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【創作小説】私の好きでも嫌いでもないこの季節②

前回、こちらのマガジンに収録されています。⬇︎


私は、何回か 同じ時刻、同じ場所をあの青年に遭うために通い詰めた。
運がいいときは、遭うことができた。
運が悪いときは、全く遭うことができなかった。
雨の降る日は、仕方ないので諦めた。
晴れの広がる日は、心躍った。

道を行き、鋪道の端でスズカケの木を見上げるその青年を見かけるとき、私の心は躍った。
その青年の佇まいが、私に  "見たことのない世界" を連想させた。
その青年の  "世界"  からは、私が失った 何か  "大事なもの"  を流れ込ませるような予感があった。
“何か“  は、まだ分からなかったが、 “私たち“  がもっていなければならないもので、  “無いと困るもの"  という予感があった。

(私は、この  “世界“  を探している)

夜になると、私は自室の本棚にしまっておいたスケッチブックで、青年のスケッチをした。
スズカケの木の下で、青年は 碧い色と緑の色に塗りたくられた。

ときにその青年は、南国の砂浜でやはりぼーっと立っていて、やはり コートは着たままで 碧と緑を 更に塗ったくった色だった。

面白いので、私は毎日いろんなところへ青年をスケッチブックの中で連れて行った。
青年は、スケッチブックの中で文句も言わず、碧と緑に塗りたくられて、ぼーっとスズカケの木を眺めているときのように、突っ立っているのだった。

私は、毎日、毎日、そうして青年を描いていた。
時間はあったから。暇だったから。

ある日、冬のこの時期この時間に 青年に遭うと、向こうもこちらをじーっと見るようになった。すぐに知らずによそを見るが、向こうも「あ、いつも見る人だ」くらいには思ったのだろう。多分「近所の人だ」と。

また、近くの道を保育園児が、まとめて歩く。
黄色い帽子をかぶって、まるで大量生産された規格品のように、いや、そんなことを言ったらそれぞれの関係者に失礼だ。いや、お揃いの仲良い兄弟のように。

その中の子達は、「彼」に馴れていた。
親しみを込めて「にこーっ」と、する。
幼児の「親しみが込められる人」への判別は早い。
その「彼」は、幼児にとって「自分たちの世界へ入れていい人」だった。

「彼」もにこーっと返す。

保育の先生が、これも馴れたようににこーっと微笑うと、その中の一人、まだよちよち歩きに近い「赤ちゃん幼児」がしゃがんで、一つの石ころを手に取った。

何をするかと思ったら、

その石ころを、青年に手渡した。

その石ころを、
青年は夏の花のような笑顔で、だいじにコートのポケットに仕舞った。


               つづく


©2023.12.27.山田えみこ

*この作品はフィクションです。
不定期の投稿になります。

つづきはこちら⬇






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