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別に「一人ぼっち」でもいいんだよ

私も子供時代、新学期が始まるのがとっても嫌だった。

新学期だけでなく、月曜日の朝も苦手だった。

もともと集団生活が苦手だったから、大勢の中の一人に埋もれて、周りと衝突しないよう自分を小さく抑え込まなくてはいけない環境に身を置くことが、私にはものすごく苦痛だった。

当時の私はまだ子供だったし、あの頃は今と違って「大人」と「子供」の境界線がくっきり分かれていた。そのため「大人の世界」に子供が入り込んでその世界に混ざることは不可能だった。子供は「子供の世界」の中だけで全てを完結させなくてはいけない…という暗黙のルールがあり、私は狭い「子供の世界」の中だけで、生きていかなくてはいけなかった。

今現在ならば、ネットを通して、世界中の様々な人々と瞬時につながることができる。わざわざ会いに出かけなくても、パソコンやスマホを通して、異世代の人々・異文化の人々・異国の人々と自由に意識を合わせることができる。だから、同世代の「子供の世界」の中で友を探す必要はない。「学校」や「家庭」という狭い密室の中で生きなくても、その世界を越えたところの、もっと広い世界観のなかで自由に生きていけるのだ。

ただし、それには、今いる世界に見切りをつけることが必要だ。

今いる「狭い子供の世界」のなかで生きていくことに価値を見いだせないのなら、そこに留まることも、その狭い世界の人々から承認されたいという欲も、全部きれいに捨てて、ある意味「見限る」ことが必要になってくる。

◇◇◇

「見限る」とは、心の中で静かに決別することでもある。

もう、そこに居場所がないのなら、少しでも自分が受け入れられることを期待して「自分を安売りする」ことは止めるべきだ。

もっと自分に誇り高くあれ…と思う。

孤独ではなくて、自分は「孤高」なのだ…。

そう自分をポジティブに肯定してほしいと思う。一人ぼっちであることは決して不幸でも、家族を悲しませることでも、みじめなことでも無い。

周りに、自分とフィーリングが合わない人が多かった…。それだけのこと。

ましてや、自分がまだ未成年の子供であるなら、周りもみんな未熟なお子ちゃまたちだ。精神的に成熟していない者も多い。だから、対人能力もまだ未発達で、幼稚な対応をしてくる輩もいる。すべては「子供だから」だ。

みんな子供で未熟なのだから(自分自身も含めて)、未熟者の集まりの中で、自分が受け入れられず一人ぼっちであることを、悲しくみじめに感じる必要はない。

未熟者たちは、君の価値が分かっていないだけだ。

ただそれだけのこと。

だから悲観すことははい。

それよりも、今の自分の才能や能力を枯らすことなく、成長させ発展させることにエネルギーを使うべきだ。

せっかく、ネットという便利なツールが存在する時代に生まれだのだ。

子供の世界の未熟者たちの未熟な価値観に振り回されず、堂々と孤高を貫いて、自分の能力や才能を世界に発信すればよい。

子供の世界では絶望的な気持ちになっても、大人の世界に紛れ込めば、君の素晴らしさを正当に認めてくれる人々に出会えるかもしれない。また、君のことを信じ、また君も心から信頼できる、そんな素敵な大人の友達ができるかもしれない。

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『子供は同級生の子供達の中から友達を作らなくてはいけない』

こんなルールは、今後はもう古くて機能しなくなるだろう。そんな風に決めつけなくても、子供時代から異世代の「大人の友達」をたくさん作ればいいのだ。ちなみに、大人になれば同級生の友達はどんどん減っていく。親しい間柄に「年齢」へのこだわりはどんどん消失していき、気が付くと、親子ほど年が離れた友達・祖父母と孫くらい年齢差がある親友…等、そんな友達も自然にできる。年齢や世代ではなく、単に自分とフィーリングが合うか合わないか…が決め手になっていく。最後にはそういう友達しか残らない。そこは本当にシンブルだ。

だから、無理して「同級生」にこだわらなくていい。

もしも、学校に居場所がなく、周囲と価値観が合わないのなら、そこは割り切って、自分の趣味や楽しみを通して学校以外に自分の居場所を作り、学校以外に信頼できる大人の友達を作ることだ。

