見出し画像

【白斑diary⑦】今日気づいたよ、これってもしかして…

今日は光線療法の日。

【前回の記事はこちら】

先週、8回目の光線療法を受け(←この記事は書いていないw)、今日はトータルで9回目となる。

今年の夏から始まったこの治療、今まではずっと暑いor温暖だったので、「事前に真っ裸まっぱになって日焼け止めを塗る作業」は、手間がかかって大変ではあるが、それほど苦ではなかった。

ところが、…である。

今朝の最低気温は9℃!
今季初の一桁気温!

エアコンの暖房をつけても寒い寒い。

この寒さにカラダが慣れていないから、冷気が肌に刺さる刺さる…。

だけど、今日は、光線療法を受けなくてはいけないので、寒いけど頑張って上半身真っ裸になった。
まずは白斑部分に軟膏を塗り、次に白斑以外の箇所に日焼け止めを塗る。

薬を塗るだけならまだ良いんだけど、日焼け止めが加わると、結構時間がかかる。

鏡を見ながらヌリヌリしていて、ふと、
「あれ?私の今のこの姿、どこかで見たことがあるぞ…」
と思い、記憶をずーと辿ってみた。

すると、出てきたのが👇(こちら)。













じゃーん!

エガちゃんーーーー!

そうだよ、エガちゃんだよ。
今日は黒っぽいボトムだったから、それで気づいたのだ。
今の私は、どう見ても「女エガちゃん」状態だわ。

しかし、今更ながら、どうしてエガちゃんは「江頭2:50」という芸名になったのか?

調べてみたら、こんな理由だった。

ばってん荒川 が好きだったため、デビュー当時は「バッテン江頭」の芸名を名乗っていた 。 飲酒した際、深夜2時50分になると ゲイ のようになることから大川総裁こと 大川豊 が「江頭2:50」と命名した 。 また大川興業入社当初はコンビ「 店頭公開 」を組んでいたが、相方に迫ったところ逃げられてしまった。 その後は コンタキンテ と共にコンビ「 男同志 」を結成、『 タモリのボキャブラ天国 』などに出演していたが1997年にコンタキンテが大川興業を退社しフリーとなったためコンビ解消。 男同志時代から ピン芸人 としてソロライブやテレビ出演をしておりスタンスは基本的にピンだが、時々 寺田体育の日 と組んだコンビ「 江頭2:50と副総裁 」として活動もしていた 。

Wikipedia「江頭2:50」より抜粋

ちなみに「江頭」は、エエガちゃんのご本名(苗字)とのこと。

この記事を読みながら、「そうだ、エガちゃんって90年代に出てきた芸人さんだったなぁ」と思い出した。
当時はあまりに前衛的な芸風だったため、社会から色者扱いされていたような気がする。

だけど今では、彼の芸風は勿論のこと「生き方」も全部ひっくるめて社会からすっかり認知され、今や人気者ではないか。

(「エガちゃんネル」より)

エガちゃんを見てると、なんだか元気がでるんだよなぁ✨



…と、話を戻して、軟膏&日焼け止めを塗り終えた私は、皮膚科へと向かった。

◇◇◇

今日の皮膚科はメチャ混んでいた。

そして珍しいことに、今日は光線療法の先客がいて、受付で「10分ほど待ってほしい」と言われた。

私以外の患者さんにガチあったのは初めてで、「ほぉー」となる。


空いている椅子を見つけてそこに座り、スマホをいじりながら待っていたら、処置室から60代くらいのおじさんが出てきた。この方が先客らしい。

やがて私の名前が呼ばれ、私も処置室へと入っていった。

いつものように先生が来て、先生に「どう?」と聞かれ、いつもと同じ返答(少し赤くなって痒みが出たけど、その日で収まった…という話)をする。

最初の頃と比べると、先生も私に慣れてきたみたいで、カルテを見ながら何やら面白いことをつぶやいて(よく聞き取れなかったw)、先生は照れ隠しにヘラヘラと笑いだした。私もよくわかんないけど、つられてヘラヘラ笑う。看護師さんもへへへと笑っていた。

処置室内に、三人のライトな笑いが渦巻く。

何なんだろうね、この奇妙なチームワーク(笑)。

毎週顔を合わせていると、不思議な連帯感が生まれるらしい。


今日も、カラダの表・裏・横…と光線を当ててもらい、無事に今週のノルマは完了した。

外は相変わらず鉛色の曇り空で、寒い…。
道行く人たちが、分厚いコートを着こみ、マフラーを首に巻いていた。
晩秋の風景だった。


【次号につづく】


#名前の由来

この記事が参加している募集

名前の由来

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます✨