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堂島商取 コメ先物取引廃止

コメ先物

令和3年8月7日付日本経済新聞で大阪堂島商品取引所でのコメ先物取引廃止の記事が出ていた。10年の試験期間を経ても、生産者の参加が広がらず、供給サイドへのメリットが十分に提示できなかったと言える。それもそのはず、この市場で独自ブランドとして上場されているのは、取引のほぼ9割を占める新潟産コシヒカリをはじめ、宮城産ひとめぼれ、秋田産あきたこまちに限られており、あとは東京の市場で一般的に取引されるものとして取り扱われる。そんなところにわざわざ出して価格リスクに晒されるくらいならば、農協経由で出した方がよっぽど安定している。先物の大きな特徴とされるリスクヘッジ機能というのが、少なくともコメに関しては全く働く要素がないのだ。それでは、生産者にとってはメリットを見出しにくい。

農産物先物の存在意義

そもそも農産品は、価格が上がったからといって同一品質で生産量を増やすということはしにくく、豊作になるか否かを含めて、天気まかせであり、先物をやるメリットとして提示できそうなのは、豊作時の値崩れを事前に避ける、ということくらいである。しかしながら、金融商品としてのコメ先物は、別に保管場所を持っていなくても参加できるわけで、それを通したからといって、ミクロ的な豊作対策にはなっても、マクロ的には何も解決しない、単なるババ抜きにしかならない。豊作時の保管場所、輸出先の確保、加工生産などの売り先をきちんと持っている業者が、他の穀物等との相対的値段でコメが豊作だから今年はコメに保管場所などを使う、という使い方をするのならば、存在する価値もあるのかもしれないが、ただ安いから買い、高いから売るという金融商品としての農産物先物というのは成り立つ要素が微塵もない。小麦は成り立っているとの言及もあったが、小麦の場合は需要も供給もグローバルであり、小麦そのものの需給だけで市場が成り立つということがある。そして日本のコメほどブランド管理に厳しいというイメージもなく、小麦ならなんでもいいだろう、という一般性が先物成立の鍵となっていると言える。それがまさにコモディティと呼ばれる所以であり、果たして日本のコメはコモディティなのか、コモディティとしてのコメの需要は存在するのか、という議論が必要になるのだろう。ただでさえコメの需要が停滞している中で、いったい誰が安かろう悪かろうのコメに手を出すというのか。先物発祥の地という感傷だけでコメ先物を復活させようとしても、現在の実態とは全く違うし、そもそもその先物が生まれた背景のようなものをきちんと理解すれば、そのような感傷ですらも全く無意味であることがわかるはず。

質による先物の可能性

金融商品としての農産物先物が難しいとして、いったいどのような形態でDX的なものを農業に応用できるか、と言えば、価格による先物ではなく、質による先物ということになるだろう。農産物はできるまでに時間がかかるわけであり、その間の生産プロセスがきちんと担保されたものについては実需が確実に存在すると言える。現在でも、スーパーなどの需要家が生産者と直接契約し、品質を確保した上での購入ということは行われているし、商社が海外で農業進出するときも、生産管理から一貫して行い、日本の需要家に受け入れられるような商品を作って販売するという、質による先物のようなことはすでに行われている。これをDX化することで、生産履歴のブロックチェーンによる管理などを行なって品質を可視化したものについて、商社や需要家とは別ルートで個々の生産者が市場に出せるような、農産物品質先物のようなものがあれば、生産者が需要家を直接探すことなく、市場に流しておいて、自分たちは質の良い農産物生産に集中する、という需要は生まれるかもしれない。生産者にとっての需要家の開拓というのは、自分たちの仕事とは直接関わらない、結構負担となる部分であり、まさにその代替を行なっている農協の力が強いのはそのためであると言える。そこを市場化する、という可能性はあるのかもしれない。

歴史からの教訓

戦前、日本の生糸は世界市場をほぼ独占する力を持っていた。その大市場はアメリカであり、アメリカの市場動向いかんで価格が大幅に変動する、ということは確かにあった。そこを日本側の生産協定などで価格決定権を握っておけばよかったのだが、1927年にシカゴ商品取引所で生糸の先物ができ、価格決定権を完全にアメリカ側、特に金融資本に握られてしまったことで、生産者は単なる下請けと化し、そしてアメリカが化学繊維にシフトし、そして戦後には逆に綿花の徹底売り込みをされることで、生糸産業というのは完全に死に絶えてしまった。農産物先物を含め、デリバティブというのは、金融に実体経済を従属させるものであり、それによって産業構造は最も簡単に変わってしまうのだ。そのような劇薬を、未来構想を描くこともせずに、「市場での競争を避け、旧態依然とした横並びの生産調整に頼る限り、・・・海外市場を開拓できるようなコメビジネスが育たないことを意味する。」などと、いかにも金融市場に晒せば海外市場が自動的にできるのだ、などと他力本願をしていること自体が、まさに旧態依然であると言える。

問われる構想力

私は、デリバティブ自体全く評価しないが、その中でも農産物のデリバティブは特に筋が悪いと思っている。どうせやるのならば、今需給が逼迫している半導体先物のようなものを日本に作り、それによって半導体価格決定権を日本に持ってくる、というようなことを構想すべきなのであろうと感じる。農産物に先物を無理やり適用するよりも、はるかに安定品質の半導体を、価格ベースの取引にし、大口需要家の好きにはさせない、というような意地を持って望んで欲しいものである。それこそが、かつてはLNGの先物創設に挑む度胸を持っていた日本経済界の矜持ではないだろうか。

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