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大正ロマンとか、昭和モダンについて考えてみる~百段階段

浪漫はロマン。フランス語の「Roman」を由来にする外来語です。大辞林によると、カタカナでロマン、と書くとロマンス小説。とくに長編小説をあらわします。他には感情的、理想的に物事をとらえること。夢や冒険などへの強い憧れを持つこと。「ロマンを追う」「ロマンを駆り立てられる」なんていう言い方しますね。対して浪漫はロマンに漢字をあてたものになりますが、抒情的な理想をあげたもの、という意に変わるようですね。夏目漱石による当て字では?という説もあります。



表現の写実にして取材の浪漫なるものあり。取材の写実にして表現の浪漫なるものあり

夏目漱石『文学論』1907

雅叙園の歴史


現在のホテル雅叙園東京…みんな目黒雅叙園ってまだ呼んでるけどね。が完成したのは昭和10年(1935年)です。今回は雅叙園の百段階段から大正ロマン→昭和モダン…の流れを見ながら時代の空気を補充してみたいと思います。

もともと目黒雅叙園は料亭でした。最盛期には7棟もの宴会場が立ち並び、都内ならどこでもタクシーで迎えに来てくれた、というなんだか豪気ですなあ、というシステムの料亭で、雅叙園のコンセプトはこの一日を「お大尽に」でした。お大尽って、今あんまり使わないと思いますけど、ようするに「すべて贅沢三昧に過ごす場所」って言い方が一番正しいような気がする。

ちなみに世界恐慌が起きたのが1929年~30年代にかけてなので、もうそろそろ日中戦争も始まるかな、という時代です。日本が国際連盟の脱退したのは1933年ですから。うーん、お大尽遊びかあ。
世紀末感満載というか、戦争前の好景気みたいなもんですよね。やだやだ。
しかも、軍部ともうまくやってたもんで、昭和19年くらいまではバリバリ営業してました。内装を担当していた作家があれ、金箔が入ってこないぞ、ということで、戦況の変化に気づく昭和19年だそうで、なんだかねえ。

大正ロマンとか昭和モダンとか


第一次世界大戦が終了し、日本はアジアの中で唯一の先進国っていうか戦勝国で、ヨーロッパやアメリカからの進出が相次いでいました。ジャズやチャールストン、タンゴ…などの音楽や蓄音機。また映画が始まり、チャップリンやグレタガルボの出演する娯楽映画が公開されました。竹久夢二や高畠華宵の挿絵は絶大な人気で、高畠華宵の挿絵に描かれたファッションがデパートに登場するとこぞって買い物に来るのでした。大きい劇場が出来たりしたのもこの時期。
洋食文化が登場し、オムライスやカツレツもこのころから。そう、モボ、モガですね!(モダンボーイ、モダンガールの略)

ちなみにこのころに女性の高学歴化、社会進出も始まりました。もともとの貴族のお嬢様はもちろん、軍人さんの家の子だったり、大学の先生の子、または教養のある商人(格差社会で上流に行くためには教養が不可欠でした。)の子、つまり上流階級だけのものだった女子教育に新しい中産階級のお嬢さんたちが参入してきたんです。女の子たちにとっては当たり前ですよね。女学校のあいだは自由を謳歌できるんですから!!なにはなくとも、女学校。
このころの婦人系雑誌を見ると、女学校対談なんかがあって面白いです。お茶の水女学校、東京女学館なんかの女子学生の対談で、ここは真面目くさってて、気取っていて感じ悪い、とか、あそこは頭悪くて軽そうとか、今と大して変わらない女子的会話、とても好感を持ちます。そんな女の子たちが、学校卒業してすぐ家事手伝いになって結婚するでしょうか。いいえ。良妻賢母教育とはいえ学校卒業してすぐ家事手伝い→結婚はちょっとね。。。というわけで、みな少しは社会に出て働いたりなんだりしたいもの。そりゃあだって結婚したら自由じゃなくなりますもんね。
ということで、どうにかして、卒業したらしぶる親を説得し、社会を知っていると結婚したあと理解のある妻になれるだのなんだの言って、電話交換手とか、バスガール、エアガールなんかを目指してたくましく女子は生きていたのですね~。このあたり、詳しく知りたい方は斎藤美奈子『モダンガール論』をどうぞ。

そんな高級庶民が一世一代で贅沢する竜宮城が「百段階段」だったのでした。

当時の美術界を代表する作品群

百段階段は山の斜面に沿うように建てられているので、入口を入ったらそこは階段。その踊り場毎に宴会場がある、という趣向です。もともとは7棟あったものが、戦火でなくなってしまったりもありまして、今のこっているのは1棟分。創業者の細川力蔵はどうもここに日本の当代美術の粋をあつめようとしたらしく、ほんとうは膨大な美術品があったはず、なのですが、度重なる破産とかイトマン事件の風評被害と、まあそんなんでだいたい散逸してしまったらしいです。
残念でなりません。
実際、今もまた売り出されようとしているとかのうわさが絶えない雅叙園なので、百段階段と、残っている美術品があるとするのならば、今後も守ってほしいと切に願っています。
閑話休題。
各部屋はそのデザインというか意匠を担当した作家のこだわりや意匠が十二分に反映されていて、ほんとうに美しいですので、それぞれの作家は知らなくても知ってても楽しめますので、天井や欄間に描かれた絵画だけではなく、それぞれの部屋で建具や障子の組子、窓の意匠、欄間の下の長押などもすべて違うので、じっくりじっくり見ていただきたいと思います。

十畝の間はこんなふうに長押に描かれた螺鈿が美しく

螺鈿の長押
螺鈿の棚に後ろの障子みて!
窓枠すら美しい
草丘の間の天井画。天井の枠すら部屋ごとに違いました


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