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双子「小1の壁」のリアル

また日記を再開しようかと思う。ここはあくまでプライベートなので、一筆書きで失礼します。

さて3月も末。子ども達の小学1年生が終わる。早い。

我が家は男児(一応、兄)と女児(一応、妹)の二卵性双生児を育てている。この1年間を振り返ると、これまでで最も”積極的に”育児にリソースを割いた気がする。産後の24時間ゼロ距離育児の時は私の主体性などお構いなしだったので、もちろん「主体的」にという意味で。

育児をまるっと受け止めるラスト(?)チャンスを、逃したくなかった

双子育児初期はとにかく精神的にも体力的にもボロボロ。職場復帰後も、仕事と家庭の両立を毎日必死でこなしていくことしかできず。子どもが4歳頃にフリーランスになったけれど、最初のうちはやはり猪突猛進仕事をするしかない。とにかくドタバタ駆け抜けた最初の6年間だった。

だからこそ、育児のたくさんの「尊さ」をとりこぼしてしまっているのではないかと後悔していた。

多くの人が語る「幼児期」の天使のような可愛さも、「イヤイヤ期」の大変さも、つたない言葉でしゃべり出した「言葉の爆発期」も、申し訳ないけど私の記憶には残っていない。右見て泣いて、左見て体調崩したら、小学生になっていた……というのが私の育児のここまで。1日で良いからあの時の子どもたちを抱きしめたい。ついでにその間に私を寝かしてあげたい! と何度願ったことか。

といことでフリーランス4年目、子ども達も自立し始めた今、まるっと育児を楽しもう! と決心したのだった。どう考えてもここから先、親の出番はどんどん減っていく。ここがラストチャンスな気がしたし、子ども達が新しいステップを踏み出す今こそ、親の出番な気もした(……なんとも自分勝手な親で恐縮だが)。

で、具体的には、在宅勤務を基本にして、外出の取材は昼過ぎまでに終わるものに調整。16時~17時頃に仕事を切り上げられることを基本姿勢とした
※もちろんすべての調整がうまくはいくわけではないし、出張も行きまくったし、子どもたちが寝た後に仕事をすることもたくさんあったけど。

また、子ども達には学童も活用してもらいながら、平日の夕方を習い事で埋めてもらった。その分貴重な休日や夜の時間が習い事で忙殺されることがないようにだ。

子ども達は15時頃に学校から私がいる家に一旦帰宅し、それぞれ習い事に出かける時もあれば、学童から直接習い事に出かける時もある。最低限習い事のお迎えは対応できるように(できれば送りも対応できるように)、そして子ども達に何かあった時、学校や習い事に5分で駆け付けられるように、私は一人在宅時短勤務を実施した

こんな感じで子どもとの時間を最優先したタイムマネジメントをして、そのおかげでいわゆる二人同時の「小1の壁」を越えられたと感じている。

「小1の壁」ってなんだそれって思っていたけど、じっくり真正面から向き合うと、これが壁だったのかー! と感じる場面は多々あった。きっとこれまでの私だったらとりこぼしていただろうけど。

はたして実際どんなことが「壁」だったのか、なぜ私には子どもと過ごす時間が必要だったのか、振り返ろうと思う。

壁①:学童は18時30分で閉まる

学童では指導員と呼ばれる方に面倒を見てもらいながら、クラスや学年を超えた友達とおやつを食べて、宿題をして、おもちゃや漫画、校庭で遊ぶ。基本的に子どもはのほほんと過ごしているようで、保育園と同じ雰囲気だ。

ただ、保育園との大きな違いとして、学童はきっかり18時30分で閉まる
子ども達が通っていた保育園は最大20時まで預かってくれたので、何度かその時間まで預けていたこともある(子どもと家で過ごせる時間が実質1時間程度で、まったく「育児」はできていなかったが)。

その点、学童は融通が利かない。学童は一人帰りもできるが、果たして夕暮れ時に子どもだけでカギを持ち、家に帰ることができるのだろうか。地域の見守りがない時間帯、車にひかれないか、不審者に連れ去られないか。

そういえばこの1年間、学校からのメールで、児童誘拐・殺害の脅迫、不審者の声かけ、露出、痴漢のお知らせが何件届いたかわからない。それほど子どもと事件は隣り合わせなのが悲しいかな現実。子育ての一寸先は死、という点は就学しても変わらない。

