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何もしない私は居る意味ないですか?


昨夜
シータヒーリングの様子を
youtubeで観ていた。


私はシータヒーリングを知らないが
カフェに集まり参加者の思い込みを
ヒーリングで外している様子だった。


参加者の女性は末期の癌で
余命がもう長くはないらしい。


ヒーラーの男性は
そのことを聞いても同情したり
共感したりはもちろんしない。


普通に生きていたら
まぁ、大変!可哀想!
なんと声をかけて良いのか…

そんなリアクションが出てくるとこ。


余命いくばくもない彼女は
カフェを1人で営んでいたが
2年半くらい経ってとても
しんどくなったらしく


病気が発覚したのも
その時期だったらしい。


なんとなく、私の状態と似ていた…


私は重い病気ではないにせよ
独立して数ヶ月で頑張りが効かなくなり
これから軌道に乗せるぞ!という時期に
全くやる気が湧かなくなってしまったのだ。


夢だった会社に雇われない生き方なのに…


自由になれると思いきや
楽しい時間よりも苦しい時間の方が
長いという現実に直面した。


憧れの白い壁のお部屋、観葉植物
憧れのインテリアに、丸いテーブル…


団地育ちの私が夢見た
おしゃれなお部屋を形にしても
私はその部屋を見るたびに
家賃の支払いを思い出し不安になる。


今月も支払いがある…
頑張らないといけない…
でも気持ち的にしんどい…


そんなこんなでもう2年
今の私の体調じゃ続けるのは
しんどいと感じている。


カフェを営んでいた彼女も
1人でやっていくのは楽しくもあり
苦しくもあったと言っていた。


お客さんは満足してくれたかな?
それが気になっていたらしいが
それは私とて同じだ。


ヒーラーの男性は
彼女の様子を見て言った。


あなたは、気が利きすぎるのよ。


カフェを開いても
勝手にみんな楽しんでね〜
と放っておけないの。


あなたのように気が利いて
あれこれしちゃう人が
一番やっちゃいけないのがカフェ!


今まであなたは人のために
家族のために、お客さんのために
自分を置き去りにしてやってきた。


あなたが病気になったのは
いい加減もう自分の人生を生きてください
という身体からのメッセージです。


ここで皆さんに言ってください。


私は何もしませんが
ここにいてもいいですか?
と。


その時、彼女の目から涙が溢れた。


彼女は声を震わせながら
私は何もしませんが、ここにいていいですか?
と会場のみんなに言っていた。


私もその様子を見て涙が溢れた。


私には彼女の涙のわけが分かった。


何もしない自分が居ていいなんて
人の役に立つことしなくていいなんて
夢にも思わなかったのだろう。


あの姿は私自身でもあった。


きっと、今まで誰かの喜びのため
大好きな家族のため、人のため
何でもしてあげたい!と思って
生きてきたのだろう。


楽しませなきゃ!喜ばせなきゃ!
それは一般的には優しい行為と
みなされてはいるけど


心の底では
人を満たせない自分になりたくない
何の価値もない自分になりたくない


そんな気持ちが潜んでいるのだ。


生きているだけでいいなんて
一体誰が言ってくれただろう?


私たちは常に他者のため
身を削ってまで喜ばせないと!
と頑張って生きているのだ。


その結果が病気なのだ。


人のために生きてきたのに
真面目で気が利くいい人だったのに
なんであんないい人が….


ではなくて
いい人だからこそ自己犠牲心が強く
自分を痛めつけてしまうのだ。


人を満足させられない私でも
いてもいいですか?


誰にも喜ばれない生き方をしても
いてもいいですか?


お金を稼いでいない私ですが
いてもいいですか?


役に立たない私ですが
いてもいいですか?


私も本気で生きなくちゃいけない。


本気で自分のために生きなくちゃ。


本気で私を幸せにしなくちゃ。


もっと自分を満たそう
もっと自分に興味持とう。


みんな、本気で自分を幸せにしよう。


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