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感謝のできない自分を責めてるなら感謝はしない方がいい


20代の頃にもっと幸せになりたくて
もっと素敵な人生を送りたくて
スピリチュアルとか自己啓発とか
そんな類の情報には散々触れてきた。


ありがとう・感謝します
という物凄く波動が高い言葉を
何度も何度も唱えるといいとか
感謝しよう!感謝が足りない!
とか散々聞いてきた。


そして今、それらの情報によって
私はずっと苦しんできたのだと気づいた時



本当に感謝の気持ちが湧き上がった時にしか
ありがとうとは言わなく…
いや、言えなくなってる。


私は感謝もできない
感謝の足りない傲慢な自分が
すごく悪い存在のように感じていた。


今の自分に満足せずに
不足にばかり目を向ける
そんな自分は感謝を知らない
傲慢な人間だと思って自分を裁いていた。


感謝というのはハートで感じるものだ…
心の底から湧き上がってくる感情
なんだと気づいた時


私は今まで本当に感謝したことなど
あったのだろうかと思った。


私は感謝の気持ちが湧いてこないくらい
自分の人生が苦しみでいっぱいだ。


嘘っぱちの「ありがとう」を言うことすら
とても辛い時がある。


だけど、礼儀だから、マナーだから
コミュニケーションだからと
思ってもないのに言ってみたりする。


感謝というエネルギーが本当に湧くまで
ありがとうと言えなくなってきている今


それは心に嘘がつけなくなってきた予兆であり
私はこれから本当の意味で感謝の気持ちを
経験できるのかもしれない。


今、人生が苦しくて、何とかしたくて
身体もしんどくて、八方塞がりなのであれば
感謝ができない自分を責めることよりも
本当の自分の気持ちに気づく方が先だと思う。


もっといい人間になりたかった。


人々への感謝の気持ちを忘れない
優しくて謙虚でいい人間になりたかった。


だけど、それを感じることができない今
感謝が湧いてくるくらい自分を満たすことが
何よりも先決なのだ。


私は感謝もできない人と
母から責められたことがある。


それは心の傷となり
私は感謝が足りない冷血な人間なのだと
あの日以来、自分を責め続けてきたけど


感謝が湧くまで自分を生きてみることが
今の私にはたぶん必要なんだと思う。


だからもう自分を責めない。


感謝のできない冷血な傲慢な人間だと
自分を責めたりしない。


私の中には冷血な部分もあるし
傲慢な部分もあるのだ。


それが人間だから。


ありがとうと感じない自分に
本当にロクな人間じゃないと
思わずにはいられないけど


なんて傲慢なんだと
思わずにはいられないけど
今の私にはそれが限界です。


そんな弱い自分を受け入れた時
本当にありがとう…
と心の底から言える気がする。


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