人間というハードウェア-毒親のソフトウェアがイカれている事と子供の性差に相関性はない-
毒親を語るに当たって最近気になっている事がある。それは毒親育ちの男女差である。
人間は生物学的に「男」と「女」、2つの性別で区別されている。
近年世界中で騒がれているLGBTQなる心と体の性別の不一致による社会問題について筆者の結論は「生物学的な話の通じない、ソフトウェアの問題を延々と訴えて(どちらかと言えば迷惑な)社会変革を唱えている人々」と認識している。従ってLGBTQ問題をここで説くつもりはない。
さて、筆者は現在の仕事柄(バイト)、「パソコンが壊れた」「パソコンが動かない」「パソコンの〇〇が使えない」etc・・・という問い合わせ対応を受ける機会が多い。
パソコンの取り扱いに多少でも心得のある読者であれば、その質問の多くが「的外れ」だったり「別の問題から生じた副次的インシデント」と言う事が想像できると思う。
ここからが本題。
WebまたはSNS等、ネット検索で被害者の話を調べると、体感的に女性側の件数の多さに偏りを感じる。メジャーメディアで取り上げられる毒親問題(この場合は父による性被害が中心的)も被害女性のパターンが目立つ。
とても奇妙である。
毒親=虐待者という筆者の前提に立つなら被害者(子供成人含む)に性差が生じる理由が無いからだ。より具体的に疑問をあげると、母親又は父親が息子と娘を「選好」して虐待を行うだろうか?
(例)男の子と女の子の2人を授かった両親の内、
父親が 息子 に健全な育児を行う一方で 娘 に虐待を行う。
母親が 娘 に健全な育児を行う一方で 息子 に虐待を行う。
果たして相関性はあるだろうか?
筆者の結論は「相関性は無く、個々の事例毎に毒親の言い訳がある」だ。
というのも、毒親という存在はハッキリ言って異常者である。子供を虐待する人間がまともな精神性を持っているとは言えない。そんな人間が合理的な理由を以て虐待を行うだろうか?
恐らく筆者の結論通りなら、子供が2人いれば2人とも被害者になるわけで男女差はない。仮に毒親による被害に違いがあるとすれば、加害者ではなく被害者側の理由にある。
同じ環境、事象を与えられた時、男女によって性差が発揮されることには違和感がない。ハードウェアが違えばそれを動かすソフトウェアも違うように、男女が身体的に違う以上、男女によって違う結果を受け取る筈だ。
では本題の冒頭「なぜ毒親被害は女性側の事例件数を多く感じるのか?」に戻る。
ここでも先に筆者の結論を述べる。
「社会問題とは、政治、行政他多くのステークホルダーによって定義される。それを伝播させるメディアもまたステークホルダーであり、それぞれの都合に合った恣意的な情報によって一般大衆へ認知される。」
「政府は現在<男女共同参画社会基本法>に依る被害女性救済事業に力を入れており、従ってそれが毒親による虐待被害者であるならば、望ましいのは女性である。故に社会には女性の被害者が多くいなくてはならない」
結論が随分と長くなったが、短くまとめると
「あらゆる社会問題の被害者は女性の方が色々とウケるから」
見も蓋も無い話である。
勿論、男性による毒親被害をテーマとする匿名掲示板や、SNS上でも探せば見つかる。筆者も男性なので探して見ているが、やはり圧倒的に目立つのは女性の体験談や現在進行形の苦しい内容である。
ここで見失ってはいけない事は、『毒親被害は男性も女性も漏れなく被害者である。例え政治や行政が女性被害者に色眼鏡を使っていようとも、被害者は傷を負っており、苦しんでいることを意識するべきだ』と自戒の念を込める。
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