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産後、孤独で精神が病んで行く問題

ただいま子供たちは4歳。学年でいうと年中クラスで、日常会話や意思疎通ができるようになり「小さき大人」になったような気がします。私より物事によく気が付いたり、逆に主張が強い時は私の話をわざと無視したり……なんだかもう私の人間性の底を知られているのではないかと思うほど。まあいい意味で対等です。

ここまでくるとだいぶ心に余裕もでてくるもので、0歳~2歳くらいのひよこクラブ期の赤ちゃんを街で見ると、そのあまりの可愛さに「子供たちが赤ちゃんだったころにもう一度会いたいなあ」とか思うわけです。
当時はあんなに早く成長することを願っていたのに。というか振り返ってみるとすっぽり2歳くらいまでの子供たちの記憶がないんですよね。「ホントにこんな時期あった?」と不思議に思います(特に1歳までは写真を見ても記憶があやふや)。
待ったなしの成長に可愛いが日々更新され、記憶が高速で書き換えられてきたのもあるかもしれませんが、それよりも何よりもとにかくここまで必死で駆け抜けていたのだと思います。

犠牲にしたのは私の精神力と体力。もちろんそれで子供たちがここまで育ってくれたので万々歳です。
人様の赤ちゃんを見た時に「もう一人子供じっくり育ててみたい……」という気持ちが強烈に芽生えるのですが、やっぱりマタニティブルーから産後鬱まで経験した身としては、家族の為にも自分の為にもちょっと一歩踏み出せないんですよね。
ちなみにそんな話を先日夫にしてみたら全く同じ気持ちだったようで少し嬉しく思いました。「俺が妊娠出産できればいいのにねー」なんて笑い話をしています。

さて、そんな色々と大変だった期間を振り返りながら、自分の気持ちの昇華しつつ、いま子育てが大変な誰かが前向きになれるといいな、なんて主旨で書いているこのnote。
今回は産後とんでもなく辛かった孤独感問題についてです。

■目の前の命の全責任を一手に追う孤独

我が家の場合、当時の夫は早朝出社の終電帰宅というTHE激務だったので、平日は絶対に頼れませんでした。
子供たちが早生まれだったことと、保育園激戦区だったこともあり、産後2ヵ月で職場復帰の夢は破れ、丸々1年間の産前産後休暇を取得。
子供たちと3人きりの生活は、朝から翌朝まで(授乳と夜泣きがWなので……)賑やかすぎる双子と接していて音の中にはいますが、自分から行動しないとまともに誰とも会話をしない日々が続くんですよね。しかも少しのミスが命取りになりかねない緊張感が24時間。孤独と重圧に押しつぶされそうになっていました。

では私がどう乗り切ったか。もがきながらも見出した具体的な作戦を紹介します。

①平日は両親分の夕食を作り、母に食事&風呂介助を求める

こんな状況になることを見越してか、妊娠中の母からの助言で、新居は実家から徒歩3分を借りることに。産後すぐに母を頼れるようにしました。

そしてフルタイムで仕事をしていた母には、仕事帰りに我が家に寄ってもらい、食事&物理的に一人では危険なお風呂を一緒に手伝ってもらうルーティーンに。その代わり、両親分の食事も私が作り、父にはタッパーで母が持ち帰ったものを食べてもらう流れです(父も激務で、ほぼ深夜帰宅なので)。
基本的に平日は19時~21時頃まで来てもらうイメージです。最初の頃は寝かしつけも協力してもらいました。

それでも双子育児の大変さに心も体も追いつかない。深夜帰宅の夫に今日あったことを話す元気や余裕もなくなります。夫はまだ入社2年目。自分の裁量で仕事ができる立場でもないので、頼れないのも仕方ありません。

②義母に週1で平日来てもらい、自由時間確保

そこで次なる助っ人、義母登場。
電車で約1時間の場所に住む義母は元幼稚園教諭、現在は地域の託児施設で働いているという育児のプロ。というか、私にとっては神。
義母の「孫にたくさん会いたい」という思いと、私の「とにかく人手がほしい」という思いがマッチング。週1回、平日昼間~夕方まで来てもらうことにしました。たしか生後4か月頃から保育園に入るまでお世話になったと思います。
お昼ご飯を一緒に食べ、2時間程度自由時間としてスーパーに一人で買い物に行ったり、マッサージに行ったりしたこともありました。

これで週1昼義母、週5夜母の最強の布陣が完成しました。

それでも、まだ私は病んでいき、とうとう通院が必要なレベルに。さらにカードを切りまくります。

③叔母や祖母も巻き込む

私自身、子供たちはなるべくたくさんの親戚に可愛がられて育ってほしいという思いがあったのと、思ったより若くして出産した私への心配から、我が家には親戚がよく遊びに来てくれました。

