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私はどう生きる?

『君たちはどう生きるか』を観た。

あまりに大きなものを受け取り過ぎて、咀嚼できていない。大絶景スポットに行った時のような筆舌しがたいパワーがある。
でも、興奮は伝えたい。そんな感想です。

「大宮崎駿展」を刮目

ハウルであり、魔女宅であり、もののけ姫であり、トトロであり、千と千尋であり、風立ちぬであり、ラピュタであり、ポニョであり、紅の豚であり、ナウシカであり、ゲド戦記であり、アリエッティであった。
その文脈にものすごく前向きで意志が強くて物分かりが良すぎる碇シンジがいる。

宮崎駿監督が一貫して伝えたかったことはずっと同じで、これまで後付けせざるをえなかった「わかりやすさ」を削ぎ落とし、全ての技術を加えたらこうなるのかも。

人は年老いても思考の根っこは変わらないけれど、純度が濃くなっていくと知る。天才が大天才に、凡人が老害になってしまう理由なのかもしれない。
たぶん全天才が悔しくて嫉妬するのだと思う。凡人の私は老い先が怖くもなった。

※以下、ネタバレといえばネタバレ

意味を求めることは正義なのか

結局母子の物語に収束するストーリーはあまり好きではないのだけど(劇場版鬼滅の刃、スラムダンクなど)、少年の思考の過程があまりに概念的で、そこに嫌悪感が生まれる余地がなかった。

もしかして、すべてのことに意味を持たせようとしない方が良いのかもしれない。人が考えていることなんて、他人にとっては大概が気持ち悪いことだし。私が母子収束作品を見て「母と息子の関係に意味を持たせ過ぎるな」と思うように。

となるとここで浮かぶのは、意味を無視することは思考停止ではないのか?という疑問である。それではあの鳥たちと同じではないか?

恐らく最適解は、あくまで自分の中にある意味はロジカルに、他人が持つ「意味」まで詮索するのはナンセンスというスタンス。

モナリザを見て「わーすごい」以上の感想は持った方が人生楽しめるけど、他人のモナリザへの感想を理解する必要はない。だから私のこの感想もそっとしておいてほしい。

究極の「自分の機嫌は自分でとろう」

現実ではめちゃくちゃ裕福なんだけど、肝心である本人の気持ちがことごとく無視されている過程は、かつてイデ隊員(ウルトラマン)が放った「犠牲者はいつもこうだ 文句だけは美しいけれど」という一言に尽きる。ジブリ関係ないけど。

でも、大人になったって誰も自分の気持ちなんて尊重してくれないし、嘆いても仕方ない。身近な誰かに丸っと荷物を持ってもらえるのは子どもの特権。

だからこそ、ある一定の年齢になったら本人の強い意思で乗り越え、成長していくしかない。セカイ系と言えばセカイ系だけど、本人の何も持ってなさが千と千尋だし、運ぶ荷物が重過ぎるキキだし、曇りのなさがアシタカ。あまりに強い。さすが真人間。結局は「意思の力」こそ全てである、ということを見せつけられる。

で、どう生きる?

しかし、人はそんなに強くない。強くないから群れるし、技術で補填し、弱い者から搾取する。

では文明発展は悪か、人類みな鳥頭なのか。真人間はどこにいる?タイトルにて、あまりにデカい難題を丸投げされて、今に至る。

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