咲良-Sakura-

2021年10月から マレーシア国立大学に進学 海外から見た日本。 自分が今感じてい…

咲良-Sakura-

2021年10月から マレーシア国立大学に進学 海外から見た日本。 自分が今感じていることをシェアしていきます。

最近の記事

Stand Out Fit In -はみだして、なじめ-

私は日本人として生まれた。 両親も、祖父母も、曾祖父も、日本人だったが、 見た目は、東南アジア系の顔をしている。 母の教育は、アメリカナイズされていた。 自分のやりたいことを尊重してくれたし、 できる限り挑戦させてくれた。 そんな私は、自己主張激しめの、 はっきりした性格で育った。 小さいころは、 見た目で『日本人らしくない』と言われた。 すごくポジティブなイメージだった。 しかし、高校に入ると『日本人らしくない』 という言葉の意味が変わっていた。 今まで見た目に対し

    • 嫉みたい奴は嫉んどけ!!

      私は、よく嫉まれる… 私はそれを上手く処理できない時がある。 私は、そんなめんどくさい感情を 受け流す能力をあげたい。 活発によく動く方だし、いろいろな活動に参加している。 基本人見知りだけど、社交性があるし、 有難いことに多くの人に話しかけてもらえるし、 可愛がってももらえる。 そして、何より、 人運が強い 嫌な思いを交友関係ですることも多いが、 それ以上に、素敵な人に囲まれて生きてきた。 年齢や、社会的地位、収入などのステイタスにとらわれず、 様々なイベントや、場

      • 可能性は未知数

        『何になりたいか』と問われると、正直わからない。 子供のころは、芸能人になりたかった。 実際、チャンスにも恵まれて、養成所に入り、 大手の事務所で研究生として所属もした。 しかし、高校受験で休んでいた時、 担当していたマネージャーが辞めて、 自然とその事務所を辞めた。 高校に入ってからは、 漠然とした海外のイメージを追って 英語の勉強と、アルバイト、ボランティア活動に 精を出した。 成績は、みるみる上がり、 平均低下だった英語はクラスで五本の指に入るまでになった。

        • 気持ちがいい挨拶の力

          私の自慢は、人運が強いことだ。 私は、人に恵まれている。 たくさんの人と出逢い、 離れたくない人と交流を続けられる才能を持っている。 なんで自分は、人運が強いのだろうか と考えたときに1つ、大きなものがある。 それは、 気持ちがいい挨拶ができる ということだ。 気持ちがいい挨拶ができるとは? 1.笑顔 2.明るいトーン この二つだと思う。 笑顔 私の本名には『笑』という字が使われている。 由来は、笑いは人を幸せにするからだと母が言っていた。 実際、朝仕事を始める

        Stand Out Fit In -はみだして、なじめ-

          やさしさとは?

          私の今の悩みは、 『やさしさって何だろう』ということだ。 人を助けることは、好きだ。 それに、今までにたくさんの人に 助けられてきたから、 私も、ほかの人を助けることで、 今まで助けてくれた人に 恩返しができているように思えるから。 ただ、時々、私は、 『自分はやさしい人間です』と アピールするために人を助けてるのでは と思ってしまうことがある気がする。 特に、自分が好きな人の前で、 酔っぱらいの介抱をしたり、 洗い物を進んでしたり… そういう行動をすることで、 自

          やさしさとは?

