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閉じゆく世界のなかで「夢」を「形」にする

3月ももう中旬に差し掛かろうとしている。
令和という新時代は随分と災難が続く。1000年前くらいの感覚で言えば、きっとこのレベルの災難続きだと遷都しているだろう。が、このグローバル社会では遷都したところで、安全な地帯はもはやない。ただ、グローバル社会ゆえに、渡航禁止や入国禁止といった国が閉じようとしていく様はとても皮肉なもののようにうつる。

そんな、閉じた世界のなかで、何か大きな変革も起きようとしている。人々は、閉じこもるなかで「遊び」だったり「仕事」だったり、「家族」や「学校」、「貧困」など、さまざまなことと向き合うことになった。子どもたちは学校が休みになったとはいえ、ディズニーランドも閉園しているので楽しみもない。延々とスマホを見ているのも飽きてきたことだろうし、ゲーム三昧になった途端に飽きてしまうということもあるだろう。

僕も仕事の仕方が変わった。自宅勤務が許されて、家にいることが多くなった。当然、家で仕事をするとなると強制力もないので、朝起きれなくなったりするが、のんびりして自分の身の回りのことなどによく向き合えるようになった。

時間にも余裕ができたので、それこそ2か月ぶりくらいに人と会うことにした。新宿のスターバックスでしばらく話しこんだ。近況報告がメインだが、最近の僕の悩みの種は、「詩が書けないこと」だ。

noteで詩をアップすることもめっきり減ってしまった。こうしたエッセイ的な文章を書くことが増えた。これはこれで楽しいからよいのだけれど。しかし、僕は「詩人」だと名乗る以上、詩を書かなければならないし、「26時」という詩のサロンも運営しているから、相方に迷惑をかけ続けられない(といっても、すでに大幅に企画が遅延している)。ただ、この数か月はプライベートも忙しく、不安定でなかなか「詩」を書こうという気すら起きなかった。

それでも、何かしなくてはと本を読んでみたり、いろんな詩集を読んでみたりしていたが、どうも集中力散漫というのか、なにか表面を素通りしていくような感覚が大きかった。以前に書いた「マインドフルネス読書」は、そういう集中力不足を憂いてのことだ。「マインドフルネス読書」自体は、かなり実践的で、集中力の底上げが可能だ。現に、何年も読む気になれなかった「小説」というジャンルを、最近よく読むようになったからだ。これも時間ができたというのもあるが、かなり集中して読むことができている。

それはともかく、スターバックスで、話しているときに「最近、集中して本が読めないんだ。読んでいても、途中で別のこと考えていてまったく内容が入ってこなかったり、あれしようこれしようとかってことがかけめぐって、すぐに本を置いて別のことをしだしたりするんだ」って言うと、相手はすぐに答えた。

「それ、好きな本ではないのでは?」

答えにつまった。「好き」ではない……? と問われると、たしかに「勉強」のために読んでいるような気はする。いや、たしかに「文学」は「好き」だが、「この作品」が好きかと言われれば、「好き」ではないかもしれない……。と、思い出すと少しすっきりした。

そうか、「好き」じゃない、ただそれだけのことか。

そう思うと楽になった。とはいえ、「好き」なことをもっとレベルアップさせようとしたら「勉強」は必要だ。だから、ある程度はする。だが、何もできないようになるくらいなら、「好き」なことだけするというのが前進するための第一歩だ。

昨夜、落合陽一氏と安宅和人氏との対談があった。2時間程度の番組であったが、見ているともはや神々の会話のようで自分の小ささが恨まれるようであった。だが、勇気づけられたことが一つある。それは、これからは「夢」を「形」にすることだけが「価値」になるという安宅さんの話だった。

もちろんこれはビジネスの話でもあるし、いまは1%の人々についての話だ。99%の側の僕が「ああ、そうだ!」と言って一息に賛同できるものではないが、こと詩を書くなどというまさに「夢」のようなことをやっているわけだから、「形」にしなければ「価値」も何もないわけだ。

そう思うと、またやる気も湧いてきた。「好き」なことをやろう。

大きめの紙を用意して、「好き」なものをたくさん書き出した。書きたいものを書き出して、自分のなかでストーリーを組み立てていって、なんとなく出来上がってきたところで、キーボードで打っていく。ゆったりとしたピアノ曲を流して、そのメロディに合わせてキーボードを打って、まるで音楽を奏でるように。

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集中力散漫、というのが嘘のように時間が過ぎていった。

思ったような作品が書けているのかはわからない。が、少なくとも「楽しい」という感覚がある。これはしばらくなかった感覚だ。とはいえ、またこの楽しさも消えて、書けなくなる時期というのはやがてやってくるだろう。そして、また、今回のようなやり口で解決する問題かはわからない。

きっかけというのはどう転んでくるのかわからない。

行動が制限される日々ではあるが、それでも行動すること。

先の対談のなかでも、ニュートンはペストで大学が封鎖され、引きこもっているときに偉大な発見をしたのだと話していた。だからいま、このとき、どこかで天才が生まれている!と。ひどくポジティブだ。

僕は天才ではないが、このときだからこそ生み出せるものを。


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アオノカゼ

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アートのこと、生活のこと、旅のこと、風のように吹きすぎるまなざし。詩になるまでを、エッセイや写真で辿ります。

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