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あの柿を取るのはあなた

朝、外出したら近所に濃いピンクの梅の花が咲いていた。
数日前に啓蟄が過ぎた。すぐに黄色のケナリ(レンギョウ)やチンダルレ(山つつじ)が韓国の山を彩って春を知らせてくれるだろう。近所の白木蓮の蕾はまだ固い、開花は再来週かな、ただ待ち遠しい。



季節外れな「柿」画像をくっつけたのは、「柿」にまつわる思い出が浮かび上がってきたから。あれは10年以上前だった。私の義姉が人様の家の柿を勝手にもいで、その家の主人に怒鳴られたのは笑 


しかも!義姉はその「とるな!」の怒号を気にするようでもなかった。「はいはい」と気の無い返事をテキトーに返し、欲しいだけの柿をポケットから出したビニール袋にパンパンになるまで詰め、何事も無かったように立ち去る姉の堂々とした後姿を、、忘れることができない笑




そんな光景生まれて初めて見た。道徳的には褒められたことじゃないかもだけど。「あんなに怒られても意外と大丈夫なんだ!」人間理解の枠がぐっと広がった気がした。たしか山に親戚のお棺を埋葬する道すがらのことだったけど、あれは誰のお葬式だったっけ。柿しか覚えてないや笑




その義姉は大変な生活力がある人だ。韓国語でなら「잘 챙기는 사람」というか、「손이 큰 여자」「품이 큰 사람」というか。料理は自分の分だけじゃなく身内の分まで一緒に多めに作って気前よく分けたり、他所からもらってくる時も超沢山もらってきたり、が身についている人。(義姉が作る料理は大変美味しく掃除洗濯も神レベル)それは昔の韓国では「長所」とみなされた点。人間味があり人の事まで考えてあげられると。




しかし氏族意識が弱まり、反比例的に個人意識の強まった現代韓国でこれをやり過ぎると今や困ったちゃん扱い。社会的には「短所」になりつつある。行事等で一人に一つずつくれる記念品配布で「あと2つくれ、妹達の分も。今日一緒に来れなかったから」とダダこねて、くれるまで地蔵のように動かないハルモ二(おばあさん)とかスタッフ困る~。



上記の義姉は口も達者で声も身体も大きい。かつての武勇伝も噂で聞いた。血気盛んというかえらく気が強いという事でしょう。加齢で以前ほどの勢いはないけれど。義姉とは結婚以来25年のお付き合い、柿ドロ以外にも色々あった。本当に色々。



うちの夫は最初私との結婚を家族に大反対されてた。どっかの巫女が「この女と結婚したら三年以内に新郎は死ぬ」と言ったのが一番の原因だ。(義父だけが最初から最後まで大賛成だった)そんなわけで私は不吉な新嫁として迎えられた。なので義姉達とは嬉しくない初期の記憶もあり、「理不尽~!」と何度も思ったものだった。だけど外国人嫁に心の距離が遠くなる姉の気持ちはそれなりに理解できたので、義姉達が特別悪いとは思えなかった。あまり深く考えず多くを望まず付き合ってきた。別の言葉で言えばほっといた笑




結婚後、夫が3年で死ぬことはなかった。死ぬどころか夫はどんどん艶々ふくふくしてきて「あの巫女のお告げはハズレ」なのは親族の中で公然の事実になった。15年前にソウルから義姉達の近くに引っ越すことになり、その頃から義姉達との関わりは急増した。



なんだかんだで可愛がってもらい、こちらも「?!」なことがあってもあまり問題にせず付き合ってきた。そのうちお互い慣れ、情らしきものも湧いたのだと思う。義姉達との関係性は変化していった。だからこうして文字に落とせているのだと思う。



良い言葉だけじゃなく、「やりたくな~い」「めんどくさ~い」「これ美味しくない!」まで口に出して付き合えるようになってるのだから、そりゃ楽だ。冬前のキムジャン戦線に下っ端兵士として参戦しつづけたのも結局は良かったみたいで、色んな意味で信頼してもらえるようになった。




いまや下の義姉(かつての柿ドロ笑)とのつきあいが特に楽で、何かの家族の集まりがある時、義姉と動くと大人数の女同士の集まりでストレスが無い。大きな魚のお腹に引っ付いたコバンザメになったようにスイスイ。いつしか流れ着いたこのスタイルがあまりにも楽チンで、私はある時期から「私はコモ(義姉)大好き!」と口に出して言い始め、義姉に引っ付くようになった。



今朝は上の義姉から「テンジャンク(味噌汁)沢山作ったから、鍋もってとりにきなさい」との電話をもらったのでもらいに行ってた。ついでに他のものまでもらってきた。下の義姉は車で近所を通る度に果物やら餅やらを私の家の前に黙って置いていってくれる。笠地蔵みたい~!こんな感じで色んなものを頂いていてありがたい。ただ多すぎる時もある、こんなには要らない!と上手に伝えたい。伝わるかな~?



なので、もし柿泥棒のあの日に帰れたら。義姉の行為にぼーっと立ち尽くしていないで。

一緒に柿をとらなくっちゃ!

と思う。義姉と一緒に「はいはい、これだけこれだけね~」とプンスカ怒ってる主人をテキトーにうけながして。それが自然な気がしている。義姉のフォローが出来なかった私は心がケチだった!どうかしてた笑 



今咲きほこるのは桃色の梅なのに、柿事件を唐突に思い出したのは何故だろう。そうだ!今朝久しぶりにあったあの人があの葬式の喪主だったからだ!
あれもこれも時が思い出をやさしく柔らかく良い感じにまろやかにしてくれてたような気がする。



時を重ねてうまく熟成すると発酵、一つ間違えると腐敗。
私の思い出はうまいこと発酵したのだと思う。「腐らない」のがいいのかもしれない。どうなるか分からない先のことを「無理!」と決めつけずに。




そういえば柿はお酢になるのだった。柿酢
柿酢の効能は免疫力向上をはじめ色々あるらしい。
「柿が赤くなれば医者が青くなる」

https://fruits-yamanashi.sanchoku-prime.com/blog/kakizu_tukaikata


義姉と今みたいになるには年月が必要だった。自分には。
義姉達も前ほどの勢いは消えてぐっとまろやかになっている、やっぱ年月かなあ笑。自分にとってはあの山の柿が、ちょうどいい頃合いの柿酢になったような気分です。酸いと甘いが丁度良くて美味しい!みたいな笑

ありがとうございました。








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