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行く年来る年-日本の忘年会は非正規にとって時代錯誤の遺物-

令和5年も師走に入り、仕事終わりに歩いているとスーツ姿の集団を繁華街で見られるシーズンになりました。そう、忘年会ですね。

実は筆者も先週参加しましたが、「忘年会」という行事への参加はかれこれ7年ぶりくらいになります。というのも、筆者は学卒後職場を非正規の立場で転々としている身の上であるため「組織の定例的・慣例的な行事」というものには興味がありません。それでも今年参加したのは再雇用(本来は昨年度で退職予定)された義理がありましたし、正規職員様の戯言につい「出ます」と口約束してしまった以上、嘘をつきたくないという自己呪縛からでした。


さて、今日の本題は冒頭にも記載しましたが「非正規」というキーワードを中心になります。忘年会は後付けです。

『非正規雇用』というキーワードがすっかり定着した昨今ですが、そもそも非正規雇用とはなんなのでしょうか?

いきなり筆者の感想になりますが
・継続雇用の保障が無い=いつでも首を切れる
・同じ業務でも賃金が圧倒的に低い=正規雇用者との絶対的な格差構造
・厚生複利、社内複利の合法的差別化=社員食堂の利用禁止、トイレ使用禁止、駐車場使用禁止等
・手当の合法的差別化=(大抵の雇用では通勤手当は出るみたいですが)職務手当、勤勉手当(いわゆる賞与)、(寒冷地における)寒冷地手当等が出ない

他にも業界や職場によって多くの差別があるでしょうけど、基本的に非正規雇用とは「差別の合法化」を許された社会的身分や階級の事である、と言うのが筆者の総論です。

もっと現実的でシンプルに表現すると「非正規労働者=最低賃金労働者」でもいいと思います。勿論、最賃以下で労働させることは労働基準法違反ですよ。ただ、流石にそんな劣悪な雇用条件じゃ人も集まりませんから特に大手の派遣業では賃金を最賃より高く設定していますし、例えば借上部屋を家賃なしで提供する等福利厚生に気を使っている事もあります。

ちなみに筆者は上にあげた環境で労働してきた口です。そして今も非正規労働者として最賃よりわずかに高い賃金で使われている身分なわけです。(おかげで周囲にいる『訓練された無能』を相手に苦労しているのですが・・・)

そんな非正規労働者の実態ですが、そもそも現在ほど非正規労働者が増えた背景を探ると必ずと言っていい程「小泉政権による規制緩和」が出てきます。2000年代初めに自民党、小泉純一郎が総理大臣に就任した時の話ですね。

非正規労働者といえばおよそ「人材派遣会社」が大口といいますか元締めみたいになっているのですが、小泉政権は労働者派遣法という人材派遣が許可されている業種を大幅に増やした(緩和)したのです。

そもそも、労働者派遣法そのものが成立したのは1985年の中曽根政権です。当時許可されている業種の数は13で、いずれも専門的な知識を持ったプロフェショナルを流動的に雇用するための、世界的に見ても一般的で合理的な内容でした。

その後1996年の橋本政権で26業務まで広がりました。少し業種が増えた程度ですから順当だったと言えます。しかし実は問題だったのは次の小渕政権時です。

なんと派遣労働の対象が原則自由になりました。つまりどんな業種でも人材派遣が許されるようになりました。といっても、今現在人材派遣の中心である「製造業」等のとにかく安くて人手がいっぱい欲しい業務は禁止業務に指定されていました。(ネガティブリスト)

問題の小泉政権はこのとにかく人手がいっぱい欲しい製造業をネガティブリストから解禁したことに伴って人材派遣会社が大手を振って人を集めて中抜き万歳(笑)な日本社会になりました。

というわけで、現在の非正規雇用の中核たる労働者派遣法を大雑把にまとめましたが、諸悪の根源は小渕総理なんですよねぇ・・・。小泉政権がぶち上げられるのは竹中という人物が関わっていたから、という事だと思います。

また、1990~2000年といえばバブル崩壊により日本の景気低迷が始まる頃です。いわゆる失われた20年だか30年と言われるデフレ景気に突入する年代なのです。ということは、日本社会はバブルの頃と違って馬鹿みたいに金をばら撒いて遊んでいられなくなり、とにかく安い人間を欲しがるようになります。それが、今日でも非正規雇用が増加し続ける原因でしょうね。


前置はここまでにして、今やどこの会社でも正規雇用された方々と同じ身なりで身近にいる非正規労働者なわけですが、2010年頃からでしょうか?意味不明なところで「非正規イジメ」「格差は駄目」「人権を守れ」と騒ぎ始めるわけです。