壁②:毎日の宿題マルつけ

地味すぎるささやかな負担。プリント1枚程度なのだが、マルつけと間違いの解き直しが親の担当。つまり、間違いに対して解説しなければならない。1+1がどうして2なのか、私には教えられませんて。

しかも宿題には「答え」が配られないから親も自力で解くしかない。小1の問題もなかなかバカにできない。算数の「ボールの数を数える問題」、国語の「漢字の書き順」。正直、一瞬筆が止まることはある。

さらに、毎日の音読。教科書などの物語を1話読ませて親がハンコを押す儀式が行われる。読む物語は子どもが選ぶのだが、自然と基本1ページで終わるサクッとした話ばかりになる。

こうした「名もなき育児」を負担と思うか思わないかは、親の心と体の余裕次第だと思う。仕事終わりにバタバタと夕飯を作り、風呂に入れている中でいきなり計算50問はなかなか疲れるものがある。

壁③:学級閉鎖は突然に。

コロナ、インフルエンザでの学級閉鎖・クラス閉鎖を私は2回経験した。その場合、我が子は健康でも学童にも通えない。つまり、家で子どもを見ているしかない。

驚いたのが、学級閉鎖は前日や登校前に決まるのではなく、日中学校からのメールで「今から○組学級閉鎖です。迎えにきてください」と連絡がくる。今からて……。午前11時、行くけど、行けた私はかなりラッキーな部類。親を待つ間、授業もできないし、教室も出られないしで、子ども達は教室内でじっとしている様子だった。もちろん、家庭によってはその状況で夕方まで待つしかない。ちなみに迎えに行った際、息子はさんすうセットのジェネリック麻雀牌を一人で机にぶちまけた直後だった。

壁④:クラスはガチャ要素

双子を同じ小学校に通わせていて感じるのは、先生によって教え方も目の付け所も学習進度も生活指導も異なるという点。それによりクラスの雰囲気も異なる。

先生・クラスの雰囲気が、自分の子どもに向いているか向いていないかはもはやガチャ。何かあった時に学校とすぐに連携を取れるようにしておく体制は必要だと感じる。私は気になる点は学校に電話したり、申し訳ないけど5分でも時間を取ってもらったりした。そういうことができるのも、平日自宅にいたからだと思う。

ちなみに年に3回ほどあった個人面談や保護者会はすべて平日真昼間。日程が確定するのは2週間ほど前。さすがに困るよね。

壁⑤:物言わぬ子どもたち

お友達トラブル、学習トラブル、生活トラブル……。予想だにしないことは誰しも起こる。小学校という(大人にしたら狭いけど、子どもにしたら)広い世界に放たれ自由を手に入れた子ども達。子どもなりに自由をサバイブしていくため、大人からとったら「なぜ?」と思う行動をとったり、つまずいたり、傷ついたり、成長したりしている。

そして、それらを子どもは自らの口からは言わない。よほどのトラブルの場合、学校側から連絡があるが、ほとんどは親が機微をくみ取る必要がある。

目の前の子ども達が何を感じ、どう1日を過ごしていたかという謎を、全部解き明かす必要はない。が、全スルーというわけにもいかない。

知らないところで自分の子どもがトラブルの渦中にいたということは大いにあり得る。子どもの機微を察知し、感情を引き出し、受け止める時間は必要だったとまじまじ感じる。

2年生は、1年間かけて2年生になる。

こうして1年生を終えた我々親子。じゃあ2年生になったらすべての壁はなくなり、もう育児にここまでリソースを割く必要はないのか。

どう考えてもそんなことはない。企業の時短勤務制限は「子どもが就学時まで」や「子どもが3年生まで」と、学年で区切られているけど、その学年になったらいきなり手がかからなくなることはあり得ない。

子どもと向き合い、夕飯を作り、家事をすることは永遠と続く。ただ、子どもの成長に従い、向き合う濃度が変わっていくだけなのだろう。

とは言え、まだまだそこに「濃さ」が必要なのは明らか。「1年生は1年かけて1年生になる」という言葉を聞いたことがある。たしかに、入学したからいきなり一人でできることが増えるわけでもない。当たり前だけど、本当に人それぞれ。

それは双子を育てているからこそより感じる。我が子たちは、できること、できないこと、得意不得意、性格、好きなこと嫌いなこと……、同じ遺伝子で同じ環境で同じように育てているのに全く違う。

だからこそ、それぞれを受け止めて向き合いたい。子ども達がゆっくりと2年生になるまでの1年間をまた楽しませてもらおうと思っている。

これからも頑張ります!