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人間が亡くなるまでの考え方

人生100年。まだ生きなきゃいけないんだ笑
って、思いますよね。

長い人生の中で、天災や戦争も経験し、仕事もして、生活費用も稼がないといけません。

自分が老人になったら、どうやって生活するんだろ?って、最近よく考えます。

生きている間は、仕事があればお金には困りませんし、仕事も自営だったら、雇用に迷う事もありません。

最近いろんな人の人生を見て、感じたことがあります。

それは、人生の終わり方、亡くなり方には2つの道しかないのかなと。

一つは、無です。
なんもない、いらない状態で亡くなる。

年金で暮らし、持ち家か、ホームレス、山などで自然に近い状態で、亡くなるパターン。よく、ホームレスさんの中でも、昔社長をやってたとか言う方いらっしゃるしゃないですか、私昔は、なんで?笑って、思ってたんですよ。

でも、気がついたんですよ、無になれば、誰でも無。
早かろうが、遅かろうが無を選択したら、無なんです。

その社長だった方は、多分それに気がついたんだろうなと思いました。

次に、もう一つの道、有な道です。
これは、お金、地位、名誉、家族など、色々有な人の人生の終わり方。病気になったら、病院で、ならない場合は、家族に見守られて、施設なら施設で、これらは、無を選びたくない、選ばせたくない家族により、選択する道と思います。

私の母は、お金はなくとも、有の道だった。
昔から年金だけは払う!って、必死こいてましたからね。

母は、若い時は、亡くなる時の事は、ノープランでした。

でも、私が引き取った、結果的にそうなってしまったんですが、私には運命的に介護が入っていました。

有は、家族がいる前提になります。
無は、家族が居ても娘1人で、嫁にいけば家族は当然居ないも同然。

子供が居ない家庭も同じになります。

子供や、家族が居ない場合、病気になると自分で自分の事をみなくてはいけなくなります。
病院も、保険が無いとお金がかかります。

今の病院は、全部洋服とかもレンタルなので、この部分や、ご飯代金は、高額医療使えません。

これは、自分で入る保険で、賄う必要があります。そうなると、手続きやら、何やらも自分が入院していると難しい状態になるんです。

そうなると、有だと思っていた人は、実は無だった、という事にもなりかねません。

うたの様に、娘を産んだ母は、私が離婚していたから同居出来ましたし、姉は精神的に病んでしまっていますから、人の世話なんて出来ません。

私が離婚し、同居しなかったら、年金払っていても、無でした。

ですが、私の運命もそうなっていたからとも言えますが、母自身が破天荒でしたが、人にも良い事をして、今世では、人の為に生きて、悪い事をしなかったから、有になったんだと思っています。

母の兄弟みたいに、生きている時に、人に悪い事をすると、亡くなる時には無になり、来世では人の為に生きる人生を選ぶんだと思っています。

無が悪い訳ではありませんが、自分から有と無の亡くなる道を選ぶ権利があるか、ないかなんだと考えます。

あなたは他人、家族、大切な人に対して、どうでしょうか?

胸に手を当てて考えてみてください。

遅くはありません、今から人に悪い事しなければ良いだけです。

無とは、有とは何か、そして実際にそうなると仮定してみてください。

今1人ならば、あなたはどうしたいのか、考える必要があり、有にはかなり努力も必要です。

家族とは、実家の家族ではありませんから、まずは恋愛をしなければ、家族は出来ません。

与えられるだけの時間やお金、自分から変えようとしない限り、家族は手に入りません。

家族が手に入れば、維持する努力が必要です。
そんな努力を見て、あなたの周囲の人間は、あなたを助けたいかどうかをよく見ていますし、考えています。

他人や、家族に対して、自分の事よりまずは相手の事を考えているかどうか、そこだけです。

だって、介護とか、見取りは、そんな甘いものではないからです。

生きている間、呆けたりしてない間に、相手にそれほどの気遣いや、愛情を与えられているかどうか、それがいずれ自分に返ってくるんです。

それが有です。

お金はいずれ無くなります。
しがみつくのは、お金ではなく、仁なのです。

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