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ジャンプ力があれば今頃『池田エライザ』と付き合えていた話



『あの枝に触れた奴が優勝』
『電信柱から出てる銀色の棒に手をかけた奴が優勝』

今、この瞬間も、何処かの通学路で行われている事だろう。その大会は、たとえ参加者が2名しか居なくても、たとえ豪雨に親の迎えが来なくても、関係無い。確実に開催される。

彼らは、今日も『ジャンプ』を続ける。いずれ来る、その無意味さや、体中の関節の痛みと向き合うその日まで、何度も何度もジャンプを続ける。そうやって少年たちは、大人になるのである。

僕は、それを『馬鹿みたいだ』と思っている。


僕は『ジャンプ力』が無い。壊滅的に無い。

上に飛ぶ力も無ければ、横に飛ぶ力も無い。重力に決して逆らう事が出来ない体なのである。ここまで飛べないとなると、前世の僕が重罪を犯した可能性が高い。だから、今も尚、足に見えない鉄球が付いているのかもしれない。

だから、ジャンプ力を競わせようとしてくる奴が嫌いである。そもそも無意味なジャンプをする奴が嫌いである。これは、ただのルサンチマンなのかもしれないが、百歩譲って嫉妬を振り解いたとしても、彼らとは決して仲良くなれる気がしない。

ジャンプ力自慢の奴らは、僕のジャンプ姿を見て笑う。

脛あたりに手をかざし『こんくらいしか飛んで無いぞ』と笑う。そんなわけない。流石にもっと飛んでいる。

枝に触れて何が良いのだ。もし高い所の物を取りたいなら、長い棒を使った方が良いに決まっている。だし、仮にこの大会でタイトルを勝ち取ったとしても、履歴書には書けないし、誰かに自慢しても眉毛一つ動かして貰えない。何の意味がある。


僕には、ピョンピョン跳ねてばかりいる奴が『カマドウマ』にしか見えない。

カマドウマとは『便所コウロギ』の事である。アイツらは便所に住むコウロギである。足が縞模様でジャンプ力が異常にある。『近づいたら上か前に飛ぶだろう』という、こちらの予想に反して、右斜め後ろ方向とかに、ノーモーションで高速に跳ねる。だから、カマドウマも嫌いである。大嫌いである。ついでに浜辺で写真を撮る時、はしゃいでジャンプする奴も嫌いである。奴らは、カマドウマ科の虫である。

奴らは、結局のところ、自分の能力を村の女に誇示し、モテようとする原始人なのである。原人カマドウマである。

だから、ジャンプが嫌いである。

この辺からだろうか。僕が、ジャンプ力が求められるスポーツ自体を嫌厭する人生が始まったのは。バスケットボールもバレーボールも、陸上の跳躍種目も大嫌いである。便所コオロギ科のスポーツである。



小学生の頃、僕が通っている学校で、ある事件が起きた。

同級生の『りょうじ』が走り幅跳びで全国大会に出場することが決まったのだ。

田舎の学校から、全国大会に出る生徒が現れるなんて、考えられないことで、地域全体が大いに盛り上がり、街の至る所に『全国大会出場』の横断幕が飾られた。

この偉業に、送り出す側も慣れておらず、先生たちも、まさにてんてこ舞いの状態になっていた。

来る日も来る日も、みんな『りょうじ』を賞賛し、憧れた。りょうじという男は、タダでさえカッコいい。『大沢たかお』のような、甘い顔を携えている。それだけにはとどまらず、謙虚で皆んなに平等に優しい。そして勉強もできる。彼が、ハスに構えているのも、誰かを蔑むような言動を吐く姿も見た事もない。

ちなみに、これは余談なのだが、中学生の頃、好きになった『茜ちゃん』に、12回告白をしたことがある。その結果、奇跡がおき『お試し』で付き合ってくれる事になった。はっきり『お試し』と言われた。僕が告白し続けた間、彼女には好きな子がいたのだ。例え、お試しでも、僕の世界は輝いた。花は色づき、雨は踊っているような毎日だった。しかし、2週間後、放課後の誰もいない教室に呼び出され『やっぱり違う』とフラれた。教室に差し込む夕日が美しい日だった。その茜ちゃんが好きで、僕と比較したのが、この『りょうじ』である。



りょうじは、小学生にして、すでにモテまくっていた。そこに全国大会出場が重なり、モテに拍車がかかった。地域の女子全員が、色めきだっていた。あの時のりょうじには、神がかった追い風が吹いていた。彼は、全国に大きく羽ばたくのだと確信めいた物を感じた。

そこから恐ろしい事が起きたのだ。

学校中に『ジャンプブーム』が到来した。信じられない程のムーブメントが巻き起こったのだ。これは本当にまずい事になった。すでにジャンプ力が無いと気付いていた僕にとっては、地獄の始まりである。