ポジティブに「学校の人間関係に見切りをつける」ことも、自分を成長させる一つの方法だと思う。何かを手放すことで、新しい何かが得られるはずだから…。

◇◇◇

ちなみに、私の子供は、足に障害があったから、学校の友達と遊ぶことができなかったのだよ。みんな大事にしてくれたのだけど、みんなと一緒に走り回ったり飛び回って遊ぶことができなかった。気がつくと、うちの子供だけがポツンと取り残されることが多かった。

でも、これは仕方がないことだった。だってみんな子供で幼かったから…。もしもまだ幼くあどけない同級生の子供たちから『物わかりの良い大人のような配慮』をされたら、こっちがかえって申し訳なく心苦しく感じただろう。

それで私たちも悲観することは無く、ただ単純に「みんな走り回って遊びたい盛りだから、仕方がないよね~」と思うことにした。そして、いい意味で見切りをつけた。

こうして、私と夫はわが子を連れていろんなところに出かけて行くようになった。

お父さん(夫)が参加している地域の活動に一緒に参加させる、お母さん(私)の友達に会わせて楽しく語り合う、祖父母の付き合いに連れて行ってもらう…等々。

そうやって地域デビューさせて、いろんな大人達と自由に会って交流し、大人の世界のコミュニティに参加させ、大人の友達をいっぱい作り、健常児として普通に生活していたら絶対に体験できなかったことをたくさん経験させてきた。

学校には普通に通いつつ、人間関係については学校にこだわらず、学校以外の場所で、多くの大人たちの価値観に触れさせるようにした。こうして我が子は学校以外の世界を体験し、自分に自信を持ち、いつのまにか親である私たちを越えた広い人脈を持つようになり、学校以外に自分のネットワークを広げていった。私たちも自然と「同級生の友達」にこだわらなくなった。

こうして高校・大学生へと進んでいくなかで、今度は逆に、同級生の子たちから一目置かれるようになり、親しい仲間がどんどんできていった。今では大人の友達だけでなく、同世代の友との交流も増えて、とっても充実した青春時代を送っている。

◇◇◇

子供時代には未熟で幼かった同級生の子たちも、大人になるにつれて経験値と共に心も成長し、みんな大人になっていく。

子供の世界の住人だった子たちが、皆、成長して大人になったとき、そこで改めてお互いの良さを認め合い、信頼し合える仲間となり、そこから親しい友達ができていけばそれでよい…と思う。

こうした割り切りを私たちはしていたのだけど、それが今になり功を成したようだ。

あの時、小学校時代、「どうして同級生の友達ができないんだろう。」と親子共々悩んで暗く落ち込み、どうやったら友を引き寄せられるか…と卑下して姑息なことをやっていたら、今頃、我が家はネガティブな家庭になり、うちの子は自己肯定感の低い陰気な青年になっていたかもしれない。

◇◇◇

あの時は、いい意味で、学校という狭い世界の人間関係に「見切り」を付けて、思い切って方針を変えた。孤高であることを恐れなかった。つまり、肯定的な「見限り」をしたのだ。決して学校を全面否定したわけではなく、学校での人間関係が必要な子供たちも当然いると肯定した上で、ただ「今のうちの子には合わない」という事実を素直に受け入れたのだ。合わないものにいつまでも執着して無理して頑張っても、時間とエネルギーの無駄だと割り切った。そして、無理しなくてもいい、自分たちのペースに合うところで、へりくだることなく、そのままの自分をキープして、その状態で「自分たちにとって居心地のいい世界」を築いていけば良い…。そう悟ったのだ。

本当にそれだけ。何とも戦っていないし、何にもマウントしていない。

ただ、別の世界に居場所を作った…。それだけのこと。

そんな世代を超えた自由な世界のなかで、うちの子は人間関係を学び、信頼を学び、コミュニケーションを学び、人とのつながりを作った。そういう経験の場を学校以外に求めた…ということだ。

