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褒めると叱る

『叱る』ことが指導だと思っている者がいるが、それは違う。本物の指導者は、みんな『褒め上手』。上手に褒められるようなって、初めて一人前の指導者と言える。

…と、昔、私がまだ新米教師だった頃、ベテランの先輩先生から教えてもらったことがある。

確かに、いつもカッカと怒っている若い先生がいて、その先生曰く「褒めれと言われても、すごく難しいですよ。どう褒めればいいのかさっぱりわからないので、自分にはできません」とよく言っていた。

そのため、生徒たちからはあまり好かれていなくて、人気がなかったなぁ…と、そんなことを、ふと思い出す。

「褒める」という動作は、自分の中に「褒め」の基準があり、その基準に少しでも触れたり越えたりした場面に遭遇たとき、自然と「わぁ!すごいね!」「これ良いですね!」といった褒めの言葉が出てくるものだと思う。

つまり、自分の中に「褒める」の価値基準がちゃんと確立されているということだ。

そして、どんなに小さなことでも「相手の良さ」を見つけようとする視点があること。さらには、自分が感じたことを、素直に相手に伝える力をもっていることである。

ここでいう「伝える力」とは、自分の気持ちを伝える勇気があること&相手の心に届く言葉をもっていることを言う。

要は、物事を多面的に観察できる能力・みずみずしい感性・心の柔軟性・相手の立場に立った言葉を上手に選んで表現できるセンス・相手の良さをキチンと言語化できる勇気…云々。これらが、褒め上手にはバッチリ備わっているということだ。

そう考えると「褒める」とは、かなり高度なことなんだとわかる。



なぜ、こんなことを考えるようになったのか?というと、最近、ダメ出しを食らう場面が多々あって、どんどん辛くなっていくなかで、この心苦しさの原因を探ったとき、「そういえば相手は、私のことを一つも褒めてくれたことは無かったぞ!」とハッと気がついたのだ。

だから、嫌な気持ちばかりが大量生産されて、ちっとも楽しくないんだな…と妙に納得した。

今、私は「褒める」の重要性をしみじみ感じている。

別に、褒められないことをひがんでいる訳ではなく、単にコミュニケーションの中に「褒め」が全くないから、何をどうして良いのかわからず、頭が混乱しているのだ。

「褒める」とは、教育の世界では「価値づけ」とも言われれいる。

「褒める」ことで、「これは良いことですよ」と、相手にその価値観を植え付けている…ということなのだ。

これは、自分自身が褒められることで「あっ!これって大事なんだな」と直接的に感じることでもあるし、また、他人が褒められているのを見ていて「なるほど!そういうことって大事なんだなぁ」と気づくこともある。

他人に自分のことを客観的に見てもらい、良さを拾い上げて評価してもらうことで、自分の価値を自覚していくことでもある。

つまり、褒めが多い世界は、まさに天界みたいなもので、叱責や罵倒がなくても、ただ褒め合うだけで、皆が「これが大事なんだ」と価値を共有できる世界なのだ。
だから、褒めが自然に存在する学校や職場や組織は、温かくて心地よい。素の自分のままその場にいられるし、安心して自分の力をバリバリと発揮できる。

このように、ただ「褒める」というだけで、「大切なこと」を、周囲に認知させて浸透させていく効果があるし、居心地のいい明るい場所になっていく。

だから、人を上手に育てたいのなら、「叱る」より「褒める」が一番効果的で、相手も自分もHappyな気持ちでいられる…というわけだ。

そこで、話を戻そう。
人に何か意見をいう時は、まずは相手の良い部分をキチンと伝えたうえで、訂正してほしいところや、変えてほしいところを言うのがベストだと私は思っている。

ところが、褒めが一言もないところで、一方的に叱責されたりダメ出しをされると、それを受けとる側は、頭が混乱していく。

自分のどこが良くて、どこが悪いのか…の線引きが全くないところで、ただダメなところだけ指摘されるため、正直「え?え?どうすればいいの?ちっともわからない」状態になるのだ。

これを最近、実際に体験してみて「こりゃキツイわ」と感じた。

例えば「ここは良かったですよ」とか「ここのこんな点が素晴らしかったです」と最初に言ってもらえると、こちらは「相手が求めているのは、こういうことなのか」と理解できて、ひとまず安心する。

こうして、小さな点でもいいから自分の良い部分を拾い上げて褒めてもらうと、「この人は自分のことをちゃんと見てくれているんだな…」と感じられて、相手へのリスペクトと信頼が芽生える。
相手も、私の良き点を見つけて伝えてくれるのは、私をリスペクトしている証なので、「よりよい関係を結ぼう」と、お互いに誠意をもって接していけるのだ。

ところが、相手が、自分の良さを何一つ見つけてくれないうえに、一方的に「目についたダメなところ」ばかりをズバズバと指摘してくると、たとえ、相手が正論であっても、こっちは精神的にかなりダメージを食らう。

つまり、相手と今後つきあっていくにあたって、どうすると相手は認めてくれるのか?を全然教えてもらえない上に、「これはダメ」「これはするな」と、相手の感情に任せて課せられた「制限事項」を一方的に押し付けられている…という感じなのだ。

これって、ホント自信を喪失するし、やる気も出なくなるし、相手に対して不信の塊になるし、ひどい時は「生きる気力」すら失ってしまう。

確かに、人のダメなところを挙げて、ダラダラと「叱り続ける」ことは簡単なんだよね。感情に任せて、激しく言えば、相手は恐怖でおとなしく従順になるから。

また、「ダメ出し」オンリーというのも、ダメ出し自体、エネルギーを使わず簡単にできることだから、堕落した自分でいれば、どこまでもネチネチと相手にダメ出しし続けることができる。
つまりこれらは、省エネ、かつ、効率的に人を支配できる手段というわけだ。

だから、人を褒めることができない人たちは、ずっと意識は低空飛行のまま、相手のダメなところばかりを探し続け、ガーガー言い続けることで「自分のメンツ」を保っているのかもしれない。

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