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ゲシュタルト崩壊から論理的思考へ

(執筆:2017年1月頃)

センター試験の日はいつも雪が降りますね。でも今年はちょっと尋常じゃない気が。どうかみんな無事に1日目を迎えられますように。


高校時代は音大に入りたくて、学校の課題はすべて授業中と休み時間に終わらせ、帰宅後は5~6時間を練習に充てていた私。さすがに激務すぎて体を壊し、高3のGW明けから一般受験に切り替えたわけですが、勉強はその場しのぎでこなしてきた私ですから、問題文がゆらゆら揺れる、一文読むにも一苦労、マークシートにじんましん、など非常に苦しい受験生時代を過ごしたのでした。

文章を論理的に読むにはどうしたらいいですか?論理的に書くにはどうしたらいいですか?やっぱ本読まなきゃですか?とよく聞かれるのですが、論理的に思考できるようになる唯一の道は、意識的に日本語を使えるようになることだと思います。


意識的に日本語を使えるようになるために、密度の濃い文章を読み砕くことは役に立つかもしれません。文章中に現れる「こそあど」が何のことで、どの文章が根拠になって結論に至っているのかを分析すれば、たとえ一冊だけでも、自分の書く文章が劇的に変化するはずです。

そういう意味で私にいちばん影響を与えた本は、今は亡き文学評論家・竹村和子さんの『愛について』です。自身の見解に至った経緯について、脚注にもびっちりと説明を書き込む竹村さんが、ほとんどモノローグのように独自の理論をはばたかせる第三章の、あの数ページは感涙ものでありました。

高校時代、楽譜の音符も、テストの問題文も、ゲシュタルト崩壊して混沌とした記号にしか見えなかったのに、意識的に日本語を使い始めた大学院時代にしてようやく、参考文献の理解度も、楽譜の読み方もずっと深まり、自分の理解したことを立体的に表現できるようになったのでした。

そのプロセスで起こったことを、今度はきちんと他人に教えられるように。勉強は終わらない。

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