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思い描く、日記のかたち。


春のように光が部屋中を満たしていて、外の冷たい空気が嘘のような日。

今朝は-8℃まで冷え込んでいたみたいだけれど、夫以外の我が家3人は、明るくなるまでふとんに潜り込んでいた。


昨夜なんだかぼんやりしてるなと思ったら、長男にはやっぱり熱があった。
ただ、朝にはもう平熱でなんの不調もないというのだから、なんだかなぁ、と思うものの、病院にいったら見なしでアウトになってしまったよ…。

私も、だ。
薬を飲んでいるからか熱は上がらないものの、身体の中でギリギリせめぎあってる感じ。
(あの、免疫細胞とウイルスが戦っている図が頭に浮かぶ。)


ありがたいことに、みんな動かずとも食欲はある。
予定外の優雅な朝に、たまごサンドを作る。
ゆでたまごよりすぐにできる、オムレツサンド。

二人にはホットレモネード。(はちみつとレモンジュースをお湯で割っただけ。)
私は、紅茶。
不調なとき、コーヒーは一切飲む気がしなくなるけれど、熱い紅茶はたすけてくれる。


ぺろりとたいらげる。


数ヵ月前に予約していた本が届いたので昨日借りてきて、あっというまに読んでしまった。
「さみしい夜にはペンを持て」、このnoteの中でも時々目にしていた一冊。

こんなことを言うとおこがましいけれど、新しい何かを発見するとか、おお!なるほど、という気持ちになるとか何もないまま、うんうん、と頷きながらさらさらと読み終えてしまった。


今の私はnoteを書きながら、日記を書きながら、まさにこの本に書かれているとおりのことを体感しているからかも、と思う。
そう気付き、なんだかうれしくなる。

何年も前の私が読んでいたら、きっとこの本の印象は全然違っていたと思う。
書く、という習慣なんて全くなかったから。
日記はもうこの先、いつまでも続けられそうな気がする。


今手元にある、東直子さんの「十階」という短歌と数行の言葉による一年の日記の本。
気が向いたときにぱらりとめくって読んでいるのだけれど、こういうのにも憧れるなぁ、と思う。


今の私は、淡々と日々の出来事や思いを綴っているだけだけれど、そこにもっと言葉による創作のような、読んだ人に考える余地を残せるような、余韻を与えられるような、そんな文章に…。
もちろん、多くの人にはうけないかもしれないけれど。

なんてぼんやり考えながらも、その方法はわからない。


同じく東直子さんのこの本も気になっている。
「朝、空がみえます」

365日分の早朝の空を眺めてできた、東直子の初詩集。


こういう毎日の言葉も、いいなぁ。



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