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あの本棚に、会いに行こう。


いつもどおり目は覚めたのに、なかなか起き上がれなかった。

雪だるまのある天気予報を思い出して、耳をすます。
かすかに、音がする。
雨だ。


いつもより15分くらい遅れた朝のスタート、お湯を沸かす、ごはんを炊く、お味噌汁の具を考える。(今日は、野菜のちびっちゃい残りたちを刻んで入れる。)

今日は潔く身体を動かすことはやめ、いつもの本をひらく。
「自省録」は、深く考えず、理解しようと力を入れず、大量の注釈も気にせず、淡々と文字を追う。

先日、これを読むきっかけになった方から、繰り返し読むといいと言われたので、そのつもりで毎日少しずつ、とりあえずさらりと読み進めている。


明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっているのか。それとも自分という人間は夜具の中にもぐりこんで身を温めているために創られたのか。「だってこのほうが心地よいもの。」では君は心地よい思いをするために生まれてきたのか、…………………


今朝読み始めたところがこのように始まっていたのは、偶然か。
二千年前を生きたローマ皇帝がこんなふうに自問自答していたことを思うと、ちょっと可笑しくなる。

自分の内面を見つめ、律し、善い人間になるために、と真剣に言葉を絞り出す…。

何度も繰り返すように書かれる厳しい言葉たちを読むと、逆説的に、そうだよね人間ってそういうものだよね、必死に律しようとしないと流されていっちゃうよね誰だってそうだよね、と勝手に労いたい気持ちになる。
そして自分のだめさ加減にしょうがないよねぇ~、なんて気持ちになったりもする。
(そんなゆるい考えは本書の意図ではないはず、あしからず…)


そのあと、川上未映子さんのエッセイを少し読み、江國香織さんのエッセイを少し読み、ヘッセの詩集を少し読む。

いろんな文章がごちゃまぜだけど、気にしない。
内容というより、言葉の流れに身を委ねる、という曖昧な読書。
いろんな人の心の中をうっすらのぞきながら、自分の一日を始めよう。




昼前には、雪というより氷の粒となる。
ぱらぱら、ぽろぽろ、とボンネットに当たって跳ね返っている様子をじっと見てしまう。


寒くて気が乗らなかったけれど、美容院に行く日だったので外に出た。

でもひとつ、密かな楽しみを抱えていた。


終わってから、前回の美容院の帰りに見つけたコーヒー屋さんを、再び目指す。

大量のレコードから音楽好きなのはわかっていたけれど、今日は店の奥にある本棚の前からしばらく動けなかった。

手持ちの本を読んでいて、帰り際にその本棚に気づいたのだけれど、その世界がすばらしかった…。
新旧、ジャンルもいろいろだったけれど、こだわりを持ってそこに集められたと伝わるような。
私も好きで持っている本もいくつかあって、うれしくなる。


読んでもいいんですか?と尋ねると、ご自由にどうぞ、と店主のおじさま。
余計なことは話さなくて、一見そっけないようだけれど、違う。
この本棚の主だもの、いつかもうひとこと、ふたこと、話しかけてみようか、なんて思う。


あぁ、定期的に訪れたいと思える店がひとつ増えると、とても豊かな気持ちになるな。


今年やりたいこと
◇好きなカフェに月に1回は行く。


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