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好意と執着が怖い



タイトルの通り、子どもの頃、人からの「好意」や「執着」の怖さを感覚で知っていたから、自分の守りを貫き通した。

パパに出逢うまで。

好きな人には好きになってもらえると嬉しいのに、そうでもない人に好かれそうになると、急いでバリア(ATフィールド)を張っていた。

人からの執着を感じた瞬間
「あぶなーーい!!」
子供の私、心の声で叫ぶ・・・

家族関係はむしろ良好で環境にも恵まれていたけど、それとこれとは別。
感情を表に出さず物心ついた頃から家族以外の前では泣いたことない、大笑いも大喜びもしない、表向きはクールを貫く。私はイヤイヤ機がなかったと親からよく言われたけど一理ある。小さい頃から身体も大きいし冷静だし、常に年上に見られた。(0歳の予防接種すら泣かなかった💉w)

17歳で相方と出逢って
感情の全てが解放された。

心からの喜びと悲しみ、愛と憎しみ、楽しさと絶望、全ての感情を知った。執着や憎悪の感情を抱く心理状態もそこで知った。

(これには理由があって、つい最近視える人から教えてもらったので、また後日話します。)


あれから十数年、、

だいぶ満たされたので
他人の念とか圧とか感じても
そこから自分を守ったり逃げるだけじゃなくて
その想いを抱きしめて愛する事で
浄化される感覚が、
自分なりに腑に落ちた。

以前は実家にある私物とか、親族のお下がりにも心臓がバクバクして苦しくなって、ねっとりとした感情に押しつぶされて鬱な気持ちになっていたけど・・・(特に血の繋がった家族関係で発動していました)

今は違う。
抱きしめて、ありがとう!!
ってシンプルに受け止める。
跳ね返すんじゃなくて。



昨年、祖母が着なくなった本物の毛皮のコートをくれました。「別の人じゃなくて必ずユウカちゃんが着てね。」と一言添えて。

心臓がバクバクして飛び出しそう
試練だな、思いました。


怖がってどうするの
だって皆、私のためを思ってくれてる
そこには憎悪があるわけじゃない
確かに愛があるんだから

平気だよ、私
だって今は隣に相方がいる
エマとマキがいる
愛の循環の中にいる
もうすっかり昔とは違うんだから。

それを着てお正月、祖母に会いに行った。

おばあちゃんはとても喜んで
コートも喜んでいて
それを見て私も喜んだ。

こんなシンプルでよかったんだ。

感受性が豊かすぎたりすると、そんなシンプルなことも難しくて、苦しんで生きてる人ってたくさんいるけど、実はその苦しみすらも愛おしくて、それを感じるために生まれてきてるから大丈夫で。

そんなこと言ったって笑ってる方が多い方がいいに決まってるんだから、他人の事は後回しにして全部笑い飛ばして、明日も生きよ。

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