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<おとなの読書感想文>ペンギン・ハイウェイ

人間、偉くなるためには日々の鍛錬が不可欠だけれど、継続できる人は少ないと思う。
10歳が大人になるまでの三千七百日ほど、疑問に思ったことをひとつ残らずノートにメモして、根気強く調べていったなら、わたしももう少し立派な人物になれたのかもしれません。
がんばって買った日記帳が多く白紙を残して放ってある、今となっては、もうわかりませんが。

科学分野の研究者が万物の謎を解き明かそうとする情熱には、並々ならぬものがあります。
なぜそこまでと問えば、そこに謎があるからさ、とさながら登山家のような答えが返ってきそうです。
登山家にとっての山同様、彼らにとって謎はこの上なく魅力的なものなのでしょう。
ノーベル賞受賞会見をテレビで見ては、そんな研究者の姿勢に憧れるものですが、現実の研究競争とはなかなかしれつで、夢やロマンだけでは片付かないものらしいです。
それでも、わたしは期待してしまう。
彼らの中にアオヤマ少年の姿を重ねてしまう。
彼らを突き動かすエネルギーに、アオヤマ少年のそれと同じものがあるはずだと思うのです。

「ペンギン・ハイウェイ」(森見登美彦 角川書店、2010年)

レゴブロックを積み上げたような、郊外の新興住宅地が舞台です。
アオヤマ君は10歳の男の子。日々気づいたことや感じたこと、研究の成果などを自ら編み出した速記法でノートにくまなく書き付けます。このままいけば、大人になる頃には南方熊楠に匹敵する博覧強記ぶりを発揮するに違いありません。
ある日、空き地に突然現れたペンギンたちが、アオヤマ少年に思ってもみなかった謎を突きつけます。
どうやら、その謎はよく行く歯科医院のお姉さんに関係があるらしい。。。


ジェームズ=バリのピーターパンのセリフに、
“ To die will be an awfully big adventure “
(死ぬっていうのはとてつもなく大きな冒険だろうな)というのがあります。
アオヤマ君はピーターパンに似ているかもしれません。
理論家で冷静でものすごく大人びているのだけれど(まったくありふれたこともありえないと思われることも、あくまで客観的に観察し分析する目は小学生とは思えません)、ハマモトさんやスズキ君の気持ちに鈍感で、お姉さんへの感情も、まだどこか育ちきっていない部分があります。そして、子ども特有の尽きぬ情熱と好奇心を持っています。
その、死をも恐れぬような一途さは、読者に少しの不安を与えます。
いつか本当に謎を解き明かす時、「世界の果て」を見る時がくるとしたら?その先に何が待っているのか誰もわかりません。

あふれるイメージと軽妙な語り口が楽しいこの本を、成長過程の少年が経験する愛と勇気と希望の物語なのだと思って読み進めました。
しかし、終わりまで読んでみると、それ以上にずっしりとしたある手応えのようなものを感じることに気づきます。
まだ見ぬ何かを追い、つかまえ、また追い続けるという、大きな反復運動の一端を見たからでしょうか。
その果てしない繰り返しこそ生きるということかもしれないけれど、どこか切なさを誘うものだと思うのでした。

萩尾望都さんの文庫版解説の最後が、とても印象的です。

「アオヤマ君、君はぼくは泣かないのですと言うけれど、私は泣きます。」

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