当時84歳で隣の駅に住む祖母はタクシーで来てはお土産を持ってきたり、子供たちが寝ている間だったら30分くらい双子を見ていてくれたことも。車で20分ほどの距離に住む叔母夫婦は、通院時に子供たちの面倒を見てくれました。

たぶん本格的に頼ったのは1~2回でしたが、とにかく親戚が近所にいることと、一瞬でも顔を見に来てくれることが心の支えとなっていました。

④現状を雑誌、テレビ番組に投稿する

こうしてちょっとでもマイナスな気持ちに振れないよう、周囲の人に協力を求めることにした私は、現状を育児雑誌やテレビ番組に投稿していました。
SNSの育児界隈のアカウントはキラキラした育児情報ばかりが目に入ってしまい、投稿することができませんでした。きっと彼女たちだって決してキラキラしていたわけではないとは思うけど、当時の私は他人の生活をのぞき見する余裕はありませんでした。

「たまごクラブ」「ひよこクラブ」では撮影にも参加したし、NHK「すくすく子育て」では自宅取材とスタジオ収録にも参加しました。すくすく子育てで悩みに答えていただいた大日向雅美先生の考え方や母子に関する研究にはいまでも心酔しています。

まじで人生で関わることが無かった(言い方)第三者に同情してもらったり、子供たちを可愛がってもらったりすると、ちょっとは気持ちが救われます。自分一人で抱えていたものが他者の視点から「いいね」をもらうと軽くなるものです。
一方的な私生活見せつけをSNSではなく、オフラインで行っていました。

⑤面倒でも児童館・子育てイベントに参加してみる

そして家に籠っていると100%双子のお世話しかできないし、息がつまってくるので、気分転換代わりによく双子用のベビーカーを走らせ何時間も散歩をしていました。
しかしそこでもベビーカーを引いている他のお母さんを見ると、内心で勝手に比べてしまい、こんなに悩んでいる自分が恥ずかしくて泣いてしまうんです。これは完全に病気のせいなのですが、自己肯定感など地の底でした。

そんなある日、涙が止まらず近くのベンチに腰かけていると、自転車整備をしている街のおじさんが話しかけてくれました。
「こんなに可愛い一生の味方を二人も持てたんだからすごいねえ」
と。「どうしたの」「がんばってね」と言った慰めではないこの言葉がなぜか私に効いて。いままで子供たち=私を縛るものと勘違いしていたのですが、そのおじさんの一言により考え方が180度ひっくりかえりました。そうか私はとんでもない幸せを手に入れたのだと気づくことができたのです。

その日急にスッキリした私は、すこし遠くにあるため面倒で顔を出していなかった児童館に行ってみることに。すると保健士さん、保育士さん、その他のお母さんたちがみんな優しく受け入れてくれました。家でずっと泣いているより、何倍も素敵な時間でした。

いまは参加していませんが、地域の双子育児サークルにも参加して、同じ境遇のお母さんと話すだけでもかなり心強かったです。
正直子育てサークルって人付き合いとか面倒くさそう……と思っていましたが、みんな育児に夢中で他人にそこまで興味ないです。来るもの拒まず、去る者追わず精神で、実際私はもう誰とも連絡を取っていません。何があったわけではなく、仕事復帰し、保育園に通うと自然と疎遠になりました。
会った瞬間での団結力が強い、まるで武士のような心意気を感じます。これは公園ママ付き合いにも共通します。

⑥双子サークル「ツインマザーズクラブ」に入会

さらにもっとネットワークがほしくなりこちらの団体にも入会しました。
双子、三つ子、四つ子の母親の育児支援を目的としたサークルで、日本双生児研究学会会長の天羽幸子さんが名誉会長を務めています。
年会費3500円で、会報や、地域別オフ会、講演会などに参加できます。また会員専用の掲示板や、双子育児の先輩ママが24時間いつでも電話で相談を聞いてくれる窓口もあります。
とにかく「どこかで私と同じように頑張っている人がいる」「何かあった時に話を聞いてくれる人がいる」という安心感は、何事にも代えられないお守りでした。
一人じゃないという気持ちが何より双子育児にとっては希望なのです。

■育児は社会全体のミッション

このように、当時の私はとにかく信頼できる大人にSOSを出しまくっていました。ワンオペ問題や、育児の体力問題など、根本的な解決にはならないかもしれないですが、まずは母親の孤独感を減らすことが育児を乗り切るポイントだと思います。
私の場合、親族に頼れたのでラッキーですが、頼れない方はファミリーサポートや、自治体主催のサークル、一時保育、行政のサポートなど、とにかく安心して子供を預けられる場、いざという時に相談できる人をより多く持っておくべきだと思います。
育児は社会全体で成し遂げるべき義務だと私は考えています。
どうか一人でも多くの育児の味方を作ってほしいです。

※もしこれを読んでいてどうしても辛い方、私でよければコメントいただければお話聞きます。


これからも頑張ります!