なぜ意味不明なのかと言えば
・社員食堂を非正規でも使えるようにしろ=どうせ大した金を貰っていないのでどのみち食堂で注文して食事する事がない
・社内行事に参加させろ=単純に正規雇用された社員だけだと人数が少なくなったからという傲慢な理由

他にもやはり色々変なところで社員と同じ扱いにしろと騒いでいたかと思います。そもそもの話、従来と同様の会社運営をしたいならケチって非正規雇用せずに正規雇用を続ければいいだけです。


少し過去に遡りましょう。

WWII戦後、日本企業は社員を大事にする経営をしてきたと言います。今の若い社会人には社内年金とか社員旅行と聞いてもピンとこない思いますが、会社のお金で社員を旅行に出したり年金を積み立てて退職後に払っていたわけです。社員は家族、昭和中期まではそれが至って普通だったそうです。

ところがそれもバブル崩壊に合わせて社員=どれだけ安くパフォーマンスを引き出して使うか、という合理志向へと移ります。

必要な労働力をどれだけ低予算で揃えられるか?
必要な経常利益を出すためにどれだけの人材の首を切ればよいか?

合理的と言えば聞こえはいいですが、早い話が労働者を人間から数字として視るようになりました。数字だけならいくらでも計算しなおせばいいですが、人間と言う生き物はそんな単純ではありません。

一時期、氷河期世代と呼ばれる40~50代の雇用を日本社会全体で控えました。その結果、人材育成、技術継承、事業継承できずに泣きを見ているのが今の日本です。筆者からすれば自業自得としか思いません。なにせ合理的な経営判断と言う名のもとに好き勝手やってきた代償ですからね。

そのまま廃業、同業企業への合併吸収、M&Aされるというオチになってもやはり「ざまあ見ろ」としか言えないわけです。

全ての非正規労働者が筆者と同様に冷めた目で日本社会や正規雇用された労働者を見ているのかは不明ですが、毎年恒例行事だからと忘年会やら新年会などの参加を募っている光景を見てもいい気がしないのは道理です。

(宴会や酒好きは別としても)同じ業務をこなしているのに低所得でこき使われている側からすればそんなのに誘われても嫌気が出てくるでしょう。

若年者が日本の飲み会文化を『飲みニケーション』という単語で蔑称(?)していますが、筆者が思うにそもそも同じ職場の労働を集めて酒を飲もうとかイベントをしよう、というのがナンセンスです。

そんなのは知り合いだけで勝手にやれば済む話で「若い子もみんな集まって仲良く酒を飲もうよ」といくら権力を持った高齢者が言っても通じる訳がないのです。会社を一歩出ればただの高齢者が、組織という井戸の中で若い蛙を虐めている構図に違いはないのですから。

非正規労働者にしても、そもそも自分達は使い捨ての安い道具程度にしか見られていないのに「君も(今は)うちの職場にいるんだから参加してよ」と権力を振りかざしたところで「(自分はココの人間じゃないんで)遠慮します」が道理です。


長くなりましたが、日本の労働者、特に正規雇用された労働者は時代に合った考え方が出来ていません。自分の隣に座っている人間が社員なのかパート・アルバイトなのかも見分けがつかず無神経に触れてきます。リスキリングだとか騒ぐ前に、まず現在の日本社会の実情を学ぶべきです。

まず他人の立場を知り、相手の心情を想像できる人間にならなければ今後多くのビジネスシーンで恥をかきますよ?なにせ日本は今後多くの外資参入や外国人労働者を導入します。外国語の勉強も必要になるでしょう。

英語であいさつできますか?
中国語で質問されて対応できますか?
韓国語で書かれたビジネス文書を読めますか?
ベトナム人にベトナム語で教育できますか?

散々偉そうに飲み会の参加を強制していましたけど、外国人労働者にも当然勧誘するんですよね?相手は日本人よりはるかに合理的で論理的な思考をしますよ?飲みにケーションの意義を説得できるんですか?

筆者は基本的に転職の多い方を尊重しています。なぜなら一色に染まった「訓練された無能」になっていないからです。筆者は経験則で、多くの職場に適用するためにはそれだけ多くの知見や観点がなければ無理と考えています。例えそれが事務職、製造業、現場職・・・労働全般に通じる普遍的なものに思えます。

忘年会などという訓練された無能のイベントに参加するより、本を読んだり、健康な食事をしたり、資格の勉強をしたり、求職活動したり・・・他の事をした方が有意義ですよ。

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