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実はもともと歴史学者を目指していました。序。

実はもともと歴史学者を目指していました。いや、80歳になったらまた研究を再開するつもりでいるので、正確には歴史学者を目指しています。ということを、最近知り合った人に話していませんでしたので、改めてまとめておこうと思います。

歴史学といっても、私の専門としていたのは「文化史」と呼ばれるジャンルで、一次史料をもとに新しく見つけた歴史的事実を記述する仕事というよりは、歴史をもとにした映画や文学、まちの景観や建築物、歴史証言などから、歴史のイメージを読み解く解釈側の仕事を志していました。文化批評、カルチュラルスタディーズ、歴史哲学などとも隣り合う分野で、歴史学の先生からは「中途半端」と怒られ、文学界隈の学生からは「お堅いねぇ」と言われるようなハザマにいました(笑)。

修士号まで取得し、そのまま博士号まで行く予定をしていましたが、今ではいったん研究の場を離れ、文化芸術に関わる業界で仕事をしています。文化業界といっても、医療福祉と密接にかかわる現場なので、ここでもまた良く分からないハザマの領域にいるわけなのですが。

突然ですが、私が生涯通して探究したいテーマはこれです。

「戦争を直接経験した人々がいなくなっても、その経験を受け継ぐことができるのだろうか」

戦争のように、自然ではなく人為的に引き起こされた暴力の経験、圧倒的な喪失体験を、人間はどのように記憶し、受け継いでいくと良いのか。それを受け継ぐことで、人間の社会から戦争に起因する悲しみをなくすことはできるのか。それは時代を超えても、時を同じくして国境を隔てても、可能なのか。

うまくまとめられるか分かりませんが、今日から3つに分けて頭の中の現状を整理していこうと思います。ここ10年くらい研究畑からは遠ざかっていますので、参考文献が古いですごめんなさい。

(目次予定)
1.近代戦争は100年ごとに起こる —— 高校の先生が放った不吉な予言と記憶理論研究
2.ヒロシマ・ナガサキの経験から、実行力のある平和文化を考えるために
3.ウクライナ戦争に何を思うか —— マクロとミクロの交差点、戦時性暴力への想像力

これを機に、これから出会う新しい友人たちとも色々お話できると良いです。

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