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ブレインフォグとの向き合い方~予想と治療編

ブレインフォグとは、脳の霧と言われ、ぼーっとする、視界が曇っている、決断力や思考力などすべての行動の判断もできなくなる状態。
前回、思考の工夫を書いていたら、病気になって気がついたブレインフォグが強くなる要因も知っていたら楽に過ごす時間が増えるかも……と思い書いてみた。


ブレインフォグ歴6年くらいの私より

『ブレインフォグ悪化予報一覧』

二日前から影響する物

低気圧
台風
潮汐力(新月・満月)

からだへの負荷が強くなる物
疲労
人工的な光(例えば:白熱灯)
圧が強い音(例えば:空気を含ませる拍手が激辛い)
人の会話が行き交ったりザワザワしたところ 
負の感情が強い空間や人の言葉

この病気になってから、低気圧や台風、新月・満月の二日前に体調が悪化する。低気圧当日よりも変化に弱いため、晴れてようが二日前の方がしんどい、摩訶不思議な現象が起きるからだになった。

最近は症状が悪化すると知ったことで、なぜ体調が悪いのかという不安はなくなり「くーー今月もヤツがきたな……」
天気図の等圧線の狭さをみては、「これは、からだにくるぞ!危険だ!」
などなど俯瞰してとらえ、心構えをする脳みそへと進化もした笑。

台風と新月と掛け合わせは、ブレインフォグだけでなく関節と筋肉の痛みとしびれと倦怠感が強々でやられまくって「拷問かよ……」と闇の中にいることもあるが。そんな日には、踏ん張らずに自分を愛でて、woltデリバリーは神様です。と有り難くなっていたりもする……笑。
私はHSP(繊細さん)傾向もあるため、怒りや嘘、相手に自分の意図を委ねるような言葉や会話の違和感でブレインフォグも悪化しやすいので、そんな時は逃げる、もしくはそういう方とはそっと離れる…w
日常的に体調に合わせて、なるべくザワザワしない落ち着いた所にいるように過ごしている。


EAT(上咽頭擦過療法)の効果はいかに……

以前のnoteにも書いたが、1年前からEAT(上咽頭擦過療法)をするため耳鼻科に通院している。元々ブレインフォグに効果があるらしいとは知っていたが、通院することのしんどさと痛いの嫌だな……と逃げ腰だった笑。

やるなら徹底的にやってやろうじゃないか主義のため、初めは週に2回。
痛みや症状の状況をみて減らしていき、(雪が積もっている間はサボってみたり……)今は2週間に1回程度通っている。

医師に「ブレインフォグあるっていうけど、会話成立するよね」との言葉で気がつけて、このnoteを書いているのだけど、私は受診も症状が強いと「行かない」という選択をとる。

音、光、人、言葉、空間、移動負荷などなど。
いろいろな情報を足し算やらかけ算しても
自分のからだが、いつもの自分を保っていられるように動く

前よりもHPの回復力と持久力もついてきていると実感しているが(動ける範囲や時間が増えたり、用事もひとつから数カ所、同じ日にこなすことができるようになった)、絶対これ!良くなったのはこれのおかげ!!とキラキラした口調であきらかな答えを放つことはない自分でもEATは、やらないよりやってみる価値は私はあると思う。

私が痛みに怖じ気ついたり、途中でサボってみたように、いろいろな状況と情報を考えて、自分にあったタイミングではじめるので良いと思う。
受診もふくめて、からだが動けるときにいく。一番は無理しすぎないこと。
やってやろうという覚悟ができたときが、ある意味タイミング。誰かに言われたより、自分で決意した方が通うことの辛さも半減する。そんな気がする。

まとめのようなもの~分からないとの向き合い方~


今回書いたことは、日々自分のからだの声にこたえて、失敗して、寝込んで、回復して、次はどのくらいならいけるのよ自分?と試行錯誤してでてきた、自分なりの答えでしかない。
(頑張ってきた自分を褒めてあげよう。自画自賛)

この病気だけでなく、みんなそれぞれ自分なりの試行錯誤な物語がきっとあると思う。そうでなければ、きっとこの文章を読んでいる方はここにたどり着かない気がする。何かできるのではないか……ずっと希望を捨てずに向き合ってきた。その気持ちが私はとても素敵だなと思う。

分からないは不安を強くする。
あきらかな原因や要因も分からず、治療も確立されていない。
そのなかで何かを求めてさまよって、脳みそを使いまくって、何なんだよ自分って思いながら前を向き続けて動いてることは、弱さのようで、とてつもない強さに感じてきた。
弱くなったり、強くなったり。そう動けるのも、今の自分を受け入れてくれる人や場所があったことも大きい。

何かのせいにするのは、自分をある意味守る方法ではあるが、分からないを留めることはもっと大切だと思う。

以前は自分が無知なだけで、すべて調べれば分かることが当たり前の世界だと思っていたけれど、何かのせいと決めることだけが正しさではない、
この世の中は分からないことのほうがほとんどだと知れたとき、(今、わかっていることは5%しかないそうだ……)分からなくても良いんだと、分からないを受け入れることは、自分をゆるすことにつながるんだと気がつけた。
「何なんだよ、このからだ……」と、自分のからだを一番疑っていたのは自分だった。

自分をゆるして、愛でていくこと。
今の私でいいのだと受けとめること。
自分を責めず、少しでも心が穏やかにすごせるよう。
変化を恐れず、挑戦と調整しながら
動き続けることで見えるものがあると信じて
これからも、分からないを面白がって楽しみながら過ごしていこうと思う。

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