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イエテ◯ソラへ (2) カギの正体

☆ カギの正体 (裕香) ☆

 目がさめたら、汗びっしょり。制服が背中に張りついて気持ち悪いから、シャワーをゆっくりあびて、ぜんぶ着替えたらやっとすっきりした。
 窓を開けて風を通すと、少し元気が戻ったみたい。と思ったら、おなかがぐう! 3時過ぎてたもの、4時間近くも眠ってたんだ。
 起き出して、台所の冷蔵庫に直行した。パンよりおにぎり、冷たいものよりあったかい物が食べたい。ポテトスープをカップに入れて、レンジでチンする間に、ママが作り置きしたおにぎりと、チーズとバナナと桃をお皿に並べた。
 リビングのテーブルにつくと、いやでもママのいつもの置き手紙と、白い封筒が目に入った。これを避けたくて、近寄るのを遅らせていたのだ。

 〈昨日の続きの後始末があるので、帰りは11時頃になります。裕香の夕食は、 冷蔵庫のスープとおにぎりと、ハムサラダと煮物です。デザートは好きなのをどうぞ。白い封筒のは、夏休みの教材の代金です。塾に遅刻しないで。              ママより〉

 じつにママらしい手紙。必要充分なやつ! 漢字はすべてきっちりと漢字で書いて···。
 昨日のように、結婚式の当日に、花嫁さんがすっぽかす、という大番狂わせがあって、担当主任のママが、きりきり舞いをさせられたのに、この手ぬきのなさ! それも毎日なのだから。
 ブライダルの仕事もきちんとやって、家のことも手ぬかりなく、ものすごく気をつかっている。何もかもかんぺきにやるため、前夜から手順を書き、ひとつずつチェックしている。
 武春兄さんが家を出てしまって、ママは子育てに大失敗したと思ってるから、わたしには気を張ってるんだ。
 それがわたしには重荷だってことが、ママにはわかってない。ママは結局、兄さんの時と同じみたい! わたしの意見よりも、ママの思いの方が、押しつけられてる感じ。
 兄さんの時とちがうのは、口で言い争う代わりに、毎日、手紙でリモコンやってる。わたしはリモコンの先で、ママにいいように動かされてる感じ。
 気づいてはいるけど、ママの涙やぐちや落ちこみを、さんざん見てきたから、兄さんみたいなすごい反抗は、とてもとてもできない · · ·。
 でも、圧迫されるような、重いものが頭にかぶさってる感じ。小さい四角い箱にぎゅうづめに押しこまれてるみたい。だんだん酸素が少なくなって、もがいても動けない感じ · · ·。いつか爆発するしかないのかな · · ·。

 いっそ兄さんみたいに、潔おじさんのところに、逃げ出そうか。あのおじさんなら、ニコニコして迎えてくれるもの。潔おじさんとママが姉弟だなんて、月と太陽ほどちがうのに · · ·。
 でも、ドイツにいるパパが知ったら · · ·。ああ! パパはがっかりさせたくない!

 中学に入れば、受験から解放されて、自由になれるはずだったのに。本命の聖女中学も、すべりどめの立祥中もダメだった。けど、わたしは、麻美とおなじ公立中学に入れて、すっごくうれしかった。
 でも、ママの方ががっくりして、早くも高校受験のための、次の手をくり出して、前よりもっと追われる感じがしてる。
 ああ、どこか自由なところに行って、すきなだけマンガを読んだり、描いたりの時間がほしい! ほんとに、ほんとに自由がほしいよーっ! 考えるのはよそう。頭が痛くなってくる。

 お盆をかかえて、リビングの窓辺にすわった。右下に広がる、デパートや駅や、保険会社の高いビルなどの、町並みをながめながら、熱いスープをすする。
 ついでにCDのスイッチを入れる。こんな時は、スローなのがいい。〈なぎさの風〉の波音にひたりながら、たいらげていると、だんだん気分が快復してきた。おなかの底から、体じゅうに温かい血が通いだすのがわかる。
 冷たくて甘い桃をたいらげると、なんだか少し力がわいていた。眠りと食べ物が補給されれば、元気は取り戻せるんだ。わたしってほんと、単純!