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だから、新学期が怖くて辛い…という君たちに伝えたい。

君たちが「絶対視しているその世界」は、実は宇宙的視野で俯瞰して見たら、本当にちっぽけな小さな世界だということだ。

「井の中の蛙 大海を知らず」

という言葉があるけど、井の中なんだよ、その世界は。

だから、その世界で認められなくても、全然怖いことは無い。

たまたまその井の中の狭い世界の価値観に、君が収まりきれなかったというだけのことだ。

収まりきれない自分を恥じるのではなく、こんな自分にピタッとくる世界を見つけるために、その井の中の世界から飛び出す覚悟を持つことだ。

そして、「今の自分」のことばかりにフォーカスしないでほしい。君たちには未来があるのだから、今のうちに自分の人生についてしっかり考えておくことを勧めたい。その時、大人の友達がとても役に立つ。多くの大人たちは、自分の人生経験に基づいた「自分の哲学」をちゃんと持っているから、そんな彼らの人生哲学を聞かせてもらい、また大人たちが持っている専門的な知識や技術・その道のプロの世界のことをレクチャーしてもらうと良い。これは同世代の「子供の友達」には絶対にできないことだ。大人の友達を持つ者の特権だと思う。

こうして、大人の友達から教えてもらい学んだことを生かして、自分が20歳になったときを見据えて、長期計画を立てみると良い。

君は20歳までにあと何年あるだろうか?自分が20歳になったときを想定し、そこからさかのぼって今現在、「これから自分は何に取り組むと良いのだろうか?」をちゃんと計画しておこう。

そして、今の君が心に思い描いているその夢が20歳の頃に実現するよう、この秋から早速その取り組みをスタートさせることだと思う。

若い時は「時間は無限にある」と思いがちだけど、いやいや時間は有限なのだ。あっという間に大人になってしまう。10代のしなやかな感性のときを、充実して過ごしてほしいと願う。

これから学びたいこと。得たい資格。経験しておきたいこと。行ってみたい場所。そのための資金作り。などなど。

これは必要に応じて、親や信頼できる大人達にちゃんと相談して理解を得ておくことも必要だと思う。大人から理解を得るためには、まずは信頼を得ておくことが必要。信頼は一夜で築けるものではない。平生往生で、日ごろからちゃんとした信頼関係を結んでおくことが大切だと思う。信頼はこれからとても大事になる。「信頼」が通貨と同様の価値になる時代が来る。だからこそ、信頼を第一に育んでいくことも意識してほしいと思う。

◇◇◇

ここまで長々と書き綴ったけど、こうして自分の人生を考えてみると、停滞して立ち止まっている時間が本当にモッタイナイ。

せっかくの「若さ」という武器を、学校という井の中の世界で戦い抜くことで、無駄に使い果たさないでほしい。

ここはいい意味での「見切り」をつけよう。そして、自分の未来のために動き出すことだ。早ければ早い方が良い。万が一、夢が叶わなくても若い時の「正当な努力」は必ず実になる。だから決して無駄にはならない。

一番の無駄は、周囲の意見に流されて自分を見失い、自分の意志に反したことに時間とエネルギーを費やすことだ。

もっと目的を定めて、自分の意志をしっかり確立して、自分の未来を確実に作り上げてほしい。

◇◇◇

新学期の初日を迎えることが怖くて嫌だった私も、今、こうして明るく普通に生きている。当時、集団生活になじめなかったことは、今の私には何の脅威でも恐怖でもない。ただの過去の思い出だ。済んでしまえば、それまでのこと。そして、あの辛かった体験があるからこそ、私は自分の子育ての時にはサクッと見切りをつけて、学校の人間関係に執着しなかった。それが結果的に良かったのだと思う。要は「こういう生かし方もある」…ということだ。

新学期が辛いという今のその「悩み」に、自分が丸ごと飲み込まれないよう、自分をしっかり持ってほしい。「学校が全てだ」というトリックにつかまらないよう、大きく視野を広げて、学校以外の「広い世界」にも気づいてほしいと思う。

学校という枠に心が囚われなくなったとき、君はきっと大きく成長すると思う。心の成長という点では、学校の同級生と足並みを揃えてあげる必要はない。君が一歩でも数歩でも、皆より抜きん出て大きく成長していけばいいのだ。

割り切って、勇気を出して前進しよう。

今までの常識にとらわれない、多種多様な選択も「あり」だということを、是非知ってほしいな…と思う。

大丈夫。きっと何とかなる。

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