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海がきこえる旅 #1 | 20220802

『海がきこえる』からはじまる

仕事も一段落ついたので、オンシーズンの佳境に入るまえに旅に出ることにして、今年の夏は、高知に行ってきた。

さて、どこに行こうか。なんて、ハードワークがつづいて考える暇もなかったが、まえから熊野古道を歩いてみたいとか、遠野に行きたいとか、そういう気持ちはあった。登山グッズもそろえたことだし、今年こそ熊野に行くか、とも思ったが、何にせよこの暑さのなかで山歩きというのも、高山でなければ気が引ける。ましてや、たくさんのコースがあって、どのルートから行くのがいいか調べる時間もないまま休みに突入してしまった。

そんななか、何で高知に決まったのかというと、ちょっとまえにTwitterのタイムラインに氷室冴子『海がきこえる』(徳間文庫)の新装版が出るというツイートが流れてきたのだった。

氷室冴子『海がきこえる』新装版は凛々しい里伽子が表紙になっている。

そういえば「海がきこえる」好きだったなあと紀伊國屋でさっそく徳間文庫を買って読んだ。そして、あまりのなつかしさにBlu-rayまでわざわざ買って、休みに入るまえに見てみると、もう高知に行く気持ちになっていた。誰かのツイートひとつでその後の行動が変わってしまうのも、現代ならではのことなのだろう。

さっそく、高知への行き方を調べると、飛行機が安かった。片道1万円もかからずに行けてしまうのなら、新幹線で旅行するよりもよっぽど安い。しかし、旅のお決まりドーミーインは、なぜか高かった。お隣の松山のドーミーインは、なんと3分の1くらいのお値段だった(この差はいったい…)。ひとまず宿は、訳あり価格の老舗旅館の予約をとって『海がきこえる』を手に成田空港に向かった。

飛行機からの風景

高知駅前

高知龍馬空港から高知駅に着くと、駅前の路面電車と椰子の樹が迎えてくれた。駅舎はモダンな雰囲気なのに対して、オールドタイプの路面電車が寂びた建物の間を走る絶妙なアンバランスさが僕は好きだった。人通りも少なく、ここには僕を知っている人は誰もいないんだと思うと自由を感じた。

高知駅のモダンな駅舎
路面電車

宿をめざしながら、それこそ「海がきこえる」の舞台になっている帯屋町のアーケードを通った。ここで山尾が酔っぱらって歩いたとこだ、とか、まだライトアップはされていないものの、高知城が見えたりだとか、それだけでテンションがあがった。「はりまや橋」というのは、三大がっかり観光スポットというだけあって、実にがっかりする「橋」でおもしろかった。

地の物語

ある意味、何の変哲もない街なのだが、歩いているだけで楽しかった。それは、この街に「物語」があるからだ。「海がきこえる」はもちろん、「竜とそばかすの姫」の舞台でもある。いわゆる「聖地巡礼」というものなのだが、それはアニメや映画だけでなく「文学」の時代から作品の舞台は「聖地」だったのだと思う。ここを、あの登場人物のあのシーンだ、あの作家が歩いた道なんだ、と思うだけでなんとなく、その道が特別なものに思えてくる。

こうした感慨は、おそらく「ファン」が抱くものにすぎない。現地にずっと住んでいて、そこで「生活」している人々にとっては、観光客が抱く身勝手なイメージだと思われるだろう。それでも、その「地」が魅力的なものに見える「言葉」の力は僕は好きだ。何でもないただのニンニクを「土佐のニンニク」というだけでおいしく感じたりするのは、それこそ市場のトリックにだまされて「情報」を食べて喜んでるわけだが、それでも、その「地」のものを食べていることには変わりはない。別の産地のものを「土佐産」なんてつけていたら、それこそ偽装で困ったことだが、「地」をブーストする「物語」ならば、ただの観光客としては喜んで受け入れたい。

そして、まがりなりにも創作をする身としては、そういう「地」を逆に作っていかねばならない。というか、作っていきたい。その地に魅力を感じたならば、その地の「物語」になりたい。

いつからか、日本中を旅するようになったが、その「地」の「風土」を感じたいというか、そういう視点を持つようになった。その「地」が持っている「自然」や「文化」に対して古代の人が何を祀っていたのかを、神様のことを調べてみたり。そうすると、そこで話されている言葉一つひとつに、その地の人々の生き方や考え方のようなものが立ち上がってくるような気がする。

これは、このあと「四万十川」や「仁淀川」などの大自然と出会って思ったことだが、「土佐弁」がこの「地」でうまれる土壌は、まさにこの自然にあったのだなあとか、無根拠ではあるが感じたりもする。でも、安直でも、こういう「直感」自体は仮説としてたくさん持って歩きたい。

と、思いつつ、なんとなくふらふら歩いていただけだが、ちゃんと出会うものには出会った。まず、物産店では「ことりっぷ」を見てほしかったクジラのナイフがあった。2000円だったのですぐさま買った。ニタリクジラというらしい。鉛筆削りにしよう。

高知グルメ

それから「ひろめ市場」だ。ここは飲み屋がたくさん入っていて、海鮮や郷土料理が楽しめるのんべえ横丁みたいなところだ。まだ時間もはやかったのであまり人がいなかった。ここぞとばかりに、さっそくカツオの塩タタキを食べる。分厚いカツオが出てきて、驚くほどうまい。塩味がついているので、ニンニクスライスとネギで食べる。絶品だ。川エビの唐揚げも美味だ。

そうして、高知城のあたりをまわって宿についた。老舗旅館なだけに部屋も広くて過ごしやすそうだ。ただ、インターハイの団体客が二組もいることだけは、嫌な予感がし、のちにその予感が的中することになる。

サウナ「グリンピア」

ともあれ、せっかく高知まできたのだ。高知のサウナも楽しまねばと思って「グリンピア」というサウナに行ってきた。どうやら、高知はサウナ不毛の地だったようだが、サウナ愛の強すぎる設計のサウナができたらしい。男女混浴で、水着で楽しむところだ。サウナは二室あって、真っ暗な私語厳禁のサウナと、ネオンのあかりにつつまれた私語OKのサウナだ。

まずは真っ暗な方に入ると、何も見えない。誰かいるのかもわからないくらいで、目が慣れてくると、誰もいないことにやっと気づいた。温度はかなり高い。6分ごとにロウリュウができるのだが、移動するだけで足裏がやけどしそうになるし、ロウリュウの柄杓の柄もタオルをまかないとつかめないくらい熱くなっている。

限界までいて、水風呂に浸かると、得も言われぬ気持ちよさだった。ちょうどいい水の温度で、なかなか出ることができなかった。ちょっと長居しすぎたなあというくらいにあがると、なんだかフラフラした。ととのいスペースはたくさんあって、寝っ転がることもできるが、寝っ転がると、もう頭がぐらんぐらんした。これはまずいと思って、懸命に意識を保とうとした。水風呂に浸かりすぎてしまった。

反省して、2セット目はもう一方に入ったが、現地のお兄さんたちが数人入ってきて、それは凄まじいスピードの土佐弁で話していて、もはや何を言っているのか聞き取れなかった。かろうじて聞き取れたかと思うと、結構やばい雰囲気だったので、そそくさと出て、水風呂に飛び込んだ。

この日は、私語厳禁の方にもう1セットだけ入って、宿に戻り、大浴場でもう一度汗をながして、寝ることにした。

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