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意識をここ、に戻して。


昨日、春みたい、なんて言ったけど。
寒い寒い寒い…。

今日は長男と私がフットサル大会、次男と夫が練習試合、と2チームに分かれて久しぶりにサッカーの日。
2週間前にあの過酷な遠征に行ったばかりなのに、先週休んだだけで、ずいぶん久しぶり…と思うあたりが、自分でもこわい。


うすうす感じてはいたのだけれど…。
月をまたぎ、気づけば今日はもう2月3日。

そう、節分。
(毎年恵方巻きを買っているけど、今日はもういいかな…)
ねぇ、恵方巻きじゃなくて、春巻きでもいいかね?


恵方巻きは、必須!
でも、春巻きも食べる!


というサッカー終わり腹ペコ兄弟は、妥協を許さず。
夫と長男は恵方巻きを買いに、私と次男は春巻き作り、夕方からまた2チームに分かれて始動。
次男は、はりきって春巻きを巻く。くるり、くるり。

恵方巻き、春巻き。
…決して、巻き、の日ではないよね。


こんがり。


最近、意識してやっていることがある。

朝、昼、晩、必ずごはんを食べる前に、落ち着いて手を合わせて、いただきます、と言うこと。
食べ終わって、手を合わせて、ご馳走さまでした、と言うこと。


そんな子どもに言うみたいなこと、と思われるかもしれませんが。
バタバタしながら、はい、食べてー!と子どもたちに言ったあと、自分はやっと座ってなんとなくいただきまーす、とさらっと食べ始めることが多い。

仕事の合間の休憩には、簡単なものしか食べなかったりするので、それすらできていないこともある。
仕事の資料やスマホなど、一人だと何かを見ながら、のこともよくあるし。


意外と…というか、こんなあたりまえのようなことが、実はできていないんだなぁと我を振り返る。

手を合わせて、気持ちをそこに集中する。
食べる、ということに意識を集中する。


それを意識するだけで、なんだかとてもありがたい気持ちになってくるから、不思議。
続けるのだよ、続けると何かが変わるような気がするよ、と自分に言う。


右手は自分以外の相手です。仏様であったり神様であったり、あるいは目の前にいる他人であったりします。そして左手は自分自身。合掌とはこの二つをひとつにするという意味です。つまり、自分以外の誰かを敬う気持ちーそれが合掌であり、礼拝なのです。

枡野俊明著「禅、シンプル生活のすすめ」より


今、に戻ってくるために、呼吸に意識を向ける。
時々はっとして、深呼吸を繰り返す。

それと同じように、手を合わせるのもいいな、と思って時々思い出したようにやっている。
なんとなく、意識が手を合わせた位置、自分の中心に戻ってくる気がする。

だまされたと思ってやってみてください。


今日も読んでいただいて、ありがとうございます。





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