 とっくに塾へ行く時間は過ぎていた。でも、今日は休んじゃうことにした。それだけで体じゅうがリラックスして、気分が軽くなった。これがわたしの〈ミニ 自分破り〉の始まりだった。
 それがとてつもない〈大破り〉に発展するなんて、その時は思ってもいなかった。 ママが帰るまでに、まだ7時間以上、自分だけの時間が持てる! わあ、何をしよう!
 まずは麻美にお礼のメールだけは送らなきゃ。もうずっと途切れたままだから、短くお礼だけにしよう。
 ケイタイは上着のポケットだ。脱ぎ捨てた上着をさぐると、ケイタイといっしょに、カギが手にふれた。みどり色のリボンのついたやつ!

 だれの? 管理人さんに届けなきゃ、と思ったとたん、ひらめいた。
 これ、ひょっとして、管理人の園田さんのかも! さっき花ござをかかえていたのは、屋上にある〈おやしき〉から運んでたんだ。
 ああ、あの屋上! あそこへの扉が出入り禁止になってから、もう5年になろうとしている。あの屋上にもう一度行ってみたいな!
 そう思い出したとたん、わたしの心に、イケナイ企みがわき出してきた。
 もし、これが屋上に出られるカギなら、当分返したくない! あの屋上に、もう一度行ってみたい、どうしても、あの大きな空が見たい!
 麻美、ありがとうのメールは後にするね! カギを握って、すぐにへやを出た。たしかめてみたかった。

 エレベーターで12階に上がり、前後左右、人のいないのをたしかめてから、 足音をしのばせ、屋上への階段に近づいた。
 上り口に赤いテープが渡してあり、〈この先通行禁止〉の紙が下がっている。この〈通せんぼ〉をくぐるのは、ドキドキだった。でもやっぱりたしかめたい! えいっとくぐりぬけて、階段を2段上がり、扉までくると、またしても〈出入り厳禁〉の札が!
 それでも、扉にカギをさしこんでみた。心臓がドックドックと高鳴って、ろうかにこだましそうだった。
 カチャリ、と音がして、カギが回った! やっぱりだ。幸運の神さまが、わたし に〈運〉を落としてくれたのかも!


★ (麻美)★
 ユカ、おまたせ! 続けるね!
 パパたちにも知ってほしくて、何もかもぶちまけたんだ。じつは、ユカのママに〈おつきあい禁止〉を宣言されたってこと。ほんとだよ。ユカには内密に、って頭を下げられたの。もっと前に気づくべきだったのに、兄で手一杯で、ユカは後まわしにして、ユカが中学受験に失敗したのは、ママの責任だって。塾に行かせるのが、遅すぎたのだって。                3月の初めに、駅前のメイベル喫茶店に、電話でよび出されて、ユカは私立高特訓塾に移りましたって、ママから聞かされたんだ。ご協力くださいね、ユカには余裕はないんです、ってさ。将来の進路はひとりひとりちがうのだから、悪く思わないでね、なんてにっこりされたけど、それって、マミのお宅では私立は無理でしょ、ってことだもん、むかついて返事もできないよ。あたしにだって、プライドあるもん!

 そうそう、内藤先生がきょうユカを送って行ってやれなくて、って気にしてた。ムリないよ、高橋君が盲腸で、病院へ連れてったからね。あたしが名のり出たんだ。べつに頼まれたわけじゃないよ。
 ユカんちじゃ、パパはドイツ、ママはフルタイムで仕事、武春さんは家を出てるんでしょ。先生がおうちに電話する、っていった時、ユカが青い顔して止めるの、見てらんなかった。もっとおしゃべりしたいけど、おばあちゃんのおふろのせわがあるんだ。またね!

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