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「ファッションの伝統と価値を守りたい」デザイナー・宮白羊の想い

ファッションの中心地・パリ。これまでにも数多のデザイナーがこの街で、自分なりのファッションを作り上げてきた。そんなパリで、ファッションデザイナーとして活躍するひとりの日本人がいる。

宮白羊(みや はくよう)さんだ。

2016年に自分のブランドを立ち上げた。ショーの開催やイベントでの販売が難しくなったコロナ禍を機に、ECサイトでの販売やSNSなどにも挑戦しながら活動されている。

今回は彼に、ファッションを志してから現在に至るまで、そして彼が感じているファッション業界の課題についてお聞きした。ひとつひとつ丁寧に言葉を選びながら、答えてくださった。話の折々で出てくる、こちらの心がホッとするような、やわらかい笑顔が印象的な方だった。

自分の感性を活かして、ファッションに関わりたい

宮さんがファッションに興味を持ったきっかけは、高校生の時に初めて自分が稼いだお金で服を買ったことだったという。

「アルバイトしたお金を持って、ファッションビルに行って服を買ったんです。その服を着てみると、それまでの親に買ってもらった服を着ているのとは、気持ちがまったく違ったんですよね。なんだか気分が明るくなって、いつもより自分に自信が持てるようなそんな気がしました。そこでファッションって素晴らしいなと感動して、それを人に与えられる側になりたいと思ったんです」

しかし、そのあとすぐにファッションデザインの道を歩むことはなかった。どちらかというと慎重派だという宮さんは、ファッション業界で働くことはあるかもしれないが、自分は会社員となり、いわゆる“普通の道”を歩むものだと考えて、大学の商学部に進学した。

一方で、ファッションに関わりたいという気持ちは変わっておらず、学業の合間に百貨店に入っているアパレルショップで販売員のアルバイトをしていた。

「マネキンをコーディネートしたり、慣れてきたらショーウィンドウ全体のコーディネートをしたりも任せてもらいました。それをお客さんが気に入ってくれて、服を買ってくれるのが楽しかったですね」

ただ服を売るだけではなく、自分の感性で売ること。自分自身のセンスや良いと思ったものを評価してもらえること。こうしたことのやりがいを感じながら働く中で、「自分が本当にやりたいことは、自分の感性を活かしてファッションに関わることだ」と気づき、そのために必要な勉強をしようと決心した。

「それで大学卒業後にファッションの専門学校に通うことを決めました。ただ、日本だと大学も同じですけど、専門学校に入学するのって高校卒業したての18歳がほとんどじゃないですか。そんななかで4つ下の人たちと学ぶのは、なんかいやだなという気持ちがあったんです。だったら語学にも興味があったし、海外に一回行ってみるのもいいんじゃないかなと思いました」

実は宮さんの両親は二人とも海外に縁深い仕事を持っていて、一年の三割から半分ほどは家を空けていたという。そんな両親を幼い頃から見てきたからか、海外に行くことへのハードルはそんなに高くなかった。そして候補として頭に浮かんだのが、ロンドン、ニューヨーク、ミラノ、そしてパリだった。

「やっぱりファッションの中心地に行きたい。そして今まで学んだことのない言語の国に行きたかったので英語圏は違うなと。残った二択で、なんとなくパリがいいなと思ってパリにしました」

フランスでぶつかった語学の壁

フランスに来てから、まずは語学学校に半年通った。語学学校の外国人同士でなら、勉強しているところも同じで話すスピードもゆっくりなので、話すことはできるようになった。しかしネイティブと話すとなるとやはりまだまだ難しかった。語学学校を出てからも、子どもが言葉を覚えていくように、ひとつひとつ見て、聞いて、話して覚えていった。

「日本語を介して覚えるのではなくて、これは〇〇、あれは△△みたいにフランス語で直接覚えていきました。でもそういう覚え方をしたからか日本語が下手になっていくというか、たまにフランス語が出てくるのに日本語が出てこないときがあるんです」

語学学校での学習を終えると、いよいよファッションの学校に入学した。

勉強はとても難しかった。デッサンや、日用品や拾ってきたものを使ってオブジェや洋服を作る“アートプラスティック”のような感覚的な授業はついていけたが、パターンや製図のようなテクニック面の授業には苦労したという。

「そもそもフランス語がまだよく分からなくて、なかなか理解できなかったんです。だから授業が終わったあとは先生にしょっちゅう質問に行っていました。と言っても内容に対する建設的な質問ではなくて、意味がわからないのでもう一度説明してほしいだけだったので、先生にはちょっと嫌がられていましたね」

学校ではデッサンやパターンの授業のほか、ファッション用語に関する英語を学んだり、服飾史を学んだりと、幅広くファッションに関する知識や技能を身につけた。

すべてのカリキュラムを終えたあと、一年間のインターンを経て卒業資格を得た。学校を卒業した宮さんは、自身のブランドを立ち上げるまでの数年間、フリーとして活動していた。

