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イエテ◯ソラへ (4)☆ 準備 ☆

 12階のろうかに戻った時も、さいわいだれにも見つからなかった。だいたい、ビルの上階に住むのは、子どもがもう大きい人や、働きざかりの大人の家族が多くて、昼間の人の出入りは少ないのだ。
 自分のへやに帰ると、あそこにかくれるために、思いつくかぎりの必要品を、A4の紙に並べてみた。まず食べ物、着る物、書くもの、読むもの、歯ブラシなど日用品も···。
 そうだ、マンガを描く道具は、ぜったい持っていこう。ずっと描きたくてうずうずしてたんだから。
 リストがふえるにつれて、ぜったい実行してやろう、という気分がますますわき上がってきた。
 とにかくまず、夕方の人の出入りが始まらないうちに、あの扉を出てしまわなくては···。
 今はあの扉の外の、視界いっぱいに空の見える屋上へ、逃げ出すことで、もう夢中だった。その後どうするのか、いつ戻ってくるかまでは、まだその時、考えてもいなかった。

 わたしは目的にむかってフル回転で動き出した。
武春兄さんが、野球部の遠征に使っていた、黒くて大きなボストンバッグを、 クローゼットからひっぱり出した。冷蔵庫や食料戸棚から、どんどんえらび出した。シリアル、ポテトチップス、クッキー、アメ、チョコレート、ジュース、麦茶の大ビン、ミネラル水。バナナ、レタス、大好きなチーズは多めに · · ·。
 ママが買いためておいたものが、かなり減った。それでもまだ足りない気がする。そうだ、パンとカップラーメンだ!
 テーブルの上の封筒をつかんで、わたしは外へとび出した。一万円くらい入ってるはず。ママはカップラーメンとか、フィッシュソーセージなんて、買ったことは一度もない。
 麻美の家で、おやつの時間に食べさせてもらった時、うらやましかった。あれもスーパーで、買っとかなくちゃ。さっきまでぐったりしていた自分が、信じられないほどわくわくしていた。

 一階の管理人室の窓口で、園田のおじさんが宅急便の荷物を、どこかの階のおばさんに、渡しているところだった。おじさんはわたしに気づいて、笑顔を浮かべ、目でうなずいた。わたしは顔がひきつるようで、ドアの外へとび出した。
 近くのマイ・ベーカリーで、日もちするパンや、おやつみたいなパンを、山ほど買った。それから、飛鳥ビルの一階の、スーパー・アスカにも入って、カップラーメンやソーセージ、レトルトのカレーやごはんを買い、牛乳やヨーグルトや、プリンやソルダムなど、好きなものを、かたっぱしから買いこんだ。
 帰りは管理人のおじさんにも、だれにも会わずに、へやまで戻れた。そろえたものを、ボストンバッグにつめてみると、食べ物だけで満杯近くなって、わたしは吹き出してしまった。まるで食べに行くみたいだ!

 入りきらないものは、わたしの遠足用のリュックを使って、着がえとタオルとスケッチブック、小型の目ざまし時計と、小物をすべてつっこんだ。
 もちろん、お金の残りの入った封筒も入れた。少なくとも、わたしが塾へ行ったと思ってくれるように · · ·。ついでに机の引きだしに、わたしの毎月のおこづかいがたまっているのを、ぜんぶつかみ出して、バッグのポケットにねじこんだ。いくらあるともたしかめもせず。
 それから、兄さんの本棚から、ぶあつい一冊をぬいて、バッグにむりやり押しこんだ。いつか読んでみたいと思ってたのに、ずっと塾通いと勉強ばかりで、読めなかった本だ。タイトルは『ロビンソン・クルーソー』。今のわたしにぴったりに思えた。
 マンガも一冊だけえらんだ。屋上にふさわしく『星座伝説』にした。

 リストをひとつずつ消していきながら、わたし、ママとおんなじことをしてる、 とちらと浮かんで、思わず口がゆがんだ。ふん、だ! わたしはママみたいに、書き置きは残しませんからね。説明のしようがないもの · · ·。
 まだ乾きかけの水着も、持つことにした。海辺みたいに、こうらぼしができそうだった。
 へやを出ようとして、リストが机の上に置いたままになってるのに気づいて、大あわてでバッグにつめこんだ。

 リュックを背負い、重たいバッグを引きずるようにして、12階へ上がった。腕時計は5時をまわっていた。まだろうかに人影はなかった。バッグを運んでは置きしながら、どうにか階段の下にたどりついた。
 赤いテープを切らないようにくぐりぬけるのに、汗びっしょり!
 屋上にひとりの夜はこわいかも! と、ちらと頭をかすめたけど、今は自由への憧れの大波に呑まれて、戻れない勢いだった。

 荷物を屋上の床に置いて、扉にカギをかけ、一歩踏み出した時、やった、とうとうやった! と、身も心も、舞い上がりっぱなしだった。自分の行動が自分で信じられない。いつもは、何かをする前に、さんざん迷って、結局、やらないことが多かったのだから。
 パラボラアンテナの影が、さっきよりグンと大きく、長く伸びていた。
 縁側から家の中に入る時、胸がバクバク鳴っていた。だれも来ない、とわかっているのに、気がとがめてしまう。それに、頭のどこかで、何か忘れ物をしてきた気がしてならなかった。
 なんだっけ、なんだっけ、と思いめぐらしていると、ふっと思い出した。潔おじさんは、ママに留守電を残して、3泊4日で出かけている。あれを消したら、どうなるだろう。 ママはわたしが、潔おじさんのところに泊りに行ってる、と思うのでは ···。
 おじさんちはみんな留守で、おじさんはケイタイを持っていないし、わたしがいないことがばれるのが、遅れるはず · · ·。
 おじさんは夜電話するって言ったけど、早寝早起きのおじさんだから、きっとママの帰りには、間に合わないはず · · ·。消しておけば、ぜったい時間かせぎになる!

 わたしはいても立ってもいられなくなり、カギだけを持って、また扉の向こうの、ろうかに耳をすまし、泥棒みたいに足音をしのばせて、1105号室に戻った。
 思いきって留守電を消してから、わたしは自分のケイタイの、スイッチを切ることにした。
 これでよし、と立ち上がったのに、わたしは最後にまた決心がにぶって、ケイタイのスイッチを入れた。
 やっぱり、麻美にお礼の言葉といっしょに、ちょっとだけ、匂わせておきたかったんだ。でも、せめて3日はかくれていたいから、考えに考えた末に、簡単だけど、少しひねった暗号文を、送り出しておいた。

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