だ。その気持ちを、ただ書く。ますだくんが反省しても、むしろ好意を持っていても、悪人ではなくても、やっぱりいじわるされるのは嫌なのだ。


もしかして、私がこの本をとてもよく覚えていたのは、誰かと仲良くしろとも、無視しろとも言われず、ただ自分の「嫌だなあ」を肯定された気持ちになったからかもしれない。今となってはもう覚えていないけれど。だって、子供向けの本には、「誰のことも嫌いになっちゃいけないよ」というメッセージが込められているものも少なくなかったから。



息子が生まれてから、絵本の世界にふたたび出会って、その自由さに驚くことがたくさんある。手に取った中には、「これのどこが面白いの?」と思う絵本もたくさんあって、そういうものにかぎって、息子が気に入る。よく笑って、夢中になって、繰り返し読む。私から見たら、全然理解できない、あまりキャッチボールできていないような台詞だけで進んでいく絵本たち。


息子は、母親と分かり合えないことも、絵本の中の誰かとは分かり合える。絵本の中に、味方がいる。まだ小さな彼に、そんな存在がいることに、ほんの少し安心する。



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