「フリーといっても、していることは今とあまり変わっていないです。このアトリエは持っていなかったので作業場所は自宅でしたが、服を作ってお客さんに買ってもらうということを、卒業してからずっと続けています」

美しい街から生まれるインスピレーション

2016年に自分のブランドを立ち上げた。名前は「Mouton Blanc Paris」だ。2020年にブランド名を変更し、現在は「Hakuyo Miya Paris」となっている。

宮さんのアトリエは、パリの「ベルヴィル」という街にある。住んでいるのもこの街だ。パリに来てから15年間住み続けている、愛着のある場所である。ベルヴィルはフランス語で美しい街という意味だ。この地域にはパリで最も高い丘があり、パリの美しい街並みを見下ろすことができる。

白を基調とした宮さんのアトリエ。数々の服が並ぶ。

また、この街は文化が入り乱れていて、その多様さもこの街の美しさのひとつなのかもしれない。白人のフランス人はもちろん、アフリカ系、アラブ系、ユダヤ系、中国系のコミュニティがあり、それぞれが共存していてとても面白い街だという。

「アーティストや職人も集まってるからか、いろんな国の文化があるってだけじゃなくて、ちょっとヒッピーっぽい雰囲気もあるんですよね。その雰囲気が自分にすごく合っていてすごく好きです。正直治安はあんまりよくなくて、空き巣や強盗にあったこともあるんですが、それでも出る気がしないくらい気に入っています」

洋服を作る時はまず、自分の心がときめく素材との出会いから始まるという。「これを使いたい!」と思ったレースや生地を、どうすればもっとも美しく魅力的に見せられるかを考えて洋服を作っていく。最初から作りたいシルエットが浮かんでいることはあまりない。

フリーとして活動していた時から一点ものの洋服を作ることが多かった。しかし、2020年から始まったコロナ禍によりそのスタイルを変えることとなる。イベントができなくなったことで一点ものを買ってもらえる機会が激減。一点ものを作るだけでは、自分の服を通じて人に喜んでもらいたいという想いを叶えられなくなってしまった。そこでECサイトでの販売に乗り出したのである。

「ECをやるようになったことでちょっと考え方が変わりました。より多くの人に着てもらうためには、デザインのほかに着やすさやどんなライフスタイルの人に着てもらう服なのかを考える必要があります。そこを考えるのがすごく楽しいんですよね。新しい楽しみを見つけた気持ちです」

コロナ禍を機にSNSにも挑戦するなど、逆境にも負けずにファッションと向き合ってきた宮さん。現在もっともしたいことは、コロナ以降できていないショーだという。

「ショーの前は、ショーに向けて全力でクリエーションすることになるんですが、それを経ると自分の中に新しいものが生まれます。そういう機会は自分にとってすごく大事なので、年に一回はしていきたいですね」

買い手から作り手が見えていない問題

大好きなファッションの世界だが、一方で問題に感じている部分もある。

ファストファッションに関する問題だ。

「ファッション業界にいない人のなかには、ファストファッションは機械が全部自動で作っていると思っている人もいるんですよね。機械が作っているとは思っていない人でも、一着の服の向こうには、生身の人間の作り手がいることを忘れてしまっているような気がします。誰も自分が着ている服の作り手のことを考えていない。そこが大きな問題だと思います」

もちろん、ファストファッションが悪いわけではない。ただ、お店で「これ安いな」と手に取った洋服を作るために働いている人がいること、そしてその人たちには価格のなかからどのくらいの給料が払われるのかを、もっと多くの人に考えてもらいたいと考えている。

「使っている素材やかかっている時間、そこに利益をプラスしてこの価格にしています、と価格や服作りの工程を透明化することで僕なりにアプローチしていきたいと思っています。『時間やコストがこんなにもかかっているんだ』ということをまずは知ってもらう。そして、『どうしてあんなに安い服があるんだろう』と少しでも多くの人が考えてくれるようになってほしいですね」

ひと針ひと針、丹精込めて作られた宮さんの作品

最後に、ファッションに対する想いをお聞きした。

「近年どんどん服が簡単に安く手に入るようになってきています。多くの人が気軽にファッションを楽しめるという意味ではいいことですが、一方でこれまで偉大なデザイナーたちが築き上げてきた、ファッションの地位が揺らいでいるのではと感じています。僕は自分で素材を探してきて服を作って売って、とクラシックなことをしていますが、そういう姿を見せることでファッションの価値を上げていきたいなと思います。自分が名を残すというのはおこがましいですが、とにかく名を残している先人たちが作り上げてきたものを壊さずに守りたい。そして少しでもファッションを発展させて、次の世代にバトンを繋ぐのが目標です」

12月からフランスに行きます!せっかくフランスに行くのでできればPCの前にはあまり座らずフランスを楽しみたいので、0.1円でもサポートいただけるとうれしいです!少しでも文章を面白いと思っていただけたらぜひ🙏🏻