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飼っている宇宙の中で自分を遊ばせる

気持ちがキャパオーバーすると何もかも手に付かなくなる。

なお気持ちのキャパオーバーの原因は、深く傷付いただとか、落ち込んだとかではない。

目の前にやらなければいけないことが重なった時に心までショートする。
特にわたしの場合は、仕事以前に目の前の子供の母親であり、家を守る主婦でもあるわけで、仕事、育児、家事のどこかが自分のルーティーンを逸脱した際に、すぐキャパオーバーが生じる。

例えば仕事でやるべき事が重なっている中、目の前で子供が寝ていて、シンクには洗い物が溜まってる。
たったそれだけでの日常で心は騒ついてしまう。

仕事も母親も主婦も、手に入れたきっかけは周りに流された結果ながらも、最後は全て自分で履いた草鞋だ。

プレッシャーどうこうではなく、ただの事実。
よく「完璧な母親を目指さなくていいんだよ」と言い古された「お母さん可哀想」信仰のセリフがあるが、悪いけどこっちは完璧な母親なんでハナから目指してない。

完璧じゃなくたって、仕事・母親・主婦という現実からは逃げられないし、逃げる気も無い。
当然ではあるが、その覚悟だけでも精神的タスクは大きい。

心のキャパオーバーが発生すると、同時にどこにも安心感がなくなってしまうのだと思う。
シンクに溜まった洗い物は、どんどん汚れが進行するし、子供はいつ泣き出すかわならないし、朝になったら起こさなきゃいけないし、仕事はちゃんと全部出来るか不安だし。
1人で立って生きていく中で、安心材料が心の中から消える。

正確なセリフではないが、作家の辻仁成さんが「自分の鬱っぽさは、病気とかその手のことではなくて環境や状況によるもの。目の前に家事が溜まると鬱になる」的な事を仰っていた。
人間10周はしているであろう辻さんですらそうなのだ。
人間0.1周もしていない私は、たとえ些細な環境・状況の変化であってもうまくこなすことなど出来るわけがない。

では自分の心が鬱側に傾いた時、どうすればいいのだろう。
自分のキャパを拡張したい向上心の中において、単純にやるべき事を減らせば腑に落ちるわけでもない。それはそれで向上心の否定としてまた心がキャパオーバーする。

もうそうなったら自分自身の中で広い宇宙規模の視点を持つしかない気がしている。
心が鬱であろうとクリアであろうと、やるべき事は変わらないのだ。

よく「その悩み、宇宙規模で考えればちっぽけだよ」と言われるように、自分の心の中に宇宙を持つと上手く行く気がする。

先ほどのセリフ、他人の宇宙というモノサシで測られると、とても腹が立つが、自分の中に宇宙を作って、その宇宙と比べることであったら腑に落ちるのではないか。

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最近私はこれまで時間的にも精神的に属するコミュニティの中心であった会社を突然辞めた。
これまで仕事のミスは会社という宇宙規模で測ればよかったし、宇宙の中には沢山の惑星があり、宇宙人がいて、なんやかんやワイワイしながら上手く宇宙は回っていた。

しかし駆け出しのフリーランスという選択をした以上、宇宙を作り出すのは全て自分自身だ。まだ惑星もなければ宇宙人もいない。生まれたての宇宙。
その中で漂流しながら自分を見失わないために、正しい努力の方向性を見出さなければならない。
宇宙の中の宗教とも言えるのミッション、ビジョン、クレドを無理矢理でも編み出すこと。これが大切な気がする。

話は変わるが、最近会った女友達が、婚約者と遠距離恋愛になることが決まった。正直本当に結婚出来るかわからない。と明るく語っていた。
時と場合によっては、この話だけで3時間の女子会のネタにもなりそうだが、別にそうはならなかった。

彼女も、そしてその婚約者も、明確にやりたい、やるべき事に向かって進んでいるから、婚約の顛末が、最早瑣末な問題となっている。
彼女たちカップルにはそれぞれの宇宙が出来上がっているのだろう。

自分に正確な軸があって、人生を楽しんでいれば、仕方がないことへ心の労力は注がなくなるという好例だ。

そうやって自分の宇宙を確立して、その中でふわふわと遊んでいたい。今のわたしの目指すべきところな気がする。

余談だが、私が女性向けのメッセージ広告が嫌いなのは、自分で作り出した宇宙を、違う宇宙の住人の視点から商業目的で語られているからである……その話は追い追い。

これからも頑張ります!