          チャンスは『感謝』する行動から

          私は、チャンスに恵まれていると思う。 それには、いくつか理由がある。 ほとんど日本人がいない国立の大学に通ってるということも 大きな理由だろう。 しかし、一番大きいのは、 感謝できる行動ができているから、大きなチャンスが 巡ってくることも多いと思う。 私は、日本文化クラブという大学内で、 日本の文化を学んでいるクラブのメンバーだ。 本来、私はそのクラブに今、参加していない予定だった。 しかし、メンバーの一人が私を引き留めてくれた。 彼には、勉強法や、ストレスマネージメ

          チャンスは『感謝』する行動から

          ストイックな上の弊害

          私は、自分で言うのもなんだが、 かなりストイックな方だ。 自分がやると自分で決めたことに、 周りの人よりも少しでも多くやらないと 気が済まないタイプの人間だ。 これは、幼少期、ある人に 『努力は同じ物事に取り組んでる人の中で、 一番頑張った人しか使ってはいけない言葉だ』 と言われたのがきっかけである。 それ以降、何事にも人一倍頑張らなければならいと 考えるようになってしまった… だから、自分のやりたいことに 使う時間や、動力はいくらでも惜しまない。 その習慣のおかげ

          ストイックな上の弊害

          足るを知る者は富む

          『咲良って苦労したことないでしょ?』 『咲良っていつも楽しそう』 私がいつも周りか言われることだ。 実際、私はその時を楽しんでいる。 ただ、誤解してほしくないが 私の人生に何一つ問題がなかったわけではない。 自分ではどうにもできないたくさんの問題に 私は立ち向かってきた。 とりわけ、高校時代は私にとって 暗黒の時代だ。 両親の関係は冷え切り、離婚について協議中。 父親は、男尊女卑的思考が強く残っており、 大学進学の支援は全くする気なし。 母は、両親の介護でいっぱいいっ

          足るを知る者は富む

          自分の価値 マレーシアで生きる私…

          私の価値は何だろう? 日本文化クラブのメンバーと活動する中で、 常に感じていた疑問だ。 クラブ内唯一の日本人として ローカルの子たちと活動する中で、 私は、みんなの足を引っ張ているように感じていた。 手続等の書類や、連絡など、 私ができないことがたくさんあった。 連絡事項も、別途まとめてもらわなければ、 分からないこともあった。 それらを他のメンバーが何も言わずにやってくれていた。 申し訳ないな。 私なんて、活動に参加しないほうがいいのではないだろうか。 そんな風に毎

          自分の価値 マレーシアで生きる私…

          忘れ去れつつある、”義理と人情”

          私の母はいつも、 『”義理と人情”を大切にしなさい』 と私たちに言い聞かせていた。 ”感謝のできる人間でありなさい” ”周りの人を大切にしなさい” そう言い聞かせられてきた。 最近、”義理と人情”のある行動ができない同世代が 多いと痛感している。 全てを自分中心に捉えて、動いていたり、 やってもらうことが当たり前と考えていたり… 感謝が瞬時にできなかったり、 自分都合で人を利用していたり、 私は、違和感を感じている。 マレーシアの生活の中で、 私は昭和的な”義理と人

          忘れ去れつつある、”義理と人情”

          違いのラベリングからの脱却

          我が家は母子家庭だ。 両親が離婚したのは、18歳の時。 家庭自体は、小学校高学年くらいから壊れていた。 私と父との関係は良くない。 父は、いわゆる ”The・昭和人間”。 男尊女卑、人種差別的思考を持っていた。 彼は、家族を 自分の地位を見せるためのアクセサリー のように扱っていた。 父と父方の家族は、 外で働く母を、習い事を子供にさせる母のことを 激しく嫌っていた。 父は、中学時代、家族に 『子供を大学に行かせるお金がない』と言いつつ、 個人の趣味に月に5万以上使

          違いのラベリングからの脱却

          無知の恥

          私は、今、 知らないということで恥をかいている。 私は今、マレーシアの大学で勉強をしている。 海外で学ぶという経験を得て私は、 日本では教えてもらえない、 日本の歴史に触れている。 『第二次世界大戦』 日本は、被害者だろうか?加害者だろうか? 私の立場として、 日本は、加害者であると思う。 しかし、日本の歴史教育下では、 そのことを実感することができない。 それは、日本政府が 日本がどこでどのような攻撃をしたかを 隠しているからだ。 私は、マレーシアにきて、初め