こうなると、誰が1番りょうじの記録に近いかで、世界の順列が決まる。スクールカーストがジャンプ力で決定する時代が到来したのだ。


このムーブメントは何としても、阻止しなければならない。しかし、あの頃の僕は、あまりにも無力だった。まず、ジャンプ力の鍛え方が分からない。

確実にくる『差別の未来』に怯えながら過ごしていると、全国大会の日が近づいてきた。

りょうじを送り出す為、学校で『壮行会』を開く事が決定した。全校生徒、父母会、様々な来賓を呼び、りょうじの背中を押すという。

僕としては、そんな悠長な事をやっている場合ではないのに。


壮行会の応援団長を決める事になり、なぜか僕が選ばれた。理由は、声がでかいからだ。たった、それだけの理由だ。余りにも無慈悲な世界である。

雑に決められた僕は、その日から、恐怖で眠れなくなった。


しかし、これは、見方を変えれば、チャンスかもしれない。『ジャンプ力があればモテる』と勘違いしている原始人たちを、一網打尽にできる可能性があるんじゃないか?

もし、この壮行会で、僕の鬼気迫る応援を聞いたら、価値観を一変させる事ができるかもしれない。健気に友人を応援する僕の姿に、憧れる生徒が出て来てもおかしくはない。

思いついた途端、丹田辺りから、沸々と力が込み上げて来た。

そこからというもの、僕は、日々の喉のケアを欠かさずに行った。不必要に大声を出して、声帯に万が一があってはいけないので、極力小声で話した。国語の授業で宮沢賢治の作品を読まなくてはいけない時も、静かに優しく読んだ。寒い目で見られる事もあったが、無問題である。


ついに来た壮行会当日。コンディションは抜群である。

全校生徒が、体育館に背の順に並んでいる。生徒を取り囲むように教員たちが並び、ステージに注目している。注目の先には、校長先生とりょうじ。

大会出場に至るまでの経緯を、オーバー気味に演出して話す校長。鼻高々な顔である。

体育館中を煽り、温度が上がったところで、僕が登る台が運ばれてきた。僕は、ステージの前に置かれた台に登った。

全校生徒600人を背中に背負い、りょうじと対峙した。いわばこの体育館の中、主役は僕とりょうじである。

僕は精一杯応援した。りょうじも熱くなっているのが伝わって来た。

壮行会は大成功に終わり、りょうじは全国大会に向かった。これで、価値観の変化のきっかけになるかもしれない。その日から僕は、肩で風を切りながら校舎を歩いた。



『4m33cm』

りょうじの全国大会での記録である。驚異的な記録を出し、りょうじは帰って来た。彼は、益々ヒーローとなった。地域の女子の体は、さらに火照り出している。


職員室の前には、4m33cmのテープが貼り出された。実際に彼が飛んだ距離を目にすると、誰もが驚いた。全校生徒は、こぞって職員室前に溜まり『りょうじの記録に近い奴が優勝』と、連日大会が開催される事になった。

もちろん僕は参加しない。コイツらはカマドウマだと思っているからだ。僕の目の前で、ふしだらに、スクールカーストの順列が決まっていた。


僕は放課後、誰もいない事を入念に確認し、りょうじの記録の横で飛んでみる事にした。


『2m20cm』

僕の記録である。

何故だろう。着地と同時に、僕の目には涙が溜まっていた。
何故だろう。廊下に、僕の声のデシベル記録は無い。
何故だろう。走行会の感想が、まだ誰からも届かない。

だから、ジャンプが大嫌いである。



そこから20年、りょうじはモテ続けている。 彼は、バスケ部に入り、キャプテンマークを付けていた。

大人なって僕は知った。ジャンプ力は、大人には必要ない。なのに、りょうじは、モテている。

生活をして僕は知った。人を応援する力は、大人には必要だ。なのに、僕は、モテていない。

この世界が憎い。

あの時、僕にジャンプ力があれば、今頃モテモテの人生を歩んでいた。

あの時、僕にジャンプ力があれば、顧問の先生に『バスケがしたいです』って言えてたかもしれない。そして、今頃、バスケ日本代表に選ばれて、森カンナと結婚してたかもしれない。仮に、バスケの道に進まなくてもYouTubeで一山当てて、バスケ好きを公言していれば、今頃『池田エライザ』と付き合ってたかもしれない。

僕は、りょうじが『あの日の遠藤の応援のおかげで今の自分がある』と感謝の意を込めて、僕に池田エライザを紹介しに来る日まで、憎み続けると決めている。

茜ちゃん、考え直す気は無いかい?

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