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滅びるものへの憧憬?

 札幌も東京も、あまり気温は変わりなかったはずだけれど、
札幌に戻ると風景は秋真っ盛りで。

紅葉が好き、枯れ葉がアスファルトに落ちていたりすると、しばし眺める癖がある。

「滅びるものへの憧憬が強い」らしい。
日中の気温が同じくらいでも、札幌は朝夕がぐっと冷える、寒暖の差が大きいので、木々の紅葉も早いのだろう。

紅葉は、滅びなのだろうかと、多少反発もあるけれど、

滅びの美的なものへの憧憬はあるので、対象が違うだけで、見抜いたなこの人はと感心もするので、黙っていた。

中学受験の男子と高校受験の女子、受験生の子供を2人抱えた女性社員さんが、珍しいことに空港まで、お迎えに来てくれて。

流れに乗る、安定した運転をする人が、今日は少しばかり乱れていた。

何度かヒヤッとした。

たぶん、お子さんのことにイライラしているのだろうなぁと。

話し始めると、イライラとも違い、母親としての思いが子供に通じない、もどかしさに、心の置き場所がない感じと、私は勝手に想像して。

子供に期待していたわけではない けれど、
自分だったら、のん気にしていなかった、
ガツガツとは違うけれど、積極的に勉強していたから。

私は、最近、気に入って数回通っている水庭に寄ってみようと誘ってみた。

水面が鏡になる。

風が強いと波が忙しい。

子供は、母親の鏡。まるっきり違っているようで、母親の中の何かを引き継いでいる。

水面に空が映る。

雨降りの日、水面はグレーになり、雨の水玉模様が沢山湧く。

周りと同じじゃなくてもいいんじゃない?
勉強したくなった時にするといいんじゃない?

親は、子供が戻ってきた時、勉強したいから、大学に行く、専門学校に行く、留学する、と、言った時に、受け入れて、応援してあげる力を蓄えていたらよいのじゃないかな?

これからの世の中は、学歴ではないように思う。
何が出来るか、何をしてきたのか、
体験主義も強くなるだろうと思う。

専門教育を受けていなくても、好きならば、好きを追求して、独学で世界的に活躍している人が、随分出てきている。

似ていないようで、母親の何かは必ず受け継いでいるのが子供じゃないかな?

曇ってくると、水面は、さあーと青からグレーに変わる。

一言も発せすに、水庭を眺めていた彼女は、

「鏡か、、、子供は親の鏡、、ここいいですね、
こんど、娘を連れて来てみます。」

父は、秋深くなると、庭を眺めてさえ、寂しくなるそうで、

それは若い頃かららしく、母は、それで、父と一緒に紅葉を見て歩いたことはないとか。

父と私は似ていて、そこは似ていない。私は秋、それも葉が殆ど落ちてしまった晩秋が好きなので。