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2章-(6) 公式歓迎会で

夫が論文発表をしている頃に、私はひとりで町を歩いて、小中学校を訪ね  たいとか、子どもたちの様子を知りたいとか、いろいろ計画していて、そのために、折り紙の練習などで心づもりしていたのだが、こんな風にきっちり〈もてなし計画〉ができているようでは、そんな暇はなさそうだった。

明日のアムス巡りは、もう夫と済ませていたし、今日半日、皆と歩き回っただけで疲れてしまった私は、明日朝から丸1日つきあえるだろうか。帰りは夜の10時頃だと言うし、私ひとり残してもらえないだろうか。でも、言い にくいな、せっかくの歓迎のつもりなのだから、気を悪くされるだろうな。

私は迷ったあげく、おどけて言ってみた。
「私がこの6人の中で、一番年上だってわかるわ」
気のいいシコフ夫人、ウィルがすぐにのってきた。
「どうしてわかるのよ。私は55歳よ。ミコは若く見えるのに、私より  上なの?」
「そうよ。あなたが55というのはわかっていたわ。さっきハトルがi言ってたでしょ。2人は18の時に出会って、それ以来37年もずっとつきあって るって。これは私の大嫌いな数学ではなくて、算数ですもの」
と、言うと、皆が大笑いした。ハトルを除く皆、数学者の妻でありながら、数学嫌いな人ばかりだったのだ。
「私、年上だから、一番先に疲れてしまうの、明日丸1日歩き回れるか、 自信がないわ」  

そう言った後で、皆が国立公園で〈自転車乗り〉をする話になった。若い ジュデイットが自転車は、ぜんぜん乗れないと言い出すと、アンナも得意でなくて、乗りたくないという話になった。するとまあ、私は思わず言って しまったのだ。
「私、自転車だけは得意なの。両手放しだってできるわ」
「えーっ!」
全員が驚きの声を上げた。
「ぜったいそれは見せてもらって、証明してもらわなきゃ」
と、アンナが一番面白がって言った。やれやれ、身から出たさびだった。 言うんじゃなかった、と悔やんだけれど、遅すぎた。どうなることやら。

その後、チーズ専門店や町のカフェや普通の店をまわったりして、私はますますへとへとに疲れ切ってしまった。

夕方、大学で大きなレセプションがあるというので、宿までハトルに送ってもらった。出席しなくてはならないみたいだ。準備をした。シャワーを長々と浴び、紺色のとろりと柔らかい生地の上下で、スカートはロング、ピンクグレーのブラウスの上に紺の上着を着て、パンプスを履いたら、それだけで気分はしゃんとして、疲れは回復していた。なんて単純!

また車に迎えられ大学へ着くと、2階の食堂でレセプションは始まって  いた。数学科の学科長が最初に挨拶をされたという。フィンランドでの学会には、大統領が列席して挨拶し、夫は驚いた話を後でしてくれた。それほどまでに大事な会として扱ってくれるとは、日本ではありえない話だね、と。

レセプションには、ハトルのご夫君も出席されていて、紹介された。精神科医で、実に気立ての良い、人を包みこむように話をよく聞いてくれ、安心感を与えてくれる人だった。
日本名や漢字について質問してきたので、私の名刺を見せ、一字ずつ説明して「みえ子」は writer's name で、本名は「美枝子」で beautiful, branch, child と漢字の一字ずつの意味を言うと、面白がってくれた。次男が〈小児科医〉であることも話した。

アンナとハトルが私の紺色の上下服をほめてくれた。
「今日は、私はレデイなの。でも、明後日はガールになりますからね」
と私がおどけて言うと、アンナが吹き出して、ハトルの夫君に、私の〈両手放し〉の話を吹聴した。
その場の成り行きで、皆が聞いてる目の前で、アメリカでの〈大恥かいた エピソード〉を話すはめになってしまった。

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