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こんにゃく芋を保管する小屋2

畑や田んぼ、漁港などに建っている物置小屋や作業小屋の写真を撮り歩いては記事を書いています。
前回は、茨城県北部でこんにゃく芋を保存する土壁の小屋に出会い、所有者の女性からお話を伺いました。今回はその続きです。もしよろしければ、しばしお立ち寄りください。

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(前回からの続き)
親切にも色々とお話を聞かせてくれた上に、小屋の内部を見せてくださった女性にお礼を言って別れました。

そこからしばらく車を走らせましたが、他にもこんにゃく芋を保管する小屋があるのではないかと気になります。運転に十分に気をつけながら、チラチラと過ぎていく景色に目をやり続けました。
「知らなければ見えない」とはよく言ったものですが、一旦でも知れば目の前の世界は少しずつでも豊かに開けてきます。
ほどなくして、同じ作りの小屋を発見しました。

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いやー、なんとも美しい風景です!
世界遺産の白川郷には及びませんが、人々が必要として作り上げてきた景観や小屋が今もこうして残っていて、しかもそのひとつひとつにそれぞれ違った物語が宿っていることを知ってしまうと、風景の見え方が変わってきます。

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今日、何の気なしにこんな素敵な風景に出会えるとは思ってもいませんでした。観光地化されておらず余計な手が加えられていない分、過去から現在、そして未来へと変化していく途上の風景を存分に味わえました。

再び道路沿いに小屋を見つけました。

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近づいてみると、コンクリートで塗り固められていますが、正面の扉が上下に分かれ、側壁は土壁です。

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これもどうやら、こんにゃく芋を保管する小屋です。
ゆっくりと眺めつつカメラを向けると、小屋の奥から60歳ごろの女性がひょこりと顔を出して「写真を撮ってるの?」と尋ねてきました。
そこで、風景が美しかったので車を停めたのですが、、、と答えました。
すると、女性が意外なことを言われた時のようにちょっと驚きつつ嬉しそうに「あら、そう?」とはにかみました。

「突然通りすがりにすみません。各地の小屋の写真を撮っているのですが、こちらの小屋はコンクリートの塗りがとてもきれいですね」と私。
「これはね、昔はこんにゃく芋を入れていたの。今は外の壁だけでなく中の床も全部コンクリートを塗って倉庫にしているの」
そう言って、引き戸をガラリと開けてくれました。確かに農具などが置かれているのが、チラッと見えました。
「私がここに嫁いだ時にはもうこんにゃく芋を保管するのには使っていなかったかな。確かヒムロって呼んでいたような気がするわ。漢字でどう書くかちょっとわからないけど氷の室かしら?
今は大根をしまっているのよ。ほら、大根をたくさん作るでしょう。以前は畑に穴を掘って、その中に大根を入れて、土をかけて埋めていたの。そうすれば大根が凍らないから。冬の間食べるのに必要な分だけ掘り出すようにしていたのよ。だけど今はこの小屋の中にしまっているの。ネズミにかじられないように袋に入れて口を縛ってね。今も去年とったのが最後の一本だけまだ残っているわ」

訪れたのが6月ですので、電気も使わずに半年も大根を保存できることになります。なんとも優れた保管庫です。
その話を聞きながら、そういえば私の父も収穫した大根やにんじんを一旦畑に埋めて保存していたなと思い出しました。

それはそうと、こんにゃく芋も大根も凍らせないようにこれだけ苦労するのですから、この地域の冬は相当に寒いのでしょうか。伺ってみました。
「うん、寒い」とうなずき、顔を少ししかめました。先ほどから笑顔が絶やさずにお話をしてくれていただけに、印象に残りました。
「私は同じ県内でも南の海沿いの生まれだから余計にそう思うのかもしれないけど」と続けます。
「冬、寒いときは、うーん・・・、外はマイナス10℃ぐらいまで下がったかな。前の晩に使って干しておいた布巾が、朝台所にいくとね、部屋の中でよ、凍ってよくパキパキ音を立てたのよ。
最近? 最近は寒さが緩んできたからさすがにそういうことはないけどね」

今はスーパーに行けば新鮮な野菜を季節に関係なく手に入れることができますが、生産体制も流通網も整わず、一般家庭に車が普及していなかった1980年ごろまでは、自分たちで作って食べるための知恵と工夫にあふれていたのでしょう。

話が落ち着き、写真を撮ってもいいと言ってくださったので撮影させていただきました。

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奥に見えるのが母屋で、さらにその奥に納屋と蔵があるそうです。
前回の話に登場した小屋も、ここの小屋も道路沿いに建てられています。こんにゃく芋を農協の車に積み込みやすくするためだったのか、火を24時間焚くので万が一火事になっても母屋に火の手が伸びないようにするためだったのでしょうか。敷地内での立ち位置から小屋がどのように扱われていたのかがなんとなく推察できます。

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屋根を支えている木組みや、コンクリートと土壁の組合せの丁寧さから、昔の大工さんや左官屋さんの手間ひまかけた仕事ぶりが伝わってきて、惚れ惚れとします。

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お礼を言って去ろうとすると、どうぞと言って缶コーヒーを手渡してくれました。人の温かさが沁みます。
道を下って振り返ると、中からご主人と思しき男性も一緒に見送ってくれていました。

一年の中でも一番日が長い季節ですが、そろそろ家路につく時間が近づいていました。この日は本当に多くの小屋に出会え、これまで知らなかったことを地元の人から教えてもらえました。

前回ご登場いただいた女性が教えてくれた小屋に、今日最後に立ち寄ることにしました。車が一台通れるくらいの未舗装の道を走っていきます。
もう誰も住んでいないと言っていた通り、道路から母屋の玄関へとつながる道は奥の方で草に覆われています。しかし定期的に誰かが手入れをしているのでしょう。荒れた様子は見られません。少しでも人の気配が感じられると、なんだかちょっとホッとします。

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幸いなことに、目当ての小屋は道路に面して母屋の手前に建っていました。これなら道路上から眺められます。赤いポストがかわいいアクセントとなって目を引きます。

しっかりとした石の土台の上に木の柱を立てて土壁を塗っているのが分かります。石材は栃木県で産出される大谷石のようです。

こんにゃく芋を凍らせないように冬の5ヶ月間は内部で火を焚き続けるわけですから、火事にならないように火に近い場所には石を使っているのでしょう。また、石の方が蓄熱効果がありそうです。

左から正面、さらに右壁面に回り込むと煙突が付いていました。ということは内部にかまどが作られている可能性が大です。

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こんにゃく芋を乾燥させるための小屋でも、農家によって微妙に作りが違っているのがわかります。

この記事を書くにあたって、茨城県内のこんにゃく芋の保管小屋についてネット上で調べました。これといった資料を見つけるまでには至らなかったのですが、どうやら「ヒムロ」は「火室」と書くようです。収穫した野菜などを凍結させないで長期保存するために、昔から広く使われていた手段のひとつのようです。

たまたま用事で赴いた山間の集落で、生活の知恵が詰まった小屋に出会えることができました。住民が去り使われなくなったものや、風除けになっているものもあれば、大根や農具の保管に転用されているものもありました。時代に影響を受けて使われ方が変化している点もまた興味深いところです。

小屋は人が住む母屋と違って、建築家や研究者から注目されず記録に残りにくいのが宿命です。しかし、食べることや働くことと密接につながっているので、住まいとは全く違った視点を与えてくれます。

今回、突然の訪問にも関わらず、お二人の女性が貴重なお話をしてくださいました。
この場を借りて心から御礼申し上げます。

※会話については、私がとった簡単なメモと記憶を元にしています。実際に話した内容と細かい部分で違っていることがありますが、その表現などの責任は私にあります。
※マスクをして、距離を十分にとってお話をうかがいました。

2021.06.10



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