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障害者だって、ライブハウスに行ったっていいじゃないか

yama × ACIDMAN 「軌道共鳴2022」


5/12に参戦!
※後半にセトリのネタバレがあります

yamaの曲 『世界は美しいはずなんだ』
ACIDMAN Gt.Vo大木伸夫のつくった楽曲から yamaのことを知り、本格的に聴いてみた。
「綺麗な声だな」一度は生で聴いてみたい。そう思っていた。その後にACIDMANと対バンが決まる。

「行くしかない…だが、障害で長く立てないし…椅子がないと無理だけど行けるのだろうか…」
7月には国家試験がひかえていて、ACIDMANのワンマンは追い込み時期と重なり行くことをあきらめていた。昨年の参戦予定のツアーが2本なくなり、フェスもなくなり。1年以上ACIDMANのライブに行けていない…試験までに音と旅への欲求が爆発し、耐えられない精神状況回避のため、我が身を愛でるものを与えたい。5月なら…心のなかの自分も遊びに行ってもゆるしてくれる…暑さと台風と雪の時期を避けたいし(納得のための文言w )富山の受診とコミコミライブの旅の計画をはじめた。

「障害者 × ライブハウス」

ワンマンの日程をみたときに、車椅子ではないけれど、問い合わせてライブハウス行ってる人がいる!と発見していた。
私の脳内では車椅子の人=車椅子席という、何とも安易な脳の変換しかできていなかった…(クソ…行けたなら“創、再現”も行けてたのか!お馬鹿だった…)と過去の落胆も巡らせながら、他のライブハウスでも行けちゃうやつ!!とワクワクも芽生えた。

障害者とライブハウスは相性が悪い。
地下やら階段やら空間と道の狭さやら…その空間が良さでたまらなさでもあるが、まっ…相性は最悪だ。
そして、私が検索した限り、障害者とライブハウスの情報は、そのひとりの方しか発見できなかった。

わからないなら聞くしかない。
問い合わせ先に、会場は5階だがエレベーターはあるのか、車椅子ではなく杖を利用しているため、座席指定ではなければ椅子をお借りしたいが可能なのかとメールをした。

数日後に、エレベーターは利用可能であること。椅子の貸し出しも可能。(普段のライブ参戦の方は階段を使用)ライブ当日近くなったら電話連絡をしてくださいと丁寧に返答をいただけた。安心して先行予約に応募し、見事チケットをゲットした。

ライブ10日前

早すぎず遅すぎずくらいが良いかと10日前にここに電話をと書かれている所へ連絡。
段差ものぼれること。車椅子ではないので椅子の用意を依頼し、電話は数分で終わった。こういうの初で…と当日の流れも簡単に教えてもらった。

ライブ当日

エレベーターを下りたらスタッフに声をかけたら大丈夫です。とのことだが、忙しそう…関係者席入り口と同じ所からとなっていたため。チケットはあるんですが、ここからどうしたら…と曖昧にいい「車椅子席で問い合わせた」ということを伝え忘れてしまったがために、通常ルートで案内されかけた。
椅子の用意を依頼していて…と引き返しスタッフに話すと、準備ができているのか確認後に誘導してくれた。(伝え忘れでスタッフさんを少し混乱させてしまった…申し訳ない)

1年2ヶ月ぶりのACIDMANの音と声を堪能。
聴覚過敏のため去年から使い始めたライブ用の耳栓は「何か、いけるかも…」と、ACIDMANの音はほぼ使用せず。
最後の曲『ある証明』では立って全身で音を感じられた。変わらない想いを届けてくれることに安堵し、yamaのひとことひとこと大切に、自分のことばを紡いで、手渡してくれたことばに、グッと込み上げるものがあった。
繰り返し聴いてきた
『世界は美しいはずなんだ』は、また違った感覚で私のこころにずしっと残り、涙がにじんだ。

「共鳴」

そこには
相手を知ろうとすること
相手に知ってもらうこと
両方が必要になる。

言葉は恐い
誤解や思い込み
価値観の差異での歪み

それによって伝えたいのに
伝わらないことが生まれる。

その恐さを知っているから
自分のことを知ろうと耳を傾けてくれる優しさも、わかってくれたと感じる、共鳴感も嬉しくなる。

人間はどこか他人を理解できてると思い、理解したいとも思う。

しかし、相手のことを100%理解はできないと知ることから、本当の意味で相手と向き合えると、病気が教えてくれたこと。

目にみえる文字としての“ことば”ではなく
目にみえないけど感じる
心に奥にある“ことば”が伝わった瞬間は、
音楽やライブの共鳴にも感じるなと思えた。

今回の旅の回想

今回の旅は、去年のライブやフェスの直前に中止をうけた喪失感からくる恐怖心が再び襲ってきた。だからか、当日まで“行きまーす。楽しみでーす”と大きな声で言いたくもなかった。

旅の目的に私は何かしらの“縛り”を持っているのかもしれない。次に向けて頑張るための琴線。ゆるく生きようと心がけながらも、糸をピーンと張り巡り、どうにかこうにか保たせている自分。そんな自分の脆さをとても感じられた。この気づきは、きっとこれから大切なものになる。そんな気がする。

障害者だって ライブハウスに行ったっていいじゃないか…

突然のえなり君…笑

“人に迷惑をかけたくない”
私の根底にあるプライドみたいな思考。イレギュラーであることは、大変さを相手に委ねることだから…。今回初めて車椅子席というものを利用してみて、思ったよりもスムーズに動いた。逆の立場であれば気にしない、“何もそんなこと”ということも、私は頼ったり、甘えたり、お願いすることよりも我慢や一人でやり抜く努力を選択肢として生きていた。本当に不器用で脆いなと思う。

今回挑戦したことで、自分が心地良く楽しむために動くことも良いなと改めて思えた。
今の状態だときっと無理だから…とあきらめず、決めつけている自分から少しずつ解放していこう。解放できていると思っていた…驕り…。まだまだだ…。

頑張らないことを頑張りながら
これからも、恐さや不安を抱きしめながら挑戦をつづけていこう。
「わからない」の先の、発見をみつけていこう。

音楽を届けつづけてくれているアーティストに。空間に。互いが支え合うファンに。
関わる全ての人に感謝。


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