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自分の容姿のコンプレックスを受け入れられた日

先日、「英語を学んだら容姿のコンプレックスが解き放たれた話」という記事を書いた。

これとはまた別に「容姿のコンプレックス」について、また別のアプローチで心が解放されたエピソードがあるので、今日はそれを書いてみる。

容姿のコンプレックスがあり悩んでいる人が少しでも心が軽くなったり、気にしすぎずに自分を愛するための考え方の参考になれば嬉しい。

私は、一重だ。

そして、鼻がでかい。
いわゆるにんにく鼻ってやつである。

あと、すっごい毛深い。

これ全部、父親譲りである。

父を恨みはしなかったけど、
思春期の頃は、本当にそんな
自分の容姿が嫌で嫌で嫌だった。

そんな思春期真っただ中の
16歳のとき、父は急に
この世から去ってしまった。

生まれてからずっと、
数日前までずっと、
一緒にいた家族の一人が、
急に行方不明になり・・・

やっと再会できたときには、
棺の中で変り果てた姿に
なっていた。

冷たい海に何日間も晒され、
あんなに太かった眉毛は
ほとんど削げ落ちていた。

現実を受け入れられなくて、
信じられなくて、

本当は、どこかでお父さんは
まだ生きてるんじゃないかって
そんな錯覚に陥ることもあった。

日を追うごとに
お父さんの笑顔も、声も、
忘れてしまいそう・・・
忘れたくない・・・

会いたい・・・・
会いたい・・・

もう一度だけでいいから
会って話したい。

また名前を呼んでもらいたい・・・

どうして死んでしまったの?

急にお父さんを失ってしまった
喪失感で、いっぱいだった。

父の死をきっかけに
疎遠になっていた父方の
親戚との付き合いが
また始まった。

「しばらく見ない間に、
 大きくなったね、えみちゃん。
 しかし、あなたはほんとに
 お父さんそっくりだよね~!
 特にこの、鼻がね~~~!!!」

親戚のおじちゃんに
笑われながら
そう言われたとき、

私は、ハッとした。

いつもだったら、
お父さん譲りの大きな鼻が
嫌で嫌で仕方なくて

「失礼だな!」

と反抗していたかもしれないけど

私は、このとき・・・

ちょっと嬉しかったのだ。

そして、

「おじちゃんこそ、
 やっぱりお父さんと
 そっくりだよ!!!」

と心の中で、言い返した。

そして、その日、マジマジと
鏡に映る自分の顔を眺めた。

太い眉毛。

細い目。

大きな鼻・・・

お父さん・・・・

どんなに会いたくても、

もう会えなくなって
しまったお父さんは

**
私の中で、生きていた。**

お父さんに会いたくなったら

自分の顔を鏡に映せば

いつでも会えるんだって

そんな大発見をしたら、

思わず鏡を見ながら

笑ってしまった。

忘れたくないけど、
忘れてしまいそうだった
お父さんの笑顔。

思い出せた。

お父さんも一緒に
笑っていた。

その日から・・・・

私は少しだけ、
自分の顔が好き・・・
とまではいかないけど

愛おしく思えるように
なれた気がする。

いつもは忘れがちだけど

わたしも、あなたも、

たくさんの
命の連鎖を経て
生まれてきたんだ。

もしかしたら、
あなたの身体の中には
あなたが気に入らない
パーツがあるかもしれない。

だけど、だけど、

それは間違いなく・・・・

ちょっとうまく言えないけど、

お父さん、お母さん、
おじいちゃん、おばあちゃん、
ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、
ひいひい・・・

と、たくさんの人たちから
受け継がれた命の結晶
というか。

愛されて
生まれて、
育てられた証
なんだよ

ってこと。

そしてどうか、
あなたの身体の中で

「ここはなかなかイケてるな」

と思う好きなパーツも、
見つけてみてほしい。

一重だけどまつ毛は長いな、とか
髪の毛は結構さらさらだな、とか
足は短いけど速いんだよね、とかね!

「ないものにばかり目を向ける」のでなく
「あるものに目を向けること」が

とても大切な気がしている。

これを書きながら、さらにもうひとつ、
「容姿コンプレックス」にまつわるお話が
浮かんできたので、また書きたいと思います。

ぜひフォローしていただき、
また読んでくれたら嬉しいです!

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