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ヒロシマ・ナガサキの経験から、実行力のある平和文化を考えるために

前回の記事では「戦争を直接経験した人々がいなくなっても、その経験を受け継ぐことができるのだろうか」という疑問について、考えてみました。

戦争を直接体験した人たちの記憶を鮮度の高いまま受け継いでいくには、どういうテクノロジーを使い、どういう文化を築いていったらいいのか

今回の記事では、平和と文化について考えてみたいと思います。

私が平和と文化について真剣に考え始めたのは、学生の頃、被爆者の語り部活動をお手伝いしていた時でした。その活動の拠点はまちの学童や図書館が併設された公民館にあって、夏休みや節目の時期になると、語り部さんが読み聞かせや自身の体験を語るイベントを開いていました。

「平和な世界でよかったと思いました」
「戦争がないことを祈ります」

イベント後、小学生や一緒に参加したご家族からはこうした感想がよく寄せられました。

子どもたちが戦争のことをはじめて知った衝撃に言葉を見つけられなかった可能性を考慮におきつつも、あまりにぼんやりした平和への祈りは、世界で今も起こる戦争に関心を向けたり、行動を起こしたりするきっかけにはなっていないように思われました。

ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、戦争の罪を4つに分類しています。

①刑法上の罪:法律違反として裁判によって裁かれる罪
②政治上の罪:国家の名の下において犯され、その国家の構成員である国民にも問われる罪
③道徳上の罪:個人が道徳的判断を介入させて行った行為によって生じる罪
④形而上の罪:個人が直接関係するわけではないが、場所・ときを同じくして生起している不正、不法に対して何もしないことによって生じる罪

①や②は、おもに政治的に責任ある立場にある個人や、国のような共同体に対して、国際法や戦後処理のなかで特定されていく罪です。

③は、命令で他者を殺害したり、隣人が連行されるのを目撃しながら何もしなかったなど、個人が直接・間接的に犯罪行為に関わった際、犯罪を阻止する方向へ行動できなかった場合に生じる罪です。

④は③と違い、個人が直接・間接的に事件に関わっていないとしても、知りうる限りの不正に対して何もしなかった場合に生じる罪です。

例えば今、ウクライナで起こっている戦争について。個人レベルでは、国際政治での決定権をもたない限り、私たち一般市民の多くは①や②の責任を直接問われる可能性は低いです。ですが、もし当事国に直接・間接に知り合いがいて、その人の生死に関わる何らかの決断を迫られた場合、③の責任を問われるかもしれません。しかし④の責任は、ウクライナで戦争が起こっていることを知っていながら何もしていない場合、私たち1人1人に問われるのです。

私たちは「無辜(むこ)の市民が戦争によって生活をめちゃくちゃにされた」という戦争体験のストーリーに慣れきってしまっています。『ほたるの墓』『はだしのゲン』をはじめ、少し前に大ヒットした『この世界の片隅に』などはその典型でしょう。

主人公は呉に住んでいました。呉は言わずもがな、戦艦大和を生み出した日本海軍最大の要衝でした。しかし映画はこうした土地柄を表立って想起させることなく、主人公は世間知らずの初心(うぶ)で、姑の意地悪に虐げられ、最後には爆撃に遭い、夫を失います。なるほど主人公は、戦争の被害者として同情するに値します。

その一方で、こうした世界観は、主人公=私たち自身もまぎれもなく戦争の起きている世界の一部であること、何か行動を起こせば変化を起こせるかもしれないのに、行動していないことの責任を遠ざけてくれます。

多くの人が苦しかったはずなのに、戦争を進めたのは誰でしょうか。体制維持のために働いたのは誰でしょうか。戦争で儲かったのは誰でしょうか。有権者は選挙に行ったでしょうか。兵士は従軍を拒否したでしょうか。その他に戦争を止める手立てはなかったでしょうか。こうした不愉快な問いかけがなされなければ、私たちは自分たちの生きる時代に対して、②政治上の罪や③道徳上の罪、さらには④形而上の罪を問われずに済んでしまうのです。

戦争体験を語る人の体験と記憶の多くは、確かに「無辜の市民が戦争によって生活をめちゃくちゃにされた」というものでしょう。でも本当に語ってほしい/語り継ぎたいのは、つらい体験を語る人たちには残酷ながら、「戦争を止めるために何かできなかったのか?」「できなかったのなら、何をすればよかったか?」「どういう社会なら、次の戦争を止めることができるか?」ということなのだと思います。

それが、行動せず祈りのポーズだけを取る平和の文化を超えて、本当に戦争を阻止することのできる平和文化のために必要な歴史の知恵だと思います。

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