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理想の追求がしんどいときは、前向きに妥協するのも悪くない

転職活動に勤しんでいた知人から、

「やっぱり現職でもう少し働くことにした」

と報告を受けた。

理由を尋ねると、泣きつかれたらしい。給料を上げるからいてくれ、と懇願されたのだという。とても分かりやすい話だ。

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でも本当のところはもうちょっと複雑で、そもそも彼女は現職の給料に不満があったわけではない。

そして、泣きつかれる以前から転職活動をしていた、ということは、程よい転職先がスムーズに見つかっていれば、交渉の余地なく辞めるつもりだったのだ。

にも関わらずその条件をのんだのは、その給料ならば、という打算も少なからずあったろうけれど、それよりも切実な理由がある。


「やるだけやってみなきゃ、面接でもやりきったって自信を持って言えないから」

彼女はそう語っていた。転職活動を通して、そのことに気付いたのだ。

だから、いまさら転職の意思を伝えた。転職活動を始めたのは、現職に不満があったからだ。でもその不満を、現職の上司に伝えてはいなかった。

そのもやもやを抱えたまま、無難に「こんなことやってきました」とアピールするのが耐えがたかったそうだ。


それを聞いて、そりゃあ苦労するわけだ、と納得した。納得はしたけれど、それをとっさに伝える言葉が浮かばず、

「"こんなことやってきました"って堂々と言えるように、頑張らなきゃね」

と返すことしかできなかった。かえって追い詰めてしまったのではないだろうか。

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妥協ができない人は、とても苦労する。世の中の大半の出来事は、白か黒か、0か1かなんてはっきりしていない。ほとんどが、白寄りの黒だったり、0寄りの1だったりする。

そんな曖昧で法則性もないような選択肢ばかりなのに、妥協ができない人は、できるだけ自分の求めるものに一致する答えを探してしまう。

恋愛で言えば、「世界で一番自分にふさわしいパートナー」を探すようなものだ。大抵の人は、「現実的に考えて」「これまで関わってきた中で」、といった条件付けをすることで、なんとなく納得するだろう。

でもそれを厳密に考え始め、さらにそこに客観性を持たせようなんて思ったら、その作業は途方も無い。

しかし一度求めてしまったら、なかなかその前に戻ることは難しい。手の届かない範囲であれ、限りなく理想に近いものをもし見つけてしまったとしたら、なおさらだ。

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彼女の中に、「これがやりたい」「こうありたい」、という理想があることはなんとなく知っている。でもだからこそ、妥協すればいいのに、と思う。

そのほうが、ずっと幸せではないだろうか。あるいは、それでも十分幸せではないだろうか。

そもそも、なぜ妥協することを良しとしないのか。妥協することを、敗北か何かだと思ってしまっているのかもしれない。

妥協は必ずしも負けじゃない。思考停止した妥協は良くないけれど、なぜそれを選択したのか、という理由さえあれば、妥協は決して悪いものではない。

本当に追い詰められて、考える余裕さえ失ってから妥協するのは、とても辛いしもったいない。

妥協ができない人は、まだ余裕があるうちに、妥協という選択肢もあるということを頭の片隅に置いておいてほしい。――というのが、ひとまずの私の答え。

次に会ったときにでも、伝えてみよう。

#コミュニケーションを